年別アーカイブ: 2023年

医療的ケア児の家族の語り

地域の避難訓練に参加し、吸引やアラーム音、荷物の量など知ってもらった。家が一番なのでできるだけ家で過ごせるよう準備している

地域の防災訓練に1度だけなんですが、お声掛けいただいて、参加をさせていただいて。
地域の方も医療的ケアが必要であったり、呼吸器が付いていたり、寝たきりの方が来るっていうことが、どういうものが必要かなど、そういうことが、経験としても分からないし、実際にそういう方に会ったことがない人のほうが多いということで。

私たちも練習をさせていただけるし、受け入れ側としてもそういう経験を積みたいということでお声掛けいただいて、1度避難訓練に参加させていただいて。
例えば車いすにずっと寝て、座っていることは負担なので、寝るために、横にするために、布団までいかなくてもちょっと横になれるスペースが必要であったり、呼吸器のアラーム音っていうのはこのくらいの音量が出るものであるとか。

コンセントが、このくらい電源が必要ですとか、その辺は吸引をしたらこのくらいの吸引の、機械音以外にも吸引のたんが上がる音とかっていうのは、一般の方は聞き慣れないと思うので、そういったものがもしかしたら、周りの方たちは不快に感じるかもしれないとか。

それが24時間、夜中でも必要になってくるっていうお話を、まあ状況を見ていただきながら、実感として感じていただいた。
必要な物品として「このくらい必要なんです」っていうのを、実際に荷物を持って行って、皆さんにその重さのリュックをしょってもらったり、荷物を持っていただいたりした。
1人動くだけでも、それが2~3日の量でもこれだけ大変なんですっていうことを、ちょっと体感していただけたっていうのも1つ大きかったと思うんです。
まず知っていただくっていうことが大切かなと思っています。

一番最悪のことを想定しての避難なので、一番いいのは、自宅で過ごせること。
どんな災害時であっても自宅が一番物品もあるでしょう。
なにより家族がほかの方への、アラーム音であるとか、そういった迷惑を掛けるんじゃないかっていう精神的負担を感じながら過ごさなくていいっていう意味でも、自宅で過ごせるっていうのが一番大きいと思う。
なるべく自宅で過ごせるように非常用の蓄電池を準備しておいたりとか。

物品も吸引用のお水であったり加湿用のお水であったり、まあ、お薬ももちろんですし、いろいろなものが1週間分は多めに、常にストックを置いておくっていうこと。

今、ベッドはエアマットを使っているんですけれど、エアマットも今のものは性能が良くて、2週間くらいは電源を抜いても縮まないっていわれてるんです。そういったものを使う。

もし寝せる場所が、そういったものが使えなかったときのために、キャンプ用品で代用できるようなものを準備しておいたり、なるべく家で何とか救助が来るまで過ごせるだけのストックということも考えて準備していますね。

医療的ケア児の家族の語り

災害時に向け蓄電池2つと発電機1台を持っているが、それでも電気が止まったときに1日もつかどうかで、電源確保が課題だ

一番困るのが電気です。
蓄電池を2つと発電機を1つ、常備しておりますけれども、昨年台風が直撃をいたしまして、私の住んでるこの辺りも結構、物々しい雰囲気になりました。
そのときにですね、東京電力さんですとか、保健所ですね。ヘルパーさんからも事前にご連絡をいただいていて、こうなったときはこうしましょう、ああしましょうというふうに、道筋はできていたんです。

電気が止まってしまうと、もうどうにもならないんですよね。
そういうときはもう病院に行くっていうことも、一応確認はしたんですけれど、呼吸器のバッテリーを、いつもより多めに貸してもらえないかというのを呼吸器さんのメーカーに問い合わせをしたんですけども、それも難しくてですね。

呼吸器をどう作動させるかというのは、まだ答えが出てないんです。
一応、何時間か伸ばせるような仕組みというのは、自力では備えているんですけれども、おそらく持って1日なんですね。
どれかみんなリレーして使って、1日持つか持たないかというところですので、その先は、さあどうしようかなというのはまだ課題ですね。

医療的ケア児の家族の語り

電源確保の助成、障害児家族も対象とした避難訓練、災害時の福祉避難所の確実な開設を区議会に要望している (音声のみ)

災害では、呼吸器が必要な子にとって電源の確保はものすごく大事なので、そこに対しての助成だったり、実際に八王子市とかつくば市とか北海道では助成金だったり、電源確保のサポートがあるので、そういうのを進めてほしい。

区でやっている避難訓練は、障害のない人向けにつくられているので、障害のある人たちも避難をしなきゃいけないし、より困ってしまうので、避難訓練の中に私たちのような家族も含めてほしいとかっていう冊子(をつくる)。

