本来であれば、医学的な見方をすれば、何か意思を持って体を動かしたり、そういうふうなことは、きっとできないっていう診断が下されるレベルなんだと思います。
ただ、関わっていく中で、間違いなくそれは、まあ難しいことはよく分からないですけども、医療の中で説明がつかない部分っていうのがもしあるのだとしたら、そういうレベルのところで、彼はちょっとずつ良くなっている。
そして、その良くなっている部分、良くなっていることを、僕たちに伝えることができている。
多分、絶望的な状況の中で、ひょっとしたら、何も伝えられない、何もすることができない。もし僕が本人だったとしたら、もうそこでほんとに、「もういいかな」って思っちゃうんだと思います。
でも、きっと彼もその同じような状況の中で、彼なりに、「こういうことはできるんだよね」って頑張っている。
「こういうことができるようになったよ、ちょっと分かってもらえるかな」っていう表現をしている。
それを、彼はしている、僕らは感じ取ることができるようになっている。
これはすごいことだなって思って。
お医者様にはもちろん感謝はしてます。
いろんな判断をしてくださったりとか、いろいろなケアをしてくれたおかげで、彼は元気になっているのは間違いない。
そこを超える部分で、彼個人の頑張りとか、もしかしたら彼と関わってる人たちの中にある、目には見えない部分というか、医療的な部分では説明できないような部分。
そういうものがあって、彼は彼なりに、今でもコミュニティーを広げつつあるってところがすごいなって思いながら、はい、やっています。
――その力っていうのはどこから、何なんでしょうね。
はい。まず1つは、単純に彼は、お母さんが大好きだったからだと思います。
お母さんが大好きで、お母さんが悲しくなるのが嫌なのかな。
で、彼としてはもしかしたら、遠のく意識の中で、お母さんが、このまま(自分が)いなくなっちゃったら、お母さん悲しくなっちゃうっていうふうなのがあって、最初はそれでつなぎ止まった。
その後、彼なりに何か頑張ってみたら、ひょっとしたら、お母さんが喜んでる気持ちっていうのが、彼には、僕なんかよりも伝えるのが上手な方なので、どんどん伝わっていって、それで、うまいこと軌道に乗ったのかなって気はします。