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医療的ケア児の家族の語り

息子が2歳のときシンガポールに1週間滞在した。航空会社、酸素ボンベの会社などにあらかじめ連絡しホテルはキッチン付きを手配した

準備は、まず、日本の今いつもお世話になっている酸素(ボンベ)の会社の方に事情を説明して、シンガポール(にいく方は)初めてですっていうようなお話をしました。
向こうの電源のこととか、飛行機上のことですとかも。

飛行機のルールって結構しょっちゅう変わるらしいんです。
持ち込みが酸素のボンベ何本までとか1本幾らでお貸ししますとか、そういうのも結構いろいろ状況が変わるので、そこはご自身で調べてくださいっていうことで。
まず航空会社をチケットを買った後にすぐ、連絡をして、日本の航空会社だったので、やり取りがスムーズにいったのでよかったです。

酸素の持込量の規定とか、酸素会社の方とも連絡して、ボンベを持って行くのがいいのか、それとも充電式で、持込可能な機械をお借りして持ってったほうがいいのかとか、全部計算したり。

もちろんギリギリだと困っちゃうので、余分にこういうふうになったときに、じゃあどうするかとかで、飛行機上で壊れちゃったらどうするかとか、想定しながら手配したのを覚えてます。

現地のホテルも、実家に泊まることができなかったので、ホテルを予約することにしたんですけど、それもなるべく大きい病院が近くにあるホテルにして。

息子自身がアレルギーがあるので、日本は結構その表記としてアレルギー表記って、今、レストランに行ってもメニューに書いてあるところもありますし、例えばパン屋さんに行っても、アレルギー表記とかもあったりとか。
もちろん、スーパーで買ったものとかも結構、多いんですけど。

主人に聞いたら「シンガポールでそんな見たことない」って言ってて、「アレルギーの人なんているのかな」とかって言うから、絶対いるとは思うんだけど、多分そこまで、国のシステム自体がそこまでいってないっていうのかなあとも思って、そこもすごい心配で。

そのとき息子も普通にご飯、軟飯っていうか、柔らかいものだったら口から食べれるようになっていたし、1個1個、聞くわけにもなかなかいかないので、じゃあ日本から持っていったほうが安心だなあと思って。

ヨーグルトとかは向こうで買えるけど、基本的な主食とかはレトルトを持っていかなきゃいけないねっていう話になって、そういうのを準備してキッチンがあるホテルを予約したりとか。
いろんな準備はほんとに前もってやったのは覚えてます。

――何泊したんですか。

ちょうど1週間ですね。6泊7日。

――行く前に主治医にシンガポール行きますって伝えたと思うんですけど、そのときのアドバイスだったり、やり取りって覚えておられることありますか。

今の息子の主治医の先生が、ハハハーっていう感じのほんとにおおらかな先生で。

駄目だよとかって言われるかなーと思って心配して言ったんですけど、全然それを吹き飛ばすような感じで。
むしろ「なんで行かないの、早く行きなよ」みたいな感じの反応だったので、「あ、そうなんだ」と思って、行っていいんだってそこで初めて思えて、すごい安心したのは覚えてるんです。

医療的ケア児の家族の語り

胃ろうのルートをつけたまま抱いてルートを引っかけボタン部分が外れてしまったことが2回ある。帰省先では小児対応の病院も材料もなく焦った

子どもを、カートの赤ちゃん乗せの所に入れるんですけれど、私、ルートを外さないで、付けたままにして、ウエストのゴムの所に、こうやって、くるんってして置いといたんですね。
そうすると、いつでも(栄養剤を)入れることができる。穴にこう掛けて、くるっとやって。

普通だったらルート外して、衛生を保つんですけれど、それを外でやると、とても大変なのでっていうことで、付けたままで行ったんですね。

そのルートの所がカートの網の所に引っ掛かってしまってて、引っ掛かったまんま、私が娘をよっこいしょって抱っこをして引っ張り上げちゃったから、そのお腹のルートの胃ろうのボタンの所が、ポーンと外れまして。

もうそこから大変ですね。
当時は、造りたてっていうほどではなかったんですけれど、早く連れてかないと、お腹の穴がふさがっちゃうと。
ふさがったらまた胃ろう手術だと思って、それは困ると思って、どうしたらいいんだろうと思って、もうほんとに、すぐ駆け込みました。