今年あった台風での避難で、福祉避難所が区であるんです。
障害のある人たちはそういうところに行くと、より安全ですと説明されてたのが、実際今回の台風、1個も開設されなかったんですね。
私の住んでいる区では、全ての小中高、大学、民間の施設、全てで避難所が開設されたにもかかわらず、福祉避難所は1個も開設されないっていう現実があって、そういうの改善を求める。

医療的ケア児の家族の語り

娘が生まれた年は記録的な大雪で、病院にいくため自家用車もタクシーも利用できず、病院近くの施設に泊まり込んだ (音声のみ)

2017年は、60年に1回の大雪の年だったんですが、最初、娘が生まれたばかりの10月、11月はまだ、12月の半ばくらいまではそんなにいつもと変わらない気候だったんです。ただ、それ以降、2月の半ばぐらいまで、もうすごい量の雪が積もって。

自分の背丈よりずっと高い高さの雪が降ってしまって。
いつも車で面会に行ってたんですけど、車は、自分の家の駐車場から出せない状況。
じゃあ、タクシーでって思ったんですが、今度タクシーの運転手さんが自宅から職場まで行けないので、タクシーもほとんど運休。
タクシー会社に予約の電話しようと思っても、30分間コールし続けても全くつながらないっていうのがもう何回もあって。

ただ、娘は、もう本当にいつ何があってもおかしくないっていう状況で入院してたので、もう本当に今日何もないで、あ、今日だけはもう何も起こらないでくれっていう、そう願いながらこう夜を過ごすっていうことがありましたね。

考えたというか、実際やったんですけど、雪がだんだん、本格的になってきたときに、病院のすぐ近く、徒歩1分ぐらいのとこに、元看護師さんたちが寝泊まりできる格安の、今使ってないマンションみたいなところを借り上げてるのかな。1日2,000円で空いていれば泊まれるんですよ。

小児科に入院している子どもの家族とか、遠方から手術で来るために、その親が泊まる場所がない。
そういうときに使う施設があるんです。そこが1カ月にマックス2週間まで、日数14日間借りられる。そこをもう帰らなくてもいいように早くから押さえて。

うちは病院から15分の距離なんですけど、それでも、家から出られなくなってしまうとかあるので、近くのマンションを大学病院の人(職員)ではないんですけど、やってらっしゃる方に連絡して、借りてましたね。

そこが、月の上限が14日で決まってるので、空いてなかったときは、その近くに不動産屋さんがあって、ウイークリーみたいなとこありませんかって聞いたら、ちょうどあるって。
徒歩5分ぐらいだったんですけど、3,500円ぐらいで借りられるとこを借りたり。
二つの場所を行ったり来たりしながら過ごして、帰れるときは家に帰るっていう感じでしてましたね。

医療的ケア児の家族の語り

息子は胃ろうのみなので電源がなくとも生活できた。普段からラコールや水の備蓄はし、災害時は病院にいくことにしている

北海道の大停電があったときには、うちの息子は呼吸器を使っていなかったので電気はなくてもどうにか生活はできたんですけども、呼吸器をつけてる子たちは病院に避難したり、充電池とか蓄電池とかを充電してもらいに近くの病院とかガソリンスタンドに行って電気をもらったっていう話は聞きましたね。

うちは、ガスが出て、水も出たので、お湯は出なかったんですけど、そのときには、大丈夫でしたね。秋だったっていうのもあって。

今、通院している病院が近いので、何かあったら病院に集合とは、子どもたちにも主人にも言っている。
実際、ラコールも薬も予備分を持っておいたり、水も予備分を持ってるんですけども、それが何日間になるか分からないので、避難できる場所を確実にしておく。

医療的ケア児の家族の語り

台風で停電し救急車を呼んだが、道路の浸水で立往生した。電源の安定した県病院に移動するにも普段20分のところ2時間かかった

在宅をはじめて、1年も経たないうちですかね。大きな台風がきまして、この辺浸水したんです。
うちは浸水しなくて大丈夫だったんですけど。

停電が起きて、10分ぐらいたって電力会社に電話したら「まだ復旧の見込みはない」っていう返事で、すごく怖くなって、どうしようと思って。
15分ぐらいたったところで救急車を呼びました。
「もう既に全部出払ってて、1台もそっちに行けない」っていうお返事で。

慌てて、まちの消防団の方に自家発電機を借りるようにしたんですけど、持ってきてくださった自家発電機が外で使うもので、外は雨風激しくてとても使えない。
自家発電機が使えなくって、どうしようってしてた頃に救急車が1台来てくれて。

やっと救急車に乗り込んで、車両の中の電力をもらって呼吸器は動かせたんですけど、もう浸水してて、救急車も身動きが取れなくなってしまって、どうしよう、どうしようと言って、そこに2時間ぐらい滞在したかな、救急車の中で。

