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診断時:50歳
インタビュー時:52歳(2014年11月)
夫と子供2人の4人家族。2003年頃、不眠で精神科を受診しうつ病と診断され、約6年間抗うつ薬を服薬した。2012年に自律神経症状や幻視から心筋シンチグラフィ等の検査を受けたが診断はつかず、8カ月後、体調が悪化し再診を受け、レビー小体型認知症と診断され抗認知症薬による治療が始まる。現在は多くの症状が改善している。
語りの内容
ただ、そのー、…まあ、最初に(リバスタッチパッチを)貼ったときは、…ま、高齢者は背中に貼るの(を)、わたしはこの辺(胸のあたり)に貼るんですけれども、…最初に貼ったときは、…何か、認知症っていう、何か、焼印を押されたような…感じがしまして。……何か、誰にも見られたくないなっていう…あのー、別に、わたしは、認知症に対して何の偏見も持っていないと、自分では思っていたんですけれども、……やはり、認知症っていう、その認知症っていう言葉は、……非常に重たいですね。…あのー、ま、結局、その誤解されているからなんですけれども。……その言葉、…うーん……何て言うんですかね、もうあなたは終わりですみたいな、そういう………あのー、感じがすごく…ありましたね。
ま、自分は認知症なんだと思ったときに、あのー、どんどん、進行するしかないんだって。どんどんどんどん何もできなくなっていくんだ。……で、…わけが分からなくなって、家族を苦しめるんだ。…そして寝たきりになって死ぬんだ…っていう、……それを、……乗り越えるという、受け入れる、受け入れるとも違う。……うーん…ま、何と説明したらいいか分からないんですけれども。ま、だから、そのー、薬は効いて体調はよくなったんですけれども、……まず、…あのー、誰にも話せないと思いましたね。…話せない。「わたしは、認知症です、わたしは幻視を見ます」って言って。誰がそれを理解してくれるだろう。…誰も、「わたしは幻視が見えます」って言って、……誰が…わたしを普通の人間って思ってくれるだろうっていうことは、すごく思いました。
………で、何ですかね、まあ、言えないと思っている。しばらくそうだったんですけれども、そのときというのは、そのー………とてつもなく…孤独でした。あのー……何か、こう、自分で、……渓谷に、何か平均台のような細い……、台というか橋というかがあって、すごく深い渓谷に、…そこを1人で歩いているような、そういう感じがしました。…で、しっかりしなくちゃいけないってずっと思っていたんですね。ちょっと気を、気をしっかり持って、…自分さえしっかりすれば、何とかなる。歩いて行ける。大丈夫…って、こう自分に何度も言い聞かせるんですけれども、でも怖い(笑)ものすごく怖いんですね。で、…もう足がすくんで前に出ない。あのー、怖い……でもしっかりして、……進まなきゃいけない。何かそういう感じがしていました……。
インタビュー本人11
- 認知症になると性格まで変わると言われるが、本人からすれば不安と悲しみをいっぱいためて精一杯やっている中で、思わずこぼれたひと言でそのように見られてしまうのか
- 幻視はどれだけ見ても本物にしか見えない。動くはずのないものが動いたら幻視とわかるが、車が自分に向かって動き出したので思わず止めようとしてしまった
- 幻聴や幻臭、体感幻覚は初めは本物かどうか確認しようとしたが、何度も続くと精神的に参ってしまうので、今はもうどっちでもいいやと思って確認するのをやめた
- ストレスのかかるひと言で毒を飲んだようにぐったりしてしまう。また、台風が近づいてくると血圧もどんどん下がって拷問にあっているような苦しさを感じる
- 体調も注意力も計算能力も、理由はわからないが突然よくなったり悪くなったりする。まるで頭の中に無数にあるスイッチがオンになったりオフになったりしているようだ
- けん玉が脳の血流をよくすると聞き、意識障害が起こった時にやってみたらよくなった。小学生の理科の実験みたいな感覚で面白がって試してみることで気持ちも明るくなる