最初は、(地元)で車で飛ばしたら10分15分で行く所が、その地域の大学病院なので、それはいいんですけれど。何と、里帰り出産をした先でやったんです。

片田舎なので、それをした時に、近くに小児外科っていう分野の病院がなかったんですね。
今で言う総合大学病院ではなくて、まあまあな病院ってありますよね。その土地の。
そこでも小児科はあるけど、小児外科というような所はないんです。

その時に、外科ならあるから来てくださいって言われて、行ったんですけれど、外科の先生は大人の外科しか知らなくて、備品も大人の物しかないんですね。
子どもサイズの物っていうのは、まずない。
だから、代わりに入れる物もないって言われたんです。

私が「14フレで、ほにゃららで」って言ってるんですけど、そんな物はないっていう形で言われてて。どうしたらいいんだろう、ここは京都じゃないしっていうところで、京都の先生を何とかつかまえて、電話で。
早くしないと、もう、またふさがっちゃうって思ってたので。

先生に電話したら、導尿のバルーンを使ってっていうふうに、それだったら外科のほうにあるかもしれないっていうことで、直接、医者同士で話してくれはって。
最初、私を絡んでやってたんですけど、あまりにも私には分からなかったので、先生同士でお話をしてもらうっていうふうにしてもらって。

5~6時間かかったんですけど、抜去してしまってから、そこの先で導尿のルートで胃ろうを確保してもらって、それなりに整えてから、京都に連れて帰りました。
そういうのが、一番のハプニングです。

医療的ケア児の家族の語り

家族で出かけるときは事前に行先でバギーが入るかなどリサーチするが、トイレもレストランもどこも狭くて苦労する(音声のみ)

――バリアフリーなのに角度が狭いとか、(外出時の)小さな不便を感じられる場所ってありますか。

あ、ほとんどです、大体の場所がそうですね。
実際、大人の足の悪い方が乗るような車いすだと楽々は通れるかもしれません。
でも小児の子のバギー、いろんな機械つけたり、いろいろ改造してるものをそこに入れようと思ったら、どうしても、どこの施設を見ても狭いです。
入り口も狭いですし、中も狭いんで。

――転回できない。

そうですね。
障害者用トイレとか、入り口は広くは作ってあるんですけど、実際中に入って何かしようかっていったら、どうしても狭いですよね。
実際のトイレよりは全然広いんですけど。
だから、それほど広いのがないっていうのが現状ですかね。
特に高速のパーキングなんかは広くないです。

――おでかけされるときに、そういうサイトで調べたりとか、こういうところだったら比較的バリアフリーが整ってるとか(が条件ですか)。

大体それが一番最初ですね。
行きたい場所を上の子に聞いて、ある程度リサーチかけて、その周辺で下の子が入れるようなとこがあるかっていうのを見ていきます。
でも、はっきり行き先が決まらないっていうのがほとんどなんですよ。
そんなに休みが取れないっていうのもありますから、弾丸ツアー的な(笑)、思い立ったら行くみたいな。

――行く途中で、いろいろ調べて。

そうですね。その地域に友だちがおったりしたら、その地域どこそこがあるとか聞いてみたりとか。
広島行ったときもそうでしたね。
向こうにおる友だちにどこそこがあるっていうのを聞いて、そこ行ったっていう。
時間はないですし。

一番困るのは、ご飯食べる場所ですかね。
大体の場所が、子ども用の車いすなんかとてもじゃ入っていけない場所がほとんどですので、どうしても何か買ってきて食べるとか。

夜だったらね、すいとる時間帯を狙って行ったらどうにかなるかなとは思うんですけど、昼間だとまず無理なんで。

医療的ケア児の家族の語り

外出時に自動吸引器は音が気になり、手動は容量も少なかったので、夫が100均の水筒と血圧ポンプを使って吸引器を自作してお出かけした

当時は、退院して、まず吸引がすごいネックだったんです、24時間ずっとっていうのが。
例えば、お兄ちゃんの学校の行事に行かなくちゃいけない。
授業参観だったり、音楽会とかに行かなきゃいけないときも、下の子を置いてはいけないので、連れて行くけど、吸引はしなくちゃいけないので。

持続吸引器だと音もうるさいんで、手動の吸引器をもう少し使い勝手よくしたいっていうことでね、主人は加工したりとか工夫するのが好きなタイプの人だったので、100均で買ってくるような簡単な水筒に、血圧を測るゴムの(ポンプ)。

――しゅぱしゅぱ(ってする)?