その後、近くの老人ホームの施設長さんがうちの隣の家の方で、声を掛けてくださって「老人ホームのほうに来なさい」って言ってくださって、何とか行かせていただいて。

夜が来る前に県病院の主治医の先生から「夜になると怖いので、今のうちに県病院に何とか避難してくれ」っていうお電話があって、県病院の主治医の先生が国土交通省の車を手配してくださって、国土交通省の車を先導車にして救急車に乗って。
普段、うちから20分で行ける県病院を2時間かけて、田んぼ道を通って行ったっていう経験があります。

救急隊員の方には「何で早く避難しないんですか」って(言われた)。
それからは大きな台風が来るっていうときには前日から県病院に避難入院させていただいてます。

――ごきょうだいはそのとき、どうしてたんですか。

うちの家の前の方が「下の子のことでいっぱいだろうから上のお兄ちゃんは僕たちが連れて避難するから大丈夫だよ」って声掛けてくださって、結局、うちの両親が来てくれて、うちの両親と避難したんですけど。
本当にすぐ駆けつけてくださったので、その近所の方が。
地域のつながりって大事だなってそのときも思った出来事でした。

医療的ケア児の家族の語り

障害のある子とない子が一緒に育つ教育環境、医療的ケア児に関する情報が行政の中で連携されるよう求める(音声のみ)

(陳情書の内容は)教育のことに関して言えば、インクルーシブ教育。
今までは障害のある子、ない子で、分けられた生活だったと思うんですけど、今こうなってみて、自分が差別してた、その差別してた原因って何だろうって思うと、自分は小さいころから障害のある方たちと触れ合う機会って全くなかったので、やっぱ怖い。どういうふうに接していいか分かんない。

きっと相手は理解できないだろうって思ってたけど、実際こうなってみたら、脳性まひの方でも理解は普通だったり、全く私たちと変わらないとか、障害があってもなくても、きれいになりたいとか、おいしいもの食べたいとか、そういう気持ちは一緒だってことを知って。

なので、小さいころから同じ空間をともにすることが大事だっていうのを、今身に染みて感じるので、インクルーシブ教育をもっと進めてほしいっていうこととか、制度の狭間にいる動ける医療的ケア児の子たち、普通の保育園にも通えないし、障害のある子、息子が行っているようなデイサービスにも動けるから無理ですって断られてしまって、どこにも行くとこがないっていう子どもたちが、ちょこちょこ増えてきているので、そういう子たちの行く場をきちんとつくってほしいっていうこと。

制度のことに関しては、例えば、息子が7カ月入院していて、在宅始まるときに、必要な吸入器とか、必要なのに助成金が出るのは退院してから行う申請の書類が、例えば障害者手帳とか、小児慢性のものとか、そういうのが出ないと助成金が受けられない。

でも、それを申請できるのは、大体、退院してから、1歳なってからとかじゃないとできなくて、結局実費での負担っていうのがものすごく大きくて、だったら領収書を取っとけば後から申請できる、そういう制度を変えてほしい。

使う制度によって問い合わせる課が全く違くて、その課が全然情報共有をしてなくて、もう、こっち行ったら違います、あっち行ったら違いますっていうような形であったり、いや、これは分かりません、あれは分かりませんって、細かく分かれているので、この医療的ケアに対して情報共有を課がまたがるのであればするとか、医療的ケア児に特化した人たちをつくるとか、チームをつくるとかって、そういうのをやったりしてほしいっていうのとかっていうのを訴える。

まだ、これから育っていく上で、今度小学校入学、自立ってなると、また違う問題が出てくると思うんですけど、今2年間息子を育ててきて、今出てる問題で、直面したことに対して区に対して陳情を出しました。

医療的ケア児の家族の語り

仲間内で愚痴程度に話していた内容を陳情書の形で3つの区議会に出した。改善まではされていないが、まず第一歩だ (音声のみ)

仲良くなったママと、愚痴程度に話してたものを、そのママの提案で、まず議員さん、区に話してみようっていうことで、そのママの住んでる区の議員さんに相談しに行ったら、陳情書っていう形があるっていうのを教わって。

いろいろ相談をして行く中で、陳情書にしよう。
じゃあ、私の住んでいる区、そのママの住んでいる区、両方出しましょうっていうことで、最終的にはもう1人別の区に住んでいるママが加わって、3つの区に陳情書を出そうってなって。

私の住んでいる区と、もう1個の区には出したところで。
私の住んでいる区では、ありがたいことに4人の議員さんがその陳情書を見て、興味を持ってくださって、「実際にお話聞かしてもらえますか」って。
少し前に区役所の議員会館に行ってお話をして、「議会に上げさせてもらいます」っていうことで、協力的に動いてくださっている。