- 漢方で冷えを改善したら楽になったし、ツボの刺激で意識障害が治ったりもする。医師は薬以外に進行を遅らせるものはないといったが実際にはやれることはいくらでもある
- うつ病と診断されてパキシルを飲み始めたとたんに、血圧が下がり、失神したり、過呼吸になったりした。当初、うつ病の症状かと思っていたが、今思えば薬の副作用だった
- 医師からはアリセプトを勧められたが、困っているのは記憶障害ではなく激しい頭痛や倦怠感なので、リバスタッチパッチにしてもらったら、すごく体調がよくなった
- 過去にあったできごとが3日前なのか1週間前なのか1か月前なのかがわからない。それは時間の距離感がつかめないような感じである
- 匂いがわからなくなるのは記憶障害の前触れと思っていたのでショックだった。味もわからなくなり料理にも困る。いい匂いを他の人と一緒に楽しめないのはさみしい
- 注意を分散することが難しいので、2つのコンロを使うときは必ずタイマーを使う。運転も交差点であちこちに注意を払わないといけないので、なるべく乗らないようにしている
- MRIでも心筋シンチでも異常が見つからず、レビー小体型認知症の診断がつかなかった。早期発見・早期治療を期待していたのに、命綱を断たれた思いだった
- 認知症という診断は本人だけでなく配偶者にも絶望感を抱え込ませることになると思うので、夫に対して自分の症状について話すことはなかった(音声のみ)
- 夫は診断を伝えた後も、それまでと同じように何げなく接してくれるのがありがたい。「笑うと調子がいい」といったら、ひょうきんになって笑わせてくれる(音声のみ)
- 子どもたちに診断を伝えるときは「希望とセットで」と思い、すごく勉強して、レビー小体型認知症という名前でも認知機能の低下には個人差があるので大丈夫と伝えた
- 子どもに「歩けなくなったら車椅子に乗ればいいじゃないか」といわれ、ひたすら認知症の進行に怯えて過ごしていた自分が間違っていたことに気づいた
- 最初は疲れやすく体調が不安定でときどき幻視が見えていた。不眠になり、精神科に受診したところ、うつ病と診断された。自分では認知症を疑い、医師に伝えたが違うと言われた
- 9割以上レビー小体型認知症だと思って専門病院にかかったが診断がつかず、経過観察となった。その後8カ月受診せず、体調がひどく悪化して再受診し、ようやく診断がついた
- レビー小体型認知症はまだよく知られておらず誤診が多く、正しく診断されても処方薬で悪化することも多い。10年以上、この状態が改善されていないことに憤りを感じる
- 同情はしてほしくない。人間対人間として接してもらえたらそれが一番いい。体調が不安定で約束を急にキャンセルすることもあるが、今までどおり声はかけてほしい
- レビー小体型認知症は、右肩下がりに悪化していく病気ではない。副作用が出ないように慎重に医療を受け、明るく笑って過ごせばすごく改善する。希望をもって欲しい
- 介護に苦しむ人が集まる家族会に参加して自分の症状を話している、という同病の女性の、「理解してくれなくても知ってくれたらいい」という言葉が自分を変えた
- 調子の良い時にはパートで働き、調子が悪くなるととんでもないミスをして、結局辞めてしまうということを繰り返した。本当に情けない人間になってしまったんだなあと思った
- 同じ病気の人から勧められて、自立支援医療を申請して薬代の負担が楽になった。障害年金も申請したらいいといわれ、自分も他の人に勧めたいと思って申請したが却下された
- 抗認知症薬を貼った時には焼印を押されたように感じた。「幻視が見える」という私を誰が普通の人間と思ってくれるだろう、そう思うととてつもなく孤独だった
- 診断直後は奈落の底に突き落とされた状態だが、そこにサポートが何もない。どんな小さなものでもよいから希望とともに病名を告げて欲しい
- 虫が見えて怖いのではない。幻視が見える異常な人間になってしまったという怖さ、そして明日は人が見えるかもしれないという怖さだ
- 公表しよう、堂々と生きていくぞと思った時に、何かぱーっと開けたような感じがした