はい、ああいうのの弁って(押すと)膨らんじゃうじゃないですか。
でも吸わなきゃいけないので、弁を逆に加工するとか、そういうことをして、その当時、普通に売ってた手動の吸引器の唾液とか痰を貯めるボトルってすごいちっちゃくて、100ミリとか150ミリとかしか入らなかったんです。
でも、500(ミリ)入る水筒とかにそういう加工をしてもらったので、それを車椅子のドリンクホルダーに付けて。

吸引のチューブも病院とかで出されるのって30センチとか40センチとかそんなもんなんです。
でも注入用のチューブを切って、それをつなぐことで何メーターにもなるので、車椅子で寝っ転がらせてる状態で、遠くても吸引ができるみたいな感じに加工しました。
ひもも、水筒なんでひもが付いてるので肩から掛けたり、ドリンクホルダーにも付けられるしって感じで、そういうふうに加工してもらった物で、結構、散歩は行きました。

2年間、病院っていう箱の中にいたので、経験がとにかく少ない。
今まで決まった顔で白い布とか白い壁しか見てなかったから、とにかくいろんな物見せたいとは思ってて。
もう全部を説明しながら、これが土だとか、これが葉っぱだとか、あれは空だとか雲だとかって言いながら、もう見せていくとか、聞かせていくのが、私も楽しみだったって感じですねえ。

医療的ケア児の家族の語り

息子と日本中を旅行した。ディズニーランドのホテルでは使い方が分からないシャワーに四苦八苦したのもいい思い出だ

私の中で、(息子は)長く生きられないっていうのは分かっていたので、今できることを、今いろんな世の中を見せてあげたかった…。
健康であれば、修学旅行で行ったりとかね、自分の旅行で行ってとかできるんだろうけれども、この子は、それは一生することができないので、だったら私がする。
私も行きたいディズニーランドに、一緒に連れて行く(笑)。

ディズニーランドに行ったときに、導尿もしました、ベンチで。
経管栄養も車椅子でぶら下げたまましましたしね、パレードを見ながら。

どちらかというと、(住んでいるところより)他府県のほうが障害持ってる人には優しいかもしれない。
土地柄なんですよね。
階段とか坂が多いので、障害を持つ人たちが表に出る機会がないんですよね。

東京とか大阪はバリアフリーになってますでしょう。
障害を持ってる人たちが目に入るっていうか、そういう土地柄的なものもあるのかなとは思いました。
自分が実際行ってみて、2人で行っても何も困らなかった。

――ホテルは、どんなとこに泊まるんですか。

もう普通のところです。ディズニーランドは一番いいホテルを取ったんですよ。もう30万、全部使っちゃいました。
一番いいホテルに泊まって。
いいホテルって慣れないんですよね。

シャワーをまず使えない。
息子を入れ、一緒にこうして。シャワーと浴室が別になってるもんだから、どうやって入れるのかなって思いながら、抱っこしながら、2人で浴室をうろうろしてたのは覚えてますね。

――シャワーブースがあって、高級感があるホテルですね。

高級感があり過ぎて、どっちが蛇口なのか。
蛇口開いたら、いきなり上からボーンって、シャワーからお湯が出てきて、2人でワーッってなって、ごめんごめんって言いながら。
「いやー、やっぱり駄目よね、高級過ぎて」って言いながら。

旅行は何度かしてたので、S字フックとかというのは持って行ってたし、先にHOT(在宅酸素療法)も入れてもらってたし、ボンベも準備してもらってたし、荷物も先に送ってましたので、手元には、酸素と吸引器と着替えとおむつぐらいなもんで。
元気だったんでしょうね、私もその頃はね。

医療的ケア児の家族の語り

息子をディズニーランドに連れていきたいと主治医に伝えると、車いすや行ける環境を整えてくれた。息子の昔からの友達とママ達との交流も楽しい時間だ

退院の会議をしたときに、病院の主治医の先生、在宅医療になってからお世話になる地域の診療所の先生、訪問看護に入っていただく看護ステーションの担当の方々がいらっしゃった。
その中で訪問看護師さんが、「おうちに帰ったら何がしたいですか」って質問をしてくださったんですね。

それまで「帰る」ことに夢中で、まずはおうちに連れてってあげたいからって、とにかく楽しい思い出にとは思っても、具体的に何がしたいっていうのは全く浮かんでなかったんです。
なので、そのときは特に答えられず帰ってきたんですが、帰ってきた後にその言葉がすごく印象に残っていて、「何をしたいだろう」っていうのをすごく考えて。

