月別アーカイブ: 2023年3月

医療的ケア児の家族の語り

地域の小学校の交流に毎学期行って、給食のときにラコールをあけて同学年の子たちににおいをかがせたり、注入を見せたりした

地域の小学校に行く地域交流みたいなものもあって、うちの息子が小学校1年生から6年生まで学期ごとに必ず連れていっていたんですよね。

そうすることで、同じ学年の子どもたちがお兄ちゃんに対して物おじしなくなるというか。「ああ、○○君きょう寝てたね」みたいな「でも、○○君、結構寝てるよね」で終わるんですよ。

バギーを押してくれたり、そのバギーがバックにさがったりとか、すごいなんか恐怖だけど、鬼ごっこに参加させてもらったりとか。

そういうのを1年に2~3回交流していて、その学年の子たちはものすごく、障害があるっていうことに対して抵抗がない学年だったって他の先生から教えてもらって。

4年生か5年生のとき、地域の知的障害の学校と交流することがあった(そうで)。
今までの子たちは、わーって、例えば知的障害がある子たちが叫んだ後もう怖くて近づけなかった。

でも、うちの息子と交流してる学年の子たちは、わーって叫んでも、ああそういうことあるよねみたいな感じで、すぐまた交流に戻ったって。

だからそういった意味で、障害がある子との交流っていうのも「ものすごくありがたかったです」って学校の先生に言ってもらって。

あるとき、給食も一緒に食べさせたいなと思ってラコールを子どもたちの目の前で入れたんですよね。
で、「胃ろうというのはこういうので、このシリンジでやります」と。

で、ラコール開けて、「これがラコールのにおいだよ」って子どもたちにみんなにかがせたら「すごい、いいにおい」、「甘いの?これ」とかって言って。
「それが全然甘くないんだ」とか言って。

そうしたら、3年生のときと5年生のときにやったのかな。
3年生のお便りで、ラコールを入れてる息子の絵を描いてくれてる女の子がいて、すごいと思って。

そういう経験も一緒にしたり、よだれでこうなっちゃうけど、それは全然嫌がらずというか、そういう交流が本当に良かったなと思っていて。

医療的ケア児の家族の語り

小学校に入るとき友達や保護者の反応はすごく気になったが、周りの子たちは順応性が高くあっという間に友達になった(音声のみ)

小学校1年生で入って、周りのお友達の反応とか保護者の反応とかも私も気にはなったんですけど、お兄ちゃんたちがいたこともあって、うちにいるとお兄ちゃんのお友達とかしょっちゅう遊びに来るんですよね。

そうなると娘のことを見て「ねえ、おばちゃん、何、つけちょっと?」とかって聞いてくれて、「ああ、これはね、呼吸をするために助けてくれるんだよ」とか「ご飯を入れる管なんだよ」とかいろいろ教えてあげて。

すると、もうそれ聞いたら、「ああ、そうなんだ」だけで終わって、わーっと一緒に遊びに入るとか、そんな感じの光景がよくうちでも見られてて。
で、そういうのがあってからか、全然すんなりお友達は受け入れてくれて。

小学校1年生で同じクラスになった子とか最初はびっくりしたと思うんですけど、子どもってすごく順応性が高いというか、本当にあっという間にお友達になって。

もう娘もすごく、休み時間とか楽しみで一緒に鬼ごっこをしたりとか、そういう時間がすごく好きで、そのために学校に行ってるような感じでした。

私も学校付き添いが条件というか、学校付き添いはしなければならなかったんですけど。
そういう楽しそうにしてる娘の姿を間近で見られる時間っていうのが、なかなかできないことなのかなと思って、すごく貴重な時間だったなって、今、思ってます。

お兄ちゃんも私の中で、もしかしてお兄ちゃんの気にしてる部分とか、もしかしたらいじめにあったりっていうことがあるかもしれないとか、すごくいろんな気をもんだんですけれども。

でも、お兄ちゃんのほうは小さいときから一緒にいると、障害があるとか病気があるっていうことよりも、いや僕の妹なんだっていう。

ただ本当にもう自分の妹っていうふうにお友達にも紹介するんですけども、その姿そのものが当たり前の姿であってっていうところをすごくお兄ちゃんたちも受け入れてくれてて。やっぱり。

