月別アーカイブ: 2023年3月

医療的ケア児の家族の語り

普通小学校入学にあたり行政との交渉が難航した。議員らにも働きかけて、学校に看護師を派遣してもらい、無事入学できた

日々ちょっとずつ、どんどんできるようになるとうれしくて。
幼稚園に、療育をしながら、小学校行かせようとしてるお母さん方もいっぱいいるんですよね。
そういうお母さん方に憧れるんです。私もそうなりたいな。
私、そのメリットをすごく聞くんですよね。小学校に行った時の。

うちの娘にもぜひそういう体験をさしてあげたいと思いまして、何とか地域の小学校に入れたい。
ただ、この戦争は長いよっていうふうには言われてまして、2年前から、年中さんの頃から、いろんな人に声を掛けたりとか。

担任の先生に注入してもらえませんかって言ったら、担任教諭はそういうことは一切できませんっていうことで。
じゃあ、保健室の先生お願いしますって言ったら、保健室の先生は、800人の子どもたちを見てるから、あなた一人のお子さんだけを見てるわけではないからっていうふうに言われるんですね。
保健室の先生は、保健室の先生の仕事があるんですっていうふうで、断られてるんですね。

本当にその難しさっていうのを(知って)。
看護師さんの人件費を出したらいける。看護師さんを雇うって意味でね。
でもその人件費を出すのは市じゃなくて、あなたが出すんだったらってふうなんですけど、もちろんそんなことできるはずないじゃないですかっていう。
そんなお金持ちじゃないのにっていう感じだったんですけど。

それをどう乗り越えようかなっていうところで、ほんとにいろんな人の声と理解を求めて、議長さん、議会議員の方とかにも、話し掛けに行って。
そうすると、いろいろ声掛けまくったので、少しずつの声が固まりまして、理解してあげようじゃないかとか、こういうことまだ間に合うんじゃないかとか。

基本的に小学校上がる前の、年長さんの10月ぐらいまでには大体決めとかないと、その後の、小学校の現場での、場所なり人的な確保っていうとかいう問題があるんで。
もう本当に最後のプッシュで、それでもそれでもって、どんどんやってて、2月のほんとに末ぐらいの時に、OKが出たんです。
もううれしくて。そこからランドセルを買って、入学式に間に合わせたみたいな感じですね。
ランドセルなんか背負えないんですけど、大き過ぎて。まあ、そんなんで行きました。

実際のところ学校のほうは、担任の先生以外に、その注入をしてくださる、看護師さんを付けてくださいました。
その先生のおかげで、担任の先生は療育のような感じで、学校のやつ(授業)を進めてくださって。
ちょっと、学校のことをちょっと悪く言ったような感じがするんですけど、そうではなくて、本当にすごくいい学校なんですね。

医療的ケア児の家族の語り

地元の友達を作りたいという思いで、幼稚園での交流を始めた。他のお母さんたちも応援してくれ普通小学校への入学が実現した

当時(1990年代)、重度の娘のような、そのときにはチューブ栄養はしてなかったですけれども、始終、喉がゴロゴロしていたりとか、座位も取れない寝たきりの子で、座位保持型の車椅子に乗って、自分で動くこともできない。
手足を自分の意思で動かして、何かできるわけではない。
そういう重度の心身障害の子どもを、地元で受け入れるっていうことは前例がないことだったので、交流であっても非常に、ハードルは高かったです。

何度も話し合いを進めて、教育委員会の人も交えながら、園長と幼稚園の先生方と、主任の先生方との話し合いを進めました。
当時まだ離婚していなかった夫も、別居中だったんですけれども、家族全員の同意がなかったらというふうなことを園長がおっしゃったので、別居中の夫まで引っ張り出して、話し合いに参加させたこともありました。

そういうふうな中で、じゃあいいですよ、お母さんが付き添うならばいいですよということで、月1回の幼稚園の交流が始まりました。
それが地域の子どもたちとの、まず初めてのいい出会いになったと言えると思います。

