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インタビュー時:51歳(2021年4月1日)
関係:母親
医療的ケアのある子:次男17歳
関東在住。夫と長男(22歳)、次男(17歳)、長女(13歳)の5人家族。
次男が出産時のトラブルにより脳性麻痺となったことをきっかけに看護師を退職。
次男は口腔・鼻腔吸引および胃瘻からの経管栄養が必要である。
自分で体を動かすことが難しいが、母親の声には目を動かすことがある。
最終的には小児慢性特定疾病医療制度の助成を受けられたが経済的負担を感じてきた。
医療的ケアが必要な子どもとの生活に不自由さはあっても我が子と触れあえる生活には幸せを感じている。
語りの内容
学校はずっと付き添いだっていうので、ほんとにすごく大変っていう一言ですね。
なので、毎年毎年ちょっともう限界かな、訪問籍にしようかなって悩みながら、あ、1年生が終わった、2年生が終わった、あ、もう3年生が終わった。
で、まだ小学校6年生ぐらいまでずっと、やっぱり訪問籍がいいのかなって。
でも訪問籍にしないで通学のほうが、たくさん授業も受けられるしとかいう、こころの葛藤はあったんです。
結局、小6まで全部何とか通えて、そしたら中高は、そのまんま学校もかなり本人のケアに慣れてくれていたので、そのうち、学校の体制もどんどん進んできて。
医療ケアの子が増えてきたら、シリンジ注入も対応しないって言ってたものが、今は対応できるようになったんですね、学校の要項自体が変わり。
そういうことで対応してもらえれば、私も離れることができたりして、そういう意味では、うちが小学校1年生だったときよりも、今度、高3になりますけれども、学校内の医療ケアもずいぶんと進みましたね。
なのでこのまま、重度であるわが子ですけれども、12年間、通学籍を通して卒業しようというふうに思っています。
ただそこで一つ、自分にとっても心掛けてるのは、学校に行きたいからって、無理させることはしないっていうこと。
ちょっとでも不安に思う症状とか、子どもの調子的に怪しいなって思うとか、そういうときは、心置きなく休ませることで、往診なんかにも助けてもらってますが、実はもうこの小1から今の高校2年生までは一度も入院してないんですよ。
就学前に、妹から風邪をうつされて、ちょっと入院したことがあったんですが、それが最後で、小1から今高校2年生までは全く入院しませんでした。
何とか往診だけで対応してもらっているようなところもあって、それはすごく重要だったし、子どもの命を優先させたかなっていうふうに思っています。
インタビュー17
- 障害児を抱えた生活では少しの外出にも準備がいる。PTAの役を断るために自分の状況を説明するのは気が重い(音声のみ)
- 次男の急変時にきょうだい2人は預け先もなく、病院のベンチに置き去りになり騒ぎになったこともある(音声のみ)
- 付き添いが負担で訪問籍にしようか何度も考えたが、学校のケア体制もよくなり何とか通学籍で高校を卒業できそうだ(音声のみ)
- 夫に仕事をしてもらわないと生活できない。夫も出世欲や向上心もあるだろうが、私一人でケアを担うのもつらい(音声のみ)
- 高校卒業後に障害児を支援する施設がほとんどない。重症度が高いと施設も限られ、卒業後の進路が不安だ(音声のみ)
- 訪問看護や介護、巡回入浴には感謝の気持ちはあるものの、他人が家に入ってくるストレスを家族がそれぞれ感じていた(音声のみ)
- どうして自分がこんな仕打ちを受けるのだろうと日々考えた。朝になると夢ではないことを思い知らされた (音声のみ)
- 同じ経験をしている家族に出会いたかった。子どもが将来どうなっていくのかという漠然とした不安があった(音声のみ)