それでも私自身がやっぱり気をもんだので、一度だけ入学前にお兄ちゃんのクラスでお話をさせていただいたことはあります。

機械の説明だとか病気の説明だとか、でもこの学校でみんなと同じようにお勉強したり遊んだりとかしたいんですっていうことをお話しさせていただいたことはありました。

医療的ケア児の家族の語り

訪問教育でじっくり子どもの反応を引き出してもらえた。訪問籍でも通学籍の子との交流の機会もあり子ども同士のつながりもあった

訪問学級のイメージで結構されがちなのが、ほかの方と全く交流がない、先生が来てマンツーマンで授業して終わりっていう閉鎖的なイメージを持たれがちなんです。

実際経験して思うところは、息子の場合にはみんなと一緒に何かをするっていうのが果たして合っているかどうか。

今の息子の身体状況もしくはその知的な部分において合っているかどうかっていうのは、おもんばかるしかないところではあるんですけれど、逆にマンツーマンでしてもらえるというのは、自分のペースで学べるっていうメリットがあるんじゃないかというところと。

実際例えば反応も待ってくださるんですね、先生は。
聞かれてすぐにぱっと答えられたり、反応がぱっと出るわけではないので、その辺の反応が出るまで、様子を見て待ってくださるっていうことも授業の中ではあるので。

そういうのはマンツーマンの良さというか、大勢の集団の授業の中ではできないことなのかなと思って、メリットにうちとしては感じています。

スクーリングが年に何度かあって、同じ訪問籍の子たちが集まって授業をするので、お友達との交流っていうのが思った以上にあるんですね。

個別スクーリングといって、例えば月に1回とか週に1回とか年に1回とか選べるんですけれど、通学生のクラスに入って一緒に授業を受けるということもできるので。

訪問だから先生だけとかっていうことはなく、子ども同士のつながりもあって学校にも全く行かないわけではなくて、希望すれば必要に応じて学校での授業にも参加ができるという形を取れているので、うちの生活には合っていたかなと思っています。

医療的ケア児の家族の語り

訪問教育でしかできなかった学びや体験ができ先生には感謝しているが、訪問籍では通学の機会は月1回だけで不平等なようにも思う

訪問は1時間半、週3回、先生がいらっしゃって。
とにかく毎回いろんな教材を持ってきて、楽しくやってもらってたんですけれども。

その中には訪問でしかできなかっただろうなーと思う、例えば近所の周りのマップを作るとか、近所のスーパーで買い物をして料理を作るとか。
いいところはあったんですけれども。

先生も毎回毎回ほんとに工夫をして、こういうふうにしたほうがいいかな、あんなふうにしたほうがいいかなとか思いながら、やってくださったなーとは思うんですよね。

行かなくて済むというのはとても楽なことではあるんですけれども、親もその場にいなければいけないということもありましたし、スクーリングで月に1回、クラスの子どもたちと、交流をするっていうことしかできなかったんですけれども。

学校にいる子たちは朝9時から3時まで週5で来て、ずっと楽しそうに過ごしているのに月に1回だけっていうのは、ちょっと不平等じゃないかなーと思いました。

月に1回のスクーリングだったら交通費は--最初は自費で知らずに払っていたんですけれども--
国が負担してくれるような形で、タクシー会社と契約書を交わすような形で、そうすると最初こちらが払ってもあとから戻ってくるような仕組みで 経済的な負担はないんですね。

1日学校にいると、本当に楽しそうだし。
朝から、生活の授業があり、国語の授業があり、体育の授業があり、音楽の授業があり、給食も一緒に食べて、子ども同士でいろいろやって過ごすっていうのが、本当に楽しそうだなーと思うし。

タクシーで行くので月1回なんですけど、先生方がものすごく工夫を凝らしているので、毎回毎回。
くじらぐもっていう教科書、国語の時間なんだけど、エアートランポリンみたいなのを毎回作って、そこでトランポリンやったり。
おおきなかぶっていう国語の授業だと、みんなででっかいかぶを引っ張ったりとか。

医療的ケア児の家族の語り

息子が小学校高学年となり性教育が気になっていたが、母親ではなかなか教えることができず、学校で個別に行ってもらった

いま(息子は)中学生なんですけど、性教育にしてもうちの子、ちょっと下半身、デリケートゾーンを触り始めたりとか、自分でし始めたのが小学校5年生のときで。

そのときに学年の部長の先生に「性教育っていつからですか」って聞いたら、「高校生」って言われたんです。
「えっ?」てなって。

いや、もううちの子は触り始めてるし、私もどうやって教えてもいいか分かんないし、旦那に聞いても、「いや、俺もどうやって教えていいか分かんない」って言うし(笑)。

「個別でいいんでやってください」って言って。
もうそこだけはすごい押して。
うちの子だけやらしてもらったりすることもあったんですけど。

私が思ってる性教育(まで)は、まだそこまでは望めないけど、今でいうプライベートゾーンとか人にあまり近付き過ぎないとか、そういう性教育とかも大切なのかなって。
そういうのを重点的に学校ではやっててもらったらいいかなとは思ってます。