そんなふうにしていく中で幼稚園だとお母さんたちが、幼稚園に子どもを迎えに来るわけですね。
で、その時間帯辺りにも一緒にいたいと思ってしてると、だんだん娘のことを、他のお母さんたちも知るようになってきてくれました。

小学校への入学に関しては、一緒の地域に住んでいるんだから行って当たり前だと、お母さんたちが応援してくれるような、そういう流れになってきて。
小学校入学も、地域の人たちの後押し、お母さんたちの後押しがあり、ずっとその交流の様子を、毎回毎回、記録に残して、それを教育委員会に持っていくようなこともしていました。
教育委員会の人たちがその意味を理解してくれて、逆に教育委員会のほうから校長先生に、娘のことを受け入れてくださいと、最終的にはお願いをされたようです。

そういうお願いが来たのでということで、最後まで当時の、小学校の校長は受け入れに対して前向きではなかったんですけれども、教育委員会からお願いの連絡が来たので、娘さんを受け入れますということで。
ただし、保護者の待機が条件ですということで、小学校の入学がかないました。
もう、入学する年の2月のことでした。

医療的ケア児の家族の語り

普通小学校への転校に際し、市は学校看護師を2名雇い入れたほか、訪問看護ステーションとも契約してくれた

――お子さんが学校に通うに当たって、看護師の常駐とか何かこう、学校で配慮してもらったこととかってあるんですか。

市のほうから、小学校のほうに看護師さん募集を掛けて、現在2名の方が学校看護師として入ってくれています。
今はまだ慣れていないので、私が一緒に付き添っているのですが、訪問看護ステーションを市のほうが契約してくれて、一緒に訪問看護ステーションも学校のほうに入ってくれてます。

――ちょっと気が早いですけど、この先、中学っていうのも、数年後というか、近い将来。そのときはどういう予定でおられますか。

もちろん、市のほうに地域のほうに通いたいってことは、小学校転校するときにもうすでに市のほうに伝えたんですけど、「分かってるよー」って、市の方も言ってくれて。
「もう分かってる、ちゃんと受け入れたいから準備していくよー」っていうことは言っていただけました。

――市の中で、同じような状況のお子さんがいるのか、いないのかですけれども、その地域の中で雰囲気が変わってきたとか、他に追随するってか、自分たちもできるんじゃないかみたいな、そういう動きっていうのはあるんですか。

んー、ちょっと私のほうでは分からないんですけど、市の教育委員会の人たちは、うちの次女だけじゃなく、後々、他の子たちも同じような子たちも受け入れるように、環境を整えていきたいっていうことを言ってくれてたんで。
「もう実際おるからねー」みたいな感じで言ってたので、やっぱり同じように希望してる子はいるんじゃないかなーと思います。

医療的ケア児の家族の語り

普通学校は断られ、特別支援学校に通っていたが、姉が妹と通いたいと言ったことをきっかけに行政に働きかけ、普通学校に転校した

学校には、1年生から支援学校のほうに行ってたんですけど、4年生のときに地域の小学校のほうに転校して、お姉ちゃんと一緒に通ってるんです。
でももう普通、健康っていうね、障害とかない子たちと過ごしているんですけど、やっぱり、声とかにぎやかなのにすごく刺激になって、すごくにこにこと喜んで登校できています。

――支援学校から、4年生のときに転校するっていうのは、何かきっかけがあったんですか。

元々、小学校1年生のときから地域の小学校を希望してたんですよ。
そのときは呼吸器を付けてなくて、市のほうに何度も訴えたんですけど、受け入れを断られてしまい、支援学校のほうに入学して行ったんですけど、片道送迎に45分。
1人で送れないので、下の子の横におばあちゃんにも乗ってもらって、私とおばあちゃんと次女で3人で毎朝と、送り迎えずっとしてたんです。
でもそれが距離もあり負担でもあり、子どもが体調を崩すことがあって、それで入院も増えたりもあったんです。