夏休み前に、(息子が)事故に遭ったのが秋だったんですけど、夏休みにディズニーランドに行きたいっていう息子の希望があったんです。
「お母さん暑いから夏は嫌だ」って言って、「秋になったらハロウィンの時期に行こう」なんていう話をしていたのを思い出しまして。

結局、夏行かないまま事故に遭ってしまったので、「そうだ、ディズニーランド行きたい」と思いまして、退院して1カ月もたたないときですかね、主治医の先生に訪問診療で来て
いただいたときに、「先生、ディズニーランドに連れていきたいです」っていう相談をして。

「ディズニーランドいいですね。お誕生日いつですか」「来月です」って、「えー、それはちょっと難しいかも」っていう話になったんですけど。「先生、でも私、ホテル取っちゃった(笑)」って言いました。

そうしたら、その先生を中心に、福祉用具屋さん―まだ車いすも、急きょ退院だったので車いすなども何にも準備してなかったんですけれど―デモ機というか、レンタル用の車いすにベニヤ板で、呼吸器が載せられる台を付けてくださったり。

相談員さんも、ディズニーランドに行った先輩ママさん、医療的ケア児をお持ちのお母さんに、どんなものが必要かとかを聞いて情報を集めてきてくださったりとかして。
まあ結果、それは実現していく形でとんとん拍子にというか、ほんとに私は「やりたーい」を言っただけで、周りがほんとに動いてくださって実現することができました。

医療的ケア児の家族の語り

夜中の体位交換や見守りのため夫婦で睡眠時間をずらしていた。自分の運転で娘を学校に送るので、寝不足にならないように注意した

睡眠時間は、本当にライフステージによって違うんですけれど、最初、1歳ぐらいまで、それこそ手帳をもらうぐらいまでのときは、ほぼ(親は)寝ていなかったです。
娘の睡眠が、連続して4時間寝られるようになったのは、恐らく1歳過ぎてからぐらいで、それまでは私も、主人も寝たことがないような時期でした。

胃ろうになって少し夜寝られるようになったのが大体、5~6時間ぐらいで、その間、随分私たちも、寝られるは寝られるんですけれど、私と主人が一緒に寝てしまうと夜中体を動かしたり、夜中の体調変化に対応ができないので。

(娘が)亡くなるまで主人と私は睡眠を一緒に取ることはなくて、例えば夜10時ぐらいから私は寝るけど、大体夜中の3時とか4時ぐらいに起きる…。
主人はその代わり夜の12時過ぎだけど、朝6時ぐらいに起きるっていうかたちで、どちらかが夜中にやる、どちらかが早く寝る、遅く寝るっていうことをできるだけ意識して、睡眠時間を確保しながら娘の夜中の体調を整えることも一緒に並行していました。

(自分がライターの専門)学校に通うようになってからは、その睡眠時間をあまり変えずにいました。
でも原稿書かなくちゃいけないときは結局、睡眠時間を削って書くようになるし、仕事をしてからは結局、削れるのは自分の睡眠時間だけなんです。

でも、あまり徹夜して何かするっていうことを極力私はしないようにしていた理由の一つが、自分で車を運転する時期があったから。
(当時、スクールバスには乗れず親が学校への送迎しなければならなかったので)睡眠を、とにかく減らさないことを意識しました。

運転もケアも、自分のケアも大事だし、運転も大事だし、全てを完璧にすることはできないので、睡眠時間だけはできるだけ確保するように意識をして、毎日スケジュールを組むようにしてました。

医療的ケア児の家族の語り

人工呼吸器のアラーム音が鳴る夢で起きることもある。3時間おきの体位交換やのどが渇いていないかなど、いつも気になっている

息子は、デバイスは人工呼吸器24時間、デバイスが付いてるのはその人工呼吸器のみです。
そして、胃ろうです。
ですが、自力で動くことができないので、体位を交換したりとかそういったことは常に必要になります。

――普段のケアやサポートで大変だなと思うことってどういうことがありますか。

最初慣れるのにほんとに時間がかかりまして、寝ても寝ても寝た気にならないという、慢性的な睡眠不足は苦労しました。

呼吸器のアラームを夢で見るんですよね。
ピピピっというのを夢で見てぱっと起きたら、隣ですやすや寝てる。「よかった、夢だった」ってまた寝たり。

睡眠は取れてるか取れてないかで言うと取れてるんですけれども、時間は。
やはりどこかで常に呼吸器の音、確認したり、お水替えたかなとか、のど乾いてないかなとか、持続吸引ちゃんと口の中入ってるかなっていうのを、寝ながら悶々と考えて眠りに落ちてるっていう状態が続いているので、慢性的な睡眠不足は大きいですね。