医療的ケア児の家族の語り

運動会の組体操で、他の子に混じった娘の姿を探した。今まで目立ちすぎていた娘を探さないといけないことがどれほど嬉しかったか

最終的にほんとに良かったのが、6年生の組体操なんです。
そんな、組体操なんかできるようなもんじゃないんですけれど、でも混じってやってたんです、それなりに。

その場でそこに立つとかいうこととかもできるようになって。
ほんとに「え、どこにいるどこにいる、うちの娘どこにいる」って、探さないといけないって、このうれしさ。

いつもは目立ち過ぎてたんですよ。
なのに、探さないと分からないって。
このうれしさがすごい良かったですね。

何でその小学校にどうしても入れたかったのかっていうとこなんですが、その醍醐味を味わいたかったっていうところもあるんです。

娘を他の子どもの力で引っ張ってほしい。
大人の与えられたような、そのラインでじゃなくて、子どもたちのその魅力で。

子どもたちが何を当たり前に感じて、何を当たり前にして生きているかというのも、一緒に味わってほしいと思ったので。

「集まるってこういうことなんだ」とか、「校長先生が前に行ったら、静かにするもんなんだ」とか、そういうことですよね。
「話を聞くってこういうことなのか」とかっていうところとか。

まあ今でも守ってませんけれど、でも、そういうふうにね、そういうのが学べるなって思ったので。

医療的ケア児の家族の語り

息子は立てるかもと、リハビリの先生が装具をつくった。学校の学習発表会で舞台に立つ息子の姿には感動し、教育の力を感じた

あるときに、息子は歩けないんですけどもLLBっていう足につける装具をつけて立って歩くことができたんですよ。

初めての場所とか、大きなセレモニー的なものって息子はあまり好きではなくって、寝て過ごすことが多くって。
デイサービスの卒園式とかも寝ちゃっていて全然感動も何もない、むしろ寝てるみたいな感じで思って、そういうのを嫌いなんだなって思って見てたんです。

でも小学校の3年生までずっと寝て過ごしていた学習発表会では4年生のときに起きて、しかも、そのLLBっていう装具をつけて立って歩いてステージの上にいたんですよ。
もうそのときにすごく感動して、周りのお母さん方も「いやー、立ってるよ」、「起きてるよ」みたいな。

いや、もう本当に?と思って、私もすごいって、これは本当にすごいことだって。
何ていうのかな、リハビリももちろん感謝してる、病院の先生もヘルパーさんもみんなに感謝してるって。

でも、これはもしかしたら教育の力なんじゃないか。
毎日学校の先生がいろんな言葉を声掛けてくれて、いろんな刺激を与えてくれる。

その教育っていう力がもしかしたら、息子も起きてなきゃ、立って歩かなきゃっていう意識にさせてくれたんじゃないかって思ったら、これはすごいって思って、教育ってすごいって思って。

医療的ケア児の家族の語り

学校に入ってジェスチャーで自分の気持ちを伝えることを学び、情緒が安定してきた。今では一週間のスケジュールも把握している

知的のほうに関しては、学校に通うようになって学校生活の中でほんとに、教員のおかげで伸びて、落ち着けるようになりました。

小学1年生の頃は何か自分が嫌なことや不快なこととかがあると、髪の毛を引っ張ってみたりとか、カニューレをぐーって取ってみようとしてみたりとか。
そういうジェスチャーっていうか、よくない、危ない行為なんかをしていて、私はひと時も離れることができなかったんだけれども。

自分の意思を発する、自分の気持ちを人に伝えるっていうことを学校の生活や学校の教育の中でちょっとずつ学ぶことを通して、バツーとか、オッケーとか、ジェスチャーで表せるようになって。
で、本人は相手に自分の気持ちが理解でき、してもらえるっていうことが徐々に分かってくるようになって、本人のその情緒の安定っていうのにもすごくつながってきてます。

今ほんとに情緒的には安定していて、あんなに目が離せなくて、あんなに危なくて、保護者が横にいないと、何しでかすか分かんないっていうような子が、今は1日ね、学校看護師さんの元で、1人で学校生活が送れるようになって。
ほんとに私もこの2年間か、3年ぐらいの間に徐々に、子どものことだけじゃなくって違う分野のほうでね、活動ができるようになってきました。

これは家庭で取り組んだことなんですけれども、私のほうで絵カードを作って、月、火、水、木、金、月曜日はこういう予定、火曜日はこういう予定、水曜日はこういう予定っていうのを見よう見まねで、あの、作って。
まあ視覚から入って認識するっていうのをやっていく中で、本人が分かるようになったし。