ある日、上の子が「 (妹)と一緒に学校通いたい」と言ってくれて、で、ああ、私が1年生に通わせたかったんになと思って。
そこから市とか県のほうに、地元のほうに通いたいっていうことを働き掛けて、 県の方と、病院で講演する機会をいただいて取り上げてもらって、新聞とかでも。
それから、自分の市のほうからも受け入れが整い始めて、小学4年生から地域のほうに受け入れが決まりました。

医療的ケア児の家族の語り

娘がお兄ちゃんと同じ普通学校を希望した。市の担当者が学校のトイレ改修や看護師資格をもったアシスタントを探してくれた

学校問題が出てきたんです。
一緒に通ってたお子さんはそのまま隣接する支援学校に行く子たちが多かったんですけど、娘を見てて、どうしようかなって。
もっと可能性伸ばせるようなところないかなっていうのを考えて、コーディネーターの先生に2年前から相談をして、支援学校2カ所と地域の学校3つを何度か見学して、校長先生とかとお話しさせていただいたりして、それで小学校を決めようと思って。

そのうち、娘のほうが「地域の学校に行きたい」って言ったんです。
2番目のお兄ちゃんが小学校6年生のときに娘が1年生で入学するっていう年があって、「どうしてもお兄ちゃんと一緒に学校に行きたい」って娘のほうが言ったので、もう娘の気持ちを一番尊重しようかなっていうのがあってですね。

たまたまその地域の学校が、娘が入る3年前に建て替えでエレベーターがついたんですね。
だから、これはバリアフリー、ハード面考えても、ちょうどいいかなって思って。
校長先生に学校に出向いて「こちらでお世話になりたいと思ってるんですけど」っていうお話をさせていただいて、当時の校長先生は、「ぜひ一緒に頑張りましょう」って言ってくださって、それから、地域の学校に行くっていうふうに決めたんです。

教育コーディネーターの先生と一緒に市の教育委員会とかに行って、看護師配置とか、他県で、市の単独事業とかで看護師の配置とかをされてるっていうのも知ってたので、そういうのをお願いに行ったりしたんです。
でもやっぱり、なかなか予算がつかないとか、まあ、前例がないっていうのもあって、なかなかそこは難しいって言われたんです。

市の教育委員会の方も、一生懸命、一緒に考えてくださって。教育アシスタントさんを、そういう准看護師の免許を持った方とか、そういった経験者の方を探してくださって。
小学校1年生に上がる前に准看の免許を持った教育アシスタントさんを配置してくださいました。

ハード面も2階のトイレに身障者のトイレが一つだけあったんですけど、そこの前室にアコーディオンカーテンを付けてくださって。
他にもおむつを替える場所をつくってくださったりとか、娘が車いすで手洗いができるように手洗いに流し台みたいなのをつくってくださったりとか、すごく一生懸命してくださいました。

医療的ケア児の家族の語り

交通事故で医療的ケアが必要になり元の学校に戻るか相談した際、息子の状態や学校の負担、親の付き添いの負担も考え訪問籍にした

うちの子は、「(学校)どうしますか」という相談があったときに、事故だったので、(その前は)普通の学校に通っていたんです。
一時期お休みをして、で、「どうしますか」ということで、例えばそこに戻りたいという希望があれば、そういうお話ということも考えられるということで、選択肢としては、いくつかありますというお話だったんです。

息子の状態を考えたときに、例えば先ほどお話ししましたように、本人がどのくらい理解をできているのか、今よりも表情は少なかった当時としては、本人自身も微妙なところでした。
仮に、分かっていたとしても、その状態で、普通の学校に戻ることが、その学校に対する負担もあるかなっていうところとか。
例えば上の階には上るのは難しいとなれば、エレベーターを付けるとかっていう話にもなってくるとは思うんですけれど、そこまでを…(お願いできるのか)。
私と主人の考えとしてはなんですけれど、そういう子のために特別支援学校っていうのがあるんだろうというところもあって。