議会でお話ししてくださって、結果はあんまりいい方向では(なく)、改善の方向には行ってないんですけど、私たちみたいな家族がいるっていうことと、困ってるっていうことを、まずは知ってもらえたっていうだけでも、まず大きな一歩。
引き続き継続してそれは審議してくださるので、それが良くなっていけばいいなっていうふうに思ってます。

医療的ケア児の家族の語り

区の福祉センターに医療的ケア児を受け入れてほしいと活動し、実現した。引っ越し先の他区でも重症児のデイサービスを作る活動をする

前に住んでいた区が面積が小さくて人口も少なくて、小児人口が減少してた地区だったので、小児人口を呼び込もうって活動をしていて。だから、そこに障害児がいてもって。

ただ、すごい障害児には厳しい、特に医療ケア児には厳しいエリアでした。
仲間と活動することで、地元の子ども福祉センター、家庭支援センターに行ったり。
地元の福祉センターも、医療ケア児は親がついてても受け入れられませんって言われて。

それが理不尽だなと思ったので、1年かけて交渉して、迎え入れてもらったんですね。
今、後輩たちの話によると、定員がいっぱいになるぐらい。
私たちが迎え入れてもらって、ニーズがあったわけですね。
今はそこの区にとって重要な社会資源の一つになってるんじゃないかなと思いますね。
福祉センターで受け入れてもらったことはね。

私が今住んでる区に重心児童デイ(重症心身障害児向けのデイサービス)が一つもない。
それで、うちがお世話になったスーパーNICUほどじゃないけど、NICUがある大学病院があって、多くの命を助けてくれている区なんで、医療ケア児が次々と生まれることは想定内なのに、一つも、重心児童デイがないために、みんな他区に行かなければならないって状態。

仲間と重心児童デイをつくってくださいって活動したんですけど、駄目でしたね。
区によってやり方がそれぞれ違うので、この区にはそのやり方が通用しなかったのかなって思いましたし。

だから、ここの区に来てから勝ち取れてないんですよ、実は。
今回、区の障害児福祉計画を見直す時期なのでね、素案説明会ってのがあって、仲間と一緒に行ったり、それを仲間それぞれが意見表明したりとかしてますね。

ただ、うまくいかなくても諦めずにアプローチを続けるっていう体制でおります。
端から見れば何も勝ち取れてないじゃない、このグループって思われても、いや、そんな簡単じゃないけど、ただ、その精神はね、つらい思いを一人で抱え込まないように、みんなで共有して、この先、学齢期になったらこういう課題があるよっていうのも情報提供して、覚悟っていうかね、準備しといてもらうみたいなこともやってます。

医療的ケア児の家族の語り

同じ境遇の親で集まって当初は泣いていたが、そのうち退院時の相談や親子イベントを開催し、支援活動をするようになった

もともとは私たち全員、毎日泣いてた、何かしゃべると泣くみたいな感じだった。
私たち女子会って呼んでたんですけど、女子会をすることによって泣く回数が減っていくんです。
泣く回数が減って、笑う回数が増えてくると、今度、情報が入るようになってくる。

情報が入ってくるとたくましくもなるし、今度、外に出て行こうとか、あそこに行ってみたいって。
「じゃあ一緒に行こうよ」とか「先に行った人たち、どうだった?」とか、話してくれる人がいると、今度、自分の世界も広がっていく。

そうやって私たちは、乗り越えてきたけど、あの頃の私たちみたいに病院から出てきて、どうしたらいいか分かんなくて泣いてるお母さんたち、いっぱいいるはずだよね。
そういうお母さんたち女子会に呼ぼうよみたいなことがあって。
どこまで呼ぶ?とか、この集会室で何人までだったら入れるんだろうとか。

そうこうしてるうちに市の人たちから、今度こういう人が退院してくるんです。
お父さんがこういう人でお母さんがこういう人で、こういう病気なんだけど、面倒見てあげてくれませんか、みたいな話が来て。

話聞くのは全然いいし、うち見に来てもらうのもいいんだけど、そのお父さん、お母さん、子どもの個人情報を、1人の私が聞いちゃっていいの?っていうのがあって。
だったら名刺を市役所に置いとけば、何かあったらここに連絡しなさいみたいな感じのほうが良くない?ってなって、「じゃあさ、グループつくっちゃう?」みたいなノリでつくった。

それを最初は社協(社会福祉協議会)に持っていったんです。
社協でボランティアさん探してほしいとか、場所を借りれないかとか、そういう話を持っていったら、大学の先生を紹介してくれて。
そこの大学は福祉学科とか、作業療法学科とかあるので、協力してもらえるんじゃないかって紹介いただいて。

その先生が場所と学生を貸してくれるようになって、何カ月かに1回イベントできんじゃない?声を掛けられるように、会員さん募ったらいいんじゃない?っていうのが始まりです。