本人が自分からきょうは月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日、土曜日、日曜日っていうので、
「日曜日はパパはお休み。お姉ちゃんもお休み。ママもお休み。私もお休み。みーんなお休み」って(ジェスチャーで)言ってみたりとか。
金曜日は自分はデイ、たんぽぽっていうデイなんですけど、たんぽぽに行くとか、ママはおうちとか。

自分で発信ができるように今なってきて、ほんとに何て言うのかな、自分で理解して日々生活してるっていう状況ですね。
だから、それもぜーんぶ学校の教育のおかげだって、うん、すごく思ってます、はい。

医療的ケア児の家族の語り

コロナ禍で家にいると昼夜逆転し子どもの機嫌も悪かったが、学校で緊張する時間が長くなると体力消耗し家でも落ち着けるようだ

――お子さん自身が、学校が始まって何か変わったことってありますか。

そうですね、3月31日まで保育園に週4〜5日通って長時間親と分離してたから、朝起きたらもう外に出るものって思っていました。
3年間そうやってきたのに、コロナで学校がしばらく自粛でね、オンライン授業だったんですね。

それでね、生活リズムが崩れちゃって。
ま、コロナに4月1日からもう家にずっといるものってなっちゃったんですね、息子がね。

昼夜逆転が甚だしくなりましたし、医療的ケア児なんですけど、もうすごい体力が有り余ってるんですよ。

だから、外に行って社会的なかかわりでね、社会的緊張も必要ですし、いろんなアクティブな活動をして初めて家で眠れる子なので。

コロナの自粛のときに生活リズムが崩れたため、6月から学校が再開したとき、ずっと学校で寝ちゃってたり。
あと、本当になんで突然外出しなくちゃいけないんだって。

うちの子、目も見えてないし耳も悪いんですよ。
耳は補聴器なんですけど、ハウリングしやすいから、家でちょっとつけられてなくて。

だから目も見えてなくて、耳も家の中で聞こえづらいから見通しが持ちづらい中ね、なんで外に出るんだって言って、しょっちゅう大暴れして、車いすに乗せてましたね。

今は引っ越したので、もう毎回朝はこの時間に起きて、学校に行ったり、病院に行ったりとかね、外出するものってなったのでね。
学校に行っても起きてられる時間が長くなったみたいですね。

医療的ケア児の家族の語り

吸引は看護師、栄養注入は学校の先生がやってくれる予定だったが、先生を指導する看護師が厳しく、付き添いが外れなかった

学校では最初にバスに乗りたいと言ってみたけど、検討しますという行政のよくあるお返事をいただいたまま今もかなわずで、あとは他の医療的ケアは吸引は結構早いうちに看護師さんがやってくれるようになったんですけれども。
注入は先生がやってくれるので、そのときの看護師さんが厳しかったのと先生がちょっとおっちょこちょいだったので(笑)、その注入が結構、時間がかかって、長くなりましたね。

酸素が通園のときは全然、看護師さんたちも酸素の流量変更とかできたんですけど、学校は酸素を常時使うことはできるけど、流量を変えたりということができなくって。

1年生の途中、酸素の値がちょっと不安定な時期があって、そのときに酸素を上げられないため、またずーっと付き添い、1回付き添いが少し解除されてたのが、また1日付き添いになったりとか、とにかく酸素に振り回された1年でした。

とても明るくていい先生だったんですけれども、給食のときに牛乳をこぼしたりとか。
んー、何て言うんですかね、牛乳とかこぼしても「ああ、やっちゃった」みたいな感じの先生で。

多分看護師さんがちょっと気に入らなかったのか、家ではそんなに厳しくやってないんですけど、シリンジに気泡が、1つでも入ってたら駄目とかすごい厳しく言われてたんですよね、そんなことで合格できないんですかってすごい思ってたんですけど。

――でも、文句も言えず。

そうです、そのときは言えなかったですね。
先生も文句は言わず、毎日一生懸命やってたけど、そういうところがあって、「全然合格できないんですよねー」って言って、そんな、なんか、ちょっと、そういう先生でした。

まあ、先生最後のほうはもうちょっと軽くうつ気味だったのかなって思うぐらい、諦めてたというか。

学校は「おうちと同じようにやります」って言うんですけど、でも結局マニュアル、マニュアルっていう感じで、ちょっと変更しても「マニュアル変更するからしばらく付き添いです」とか、そういう感じで。

数カ月はそういう感じで、最後のほうにそういう話は学校では文句は言ってなかったんですけど、訪問看護の人とかには言っていて、訪問看護さんがきっかけをつくってくれて。

学校と話し合いをしてくれて、そのきっかけで多分他の先生がケアをやってくれることになって、そこからはすごく早くて、他の先生だとすぐ合格できました。

――もっと早くそれがあれば、なんて。

今はすごく思いますけど、あのときはもう、ああ、よかったっていうぐらいで。