もちろん、例えば呼吸器を付けていたり、胃ろうがあったりしても、本人が明らかにきちんと理解ができていて、コミュニケーションが取れていたら、もしかしたら普通の学校に、戻れるなら、今までのところにっていう希望も多分、私たちもあったと思うんです。
でもそこがやっぱりはっきりしない状態で行くことが、本人にとってももしかしたら苦痛になってしまうかもしれない。

何も理解ができないまま、ただその時間だけその場所にいるっていうことは本人にとってどうなのかっていうところも、夫婦でも話し合いもして、専門家の方の話なんかも聞きながら、やっぱり特別支援学校がいいんじゃないかというところで。
まずは特別支援学校。その中で、通学か訪問かというところで。

通学をすることの、意義がどのくらいあるかということと、訪問のメリット・デメリット、やっぱりそれぞれあると思います。
その中で、そこはやっぱり移動するのもなかなか難しいというのがあるので、通学をするといっても移動自体がまず難しいということもあり、訪問で来ていただけるっていうのは、私自身の負担が少ないっていうところが1つありました。

医療的ケア児の家族の語り

24時間呼吸器が必要になり、学校をどうしたらいいか悩んでいたところ、県の支援学校の先生が病院に通う形で訪問教育が始まった

このまま呼吸器で行くかというようなことになったのが、本当に小学校入学直前の3月でした。
そこで24時間呼吸器になってしまったんですけれども。
もう療育も卒業なので、学校どうしようっていうときに。本当は近所に県をまたぐんですけれども、15分ぐらいのところに、肢体の支援学校があるので、そっちに行きたいなーと思って。
あの「入学したいんです。」っていうことで。
要望書を出して、ちょっと運動してたんですよね。

そこに「行きたいんです、15分なら何とか通わせてほしい。」っていう形で言ってたんですけれども、東京都から断りが来たのが2月の下旬だったんですね。
もう入学(直前)の、2月の下旬に断られて、3月の上旬に大学病院に入ってしまって。そこから1カ月間ぐらい入院してたので。一体どこの学校に通えばいいんだろうっていうことで。

教育委員会と相談して「もうとりあえず、こんな状態だし、お子さんに行ける学校はないから、もう遠くても県の支援学校の訪問教育ということにしましょう。」ということで。
本当に、具合が悪かったので、どうなるかも分からなかったので、とりあえず訪問教育受けますという形で。
学校の先生に、病院まで来てもらって、訪問で「あ、いろいろできるね」なんて言われながら、いろいろ楽器なんか持ってきてくれて、楽しそうにもしてたので。「訪問教育でいいです。」っていう形で。
小学校1年生は訪問教育で受けますということにしました。

医療的ケア児の家族の語り

家での吸引は自分でほぼできるので、中学に入ったら自分でさせてほしいと伝えたが、特別支援学校では自己吸引を許可してくれない

小学校5年生から自己吸引はするようにさせてます。
学校でも、中学校入ってから自分でするようにさせてほしいと、小6のときに頼んで。
…それが今問題になってて(笑)。
支援学校は、手厚くするために、自分がやらなくていい環境を取ってるので、わざわざ自分でさせるってことがない。

(地域の学校での)育成学級とかでは、自分で吸引する子って、多分結構いると思うんです。
支援学校で自分で医療行為をするっていうこと自体が、まず…支援学校なのにっていう考え方なんですね。
で、そこを話し合って、一応、就職とかを考えたら、やっぱり自分でできるようになるのが当たり前というか、この子にとっての身支度的なものじゃないですか。
服着替えれるようになります、ご飯食べれるようになりますの一部になってるじゃないですか。吸引も注入もなんですけど。