あと一気に老け込みます。
すんごい量の白髪が出たり(笑)、悩み過ぎて(笑)。
病気を受け入れるときに、というのはありましたね。
マリー・アントワネットだと言われましたけど(笑)、一気に白髪が増えるんで(笑)。
いろんなことをして、ごまかしております。

――今は少し、ご自身の生活のコントロールできているっていう感じはありますか。

だいぶ、2年過ぎた頃ぐらいから慣れてきましたね。
いろんなトラブルも一通り経験をして、こういうときにこうすればいい、ああいうときはどこに電話をすればいいという、点と点がつながってきたら、自分の生活にやっとなってきたなという気はします。

医療的ケア児の家族の語り

手術により息子の体調が安定し吸引の回数も減ったため、上の子の野球について考えたり、夫の仕事の手伝いができたりするようになった

学校行くようになってから、最初の7カ月間は、ずっと付き添いで、学校でもケアの引き継ぎだとか、まだ吸引が多かったので、その吸引を減らすにはどうしたらいいかとか、先生方と一緒に考えたりしました。

結局、気管と食道を分ける手術をすることに決まったんですけど、それをしたことによって、単独で学校行けるようになりました。
それで日中は離れて過ごせるようになったので、やっと自分の時間というか、ゆっくりできる時間ができたかなって、やっと落ち着いてます、今。

――どのように、そのゆっくりしたお時間をお過ごしですか。

そうですね、まだ離れてすぐなので、子供がどうしているのか、学校で(のことが)心配で、ずっと携帯握り締めたりはしているんです。
落ち着くようになってお兄ちゃんの習い事、野球やっているんですけど、そのことを、ゆっくり考える時間もできましたし、自営業なので、その仕事も手伝えるようになったかなと思います。

――現在、お仕事はされている?

飲食(店を)、主人がしてて、土日手伝いに行くぐらいですけど、平日にパソコン業務や事務的なことは、手伝ったりはしてます。

――土日働かれている間の、お子さんのお世話はどなたがされている?

おばあちゃんにしてもらっていますね。
ショートステイも利用しているので、土曜日はデイサービスも、月1回程度なんですけど見てくださるので、利用しながらやっています。

医療的ケア児の家族の語り

子どもが退院し家族5人で暮らせることが本当に嬉しかったが、上の子の行事や子どもの健診をどうするかなど新たな問題もあった(音声のみ)

2歳3ヶ月でようやく在宅生活に入りました。
やっと家族そろって生活ができる。私も病院の中で2年ぐらいずっと病室で娘と過ごしてて精神的にぎりぎりなところがあって。
プライバシーがないし、夜間も看護師さんがちょくちょく呼吸器チェックに来たり、夜もゆっくりは(できなかった)。

娘が何回も起きるので、夜もゆっくり寝れない。
結構、精神的にぎりぎりなところがあって。
やっと家に帰れて、上2人のお兄ちゃんたちのことも気になってたので、家族5人そろっていうことが、すごくうれしくって、毎日が楽しくって。

家事すらも本当に楽しくっていう生活を送ってたんですけど、家で過ごしてると、例えば、お兄ちゃんの参観日どうしよう?、運動会どうしよう?とか。

娘も外に連れ出したいけど、一人じゃ連れ出せないかなとか、定期健診のときもどうやって連れていこうとか、いろんなことが、その都度その都度、問題が出てきて。

それを一つ一つクリアしていくのに、暮らしにくいなって。
毎日生活していく中でもっといろんなことが、簡単にできるようになるといいなっていうふうに考えながら、自分の中で悶々としながら過ごしてました。

私の場合は、私の両親が歩いて5分もしないところに住んでいたので、だいぶ支えてもらいました。
上の子たちの参観日も、うちの母が来て娘を見るのを代わってくれて。

できるだけお兄ちゃんたちの行事にも顔を出したいと思ってたので、そういうことには、すごく恵まれて、本当、両親には感謝してるんです。
でも、いずれ両親も年老いていくし、ずっと両親に頼っていくわけにはいかないとは考えて。

あとは、地域にこの子がいるっていうことも皆さんに知ってほしかった。
上のお兄ちゃんたちを育ててる中で、地域のつながりとかお友達関係とか大事だっていうのは本当に感じてたので、この子をこの住んでいるところで他のきょうだい児と同じように過ごしたいなっていうのをすごく感じてました。