それをやってほしいって学校に頼んでるんですけど、学校からしたら、まず支援学校で自分で吸引をするっていうこと自体が、考えられなかったことであったし、やる必要もないっていう考えで。
それで、ちょっと…いろいろ学校とも話し合ったりとかしながら、一応進めていくっていう形にはしてる、学校ではしていってはくれる感じなんですけど、今私もそれで頑張ってます(笑)。

――支援学校は支援する環境だから、自分でやらなくてもいいって。それは誰の考えなんですか。全体がそういう感じなんですか。

そうみたいです。管理職の先生と、夏休み前だったかな、夏休みの間に話し合いがあって。
で、その教頭先生は、昔低学年のときに副教頭でいはった先生で、地方のどっかで働いて、教頭として戻ってきはったんですけど。
だから、子どものちっちゃい頃からのことも分かってるし、動ける子とか、そういうのも分かってくれてるんで…前向きに話はしていただいたんですけど。
やっぱり、その支援学校っていう特性が話しててこっちも理解した部分はあるんですけど、ちょっと複雑だなと思って。
支援学校という特性って結構あるのだな、っていうのは分かったんです。

ただ、自己吸引ができるようになったら、今度は注入も自分で学校でしてもらいたいから、まずはここでスタートじゃないんですって言って。
まず自己吸引をしてから注入も学校でさせたいんで、早くやらせてほしいですっていうのはちょっと伝えてるんですけど。
学校で今話し合いが行われてて。
ただ、進める方向ではいってるけど、それにはまずそういうカリキュラムやマニュアルを作らないといけない。
で、教育委員会とかも、そっちも関わってくる。そういうので、ちょっと時間はかかってはいるんです。

だから、多分中学校とか高校で支援学校に編入する子っているじゃないですか。育成学級から。
そういう子が、育成で自己吸引してて、支援学校では自己吸引できないんですかって言ったら、今はそうって言われたんで。
自分では、支援学校では今はさせないっていう、安全面とか、そういうのだと思います。

――難しいですね。

難しいです、もう。嫌になります。

医療的ケア児の家族の語り

特別支援学校では知的能力の育成にあまり力を入れてくれない。勉強や自立を考えているなら普通学校の支援級をおすすめしたい

――今中学生で、特別支援学校より(普通学校の)支援級、育成学級への転籍っていうのは、お子さんの医療的ケアとか発達上のことで、選択肢っていうのはあるものなんでしょうか。

逆は聞いたことないですね。
普通学校から支援学校は聞くんですけど、支援学校から育成学級っていうのは聞いたこともなくって。
ただ、支援学校の中にも高等部からは、もう結構独立できてる子が行けるなんか専門学校的な分野的なところもあるんです。
ただ、そこでは、やっぱり自分がやらないといけないんで、その医療行為があると、まず自分で通えないといけない。
そこがまず無理で。医療行為も自分でできない。

だから、そこがすごい悩みどころなんです。
勉強を重視するのか、体を重視するのかって考えると、学習面ではすごいもやもや感はあるけど、健康で学校に行けることを優先にしない限りは勉強もできないかなって思って、支援学校しかないのかなっていう考え方ですかね、私は。

――お子さんが今練習中っていうふうにおっしゃってたんですけど、医療的ケアがご自分でやれるような状況になれば、そういうことも可能な現状なのでしょうか。

自分で医療行為ができるようになっても、今から多分普通学校の支援学級行っても、能力がもう全然。
今で小学校2〜3年生のことをやってることなんで、もう行けないですね(笑)。
行くと、なんか周りの子に迷惑かけるとも思うんで。
もし初めっから育成(学級)で頑張ってほしいとか、あんまり知的には問題がなくって、ただ吸引だけがあるとか、もう自分でできるから普通学級に行きたいとか、育成学級に行きたいってなるんじゃないかなとは思うんですけど、でも多分今からだと、もう全然幅が広がり過ぎて無理だと思いますね。

能力が少しでもあるんであれば、育成(学級)をお勧めしたいです。勉強を重視するのであれば。
普通のところで働いてほしいとか思うのであれば、そうしてほしいかなとは思います。
自治体にもよると思うんですけど、支援学校って、うちのところは、卒業したら事業所みたいな所ありきで、学校生活をしてるのかなっていうのを私は思ってるので。

なんで、普通の、アルバイトでもパートでも、普通の仕事をしたいんであれば、支援学校は、私はあまりお勧めしないかなって。育成行って、それでも駄目だったら支援学校のほうがいいんじゃないかなって。

ただ、お母さんたちとか、支援学校のほうがデイ(サービス)とかも行きやすいし、お迎えもあるし、スクールバスもあるしっていうので、知的にはすごい軽くても、今はもうお母さんが選べるじゃないですか。どっち行ってもいいですよ。
だから、知的が軽い子でも支援学校に来てる子は、結構多いです。

東京はどうなんですかね。うちのところは総合支援学校なんです。総合なんで、知的も肢体も一緒なんです。
ただ、違う県では、肢体と知的が分かれると、今度はそっちだと結構お勉強はするらしいんです。知的のほうは。
なんで、本当に自治体にはよるんですけど、総合のところはちょっと考えたほうがいいかもしれないですね。

医療的ケア児の家族の語り

普通学校に入学したが、2年生の終わりに吸引や休憩は待機室で行うよう言われ、悔しくて学校に行けなくなり支援学校に転校した

2年生の終わり、3月31日に離任式って学校の先生のお別れ会がある。
その日に学校に行ったときに、帰りに校長室に呼ばれてですね。私と娘、呼ばれて行ったんです。
そこで、校長先生から、「小学校3年生になる前にお母さんにお願いしたいことがあります」っていうことで、3点告げられたんですけど。

まず、吸引は他の子が気が散るので、それまでは教室内で後ろを向いて吸引をしてたんですけど、「もう今度からは教室の外に行って、保健室なり、そういったところで吸引はしてください」っていうのが1点。

で、水泳の時間も、みんなはちっちゃいプール、まだ低学年だったので、小プールに入ってたんです。
その小プールの横に小さいビニールプールを用意してくださって、そこに教育アシスタントの先生が抱えて、娘とそのビニールプールに入って、手遊びしたりとか足をばたばたさせたりっていうのを水泳の時間、させてくださってたんです。
でも「やっぱり水泳は危ないので、もう3年生からは(水泳の)授業は見学で参加してください」っていうふうに言われたんですね。

で、3点目に、娘、側弯が進行してきてて、授業中、横になって授業を受けれるのは、まあ、1時間程度ですかね。
午前中1時間ぐらい簡易ベッドを市の教育委員会が用意してくださって、それに横になって授業を受けてたんですけど。
「横になってる生徒に、担任は何の指示も出せません」って。
「だから、その休憩してる時間は、お母さん、待機室に連れてってください」っていうふうに言われて。

決定事項としてそれを告げられてしまって、私はなんか、「何……何で今頃、そんなことを?」って思って、もう悔しくて、悲しくて、涙しか出なくて。
それを横で一緒に娘も聞かされて、そのデリカシーのなさというか。
そういったところにも、もう。学校に対して不信感しかそのときになくって。私の中では、この学校に足が向くことはなかったんですね。

どうしても、娘とこの学校に登校するっていうことが私の中でどうしてもできなくって。
たまたま、すぐ、こども療育センターの小児科の受診が入ってたので、その先生に相談して「こういうふうに言われました」って。「もう、私、あの学校には行けません」っていうふうに相談し、「支援学校に転校したい」って私がそのときに申し出たんですね。
そうしたら、その小児科の先生も、「お子さんの今後を考えたら支援学校で、プロというか、専門を学ばれた先生の下で体調を見ながらとか、側弯なんかも防止しながらそこでできることを増やしていくっていうのも一つの選択肢ですね」っていうふうに言われて。
私もそれだったら支援学校に転校しようかなと思って、その手続きを始めました。