※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。
インタビュー時:36歳(2019年12月)
関係:母
医療的ケアのある子:長男2歳
首都圏在住。夫と長男、長女の4人家族。
2017年出産時の医療事故で長男が脳性麻痺となった。
気道狭窄のため気管切開して人工呼吸器を使用し気管内吸引、口腔・鼻腔内吸引が必要な状態である。
嚥下できないので、栄養は胃ろうから注入している。
訪問看護やデイサービス、訪問リハビリテーション、ショートステイなどを利用。
現在は育休中だが、在宅の仕事や月1~2回の出社をするなど仕事を続けている。
語りの内容
だんだんできるようになったら、今度は病院の1室を自宅に見立てて、ベッドの位置とか、お母さんがどこに寝るとかっていうのを見立てて、お父さん、お母さん、ばらばらの日に院内テストを経て、今度は院外テスト。
家に実際3泊で帰ってくる。
そのときもお父さん普段いないから、お父さんは手伝い一切なしでやってくださいとかっていう指示を受けてやって、それに合格して、退院っていうのが決まる。
指導はそんな感じだったんですけど、すごくありがたかったのが、まず先生が本退院の前に、主治医の先生がここ(自宅)に看護師さんと来てくれました。
全ての配置、ベッドの配置から、呼吸器の配置、寝る位置、モニターアラームの位置っていうのを全部家の中を見てくれて、私が置こうと思ってる位置とか、大丈夫かどうか、音がちゃんとどこにいても聞こえるかとか、見てくれて。
先生が、「じゃ、お風呂はここで入れようね」とか、もともと病院で計画してた配置じゃなくて、息子をいつでも感じられるように、「ソファこの辺に変えてください」っていうふうに、家の中のものを見てくれたりしたのがすごく私としてはありがたかった。
本退院の日にも来てくれて、最終設置をしてくれて、これで良しっていうゴーが出て、いよいよ在宅の生活っていう形で。
在宅に向けて、家に帰ったはいいけど、すぐ体調崩して病院に戻ってくるっていう子がすごく多いっていうのと、いきなり在宅が始まって、寝られない生活に親はなるので、それが負担で、お母さんがまいってしまうっていうことがよくあるそうで。
その病院ではそういうことがないように、自信を付けて退院できるようにっていう形で、徹底的な指導をしてくれてたので。
付き添い入院の最初の10日間っていうのはもうほんとにしんどくて、眠れないし、自分の搾乳もあるし、注入もしなきゃいけない。
1~2時間おきに起きて吸引しなきゃいけない。ほんとにつらくて、つらくて。
でも退院するときには、いけるでしょうみたいな感じの自信が自然に付いてたので、もしあの10日間が家で起こってたと思うとやっぱり恐怖。
誰にも頼れないし、聞けないし。
でも、病院のあの10日間は、万が一何かがあったら、看護師さん、先生がいるので、助けてくれるので、そこは心強かったなって思います。
つらかったけど、あの1カ月半があったのが良かったので、これはどこの病院でも取り入れたらいいんじゃないかなっていうふうにはすごく思います。
インタビュー02
- 出産事故で怖い思いをしたにもかかわらず、翌日にきょうだいはたくさん欲しいと夫婦で話し合った
- 息子が生まれ会社を辞めようと考えたが、仕事が支えになると社長が言ってくれ、在宅や月1,2回での簡単な勤務を継続している
- 病院のソーシャルワーカーに退院後の支援について自分で役所に問い合わせるよう言われ、いろんな部署を回って大変な思いをした
- 新居を建てるにあたり、息子と暮らすことを前提にバリアフリーや天井に窓がある家、加湿や空気のきれいな環境を保つ家づくりをした
- 本退院前には自宅に病院の主治医と看護師が来て、ベッドやアラームの位置や動線を確認してくれ、自信をもって在宅療養を開始できた
- 退院前に1か月の母子入院で日常的ケア、緊急対応や外出も想定した訓練を受けた。自信をもって退院でき、やってよかったと思う
- 息子が退院し最初の3か月はケアに不慣れで心身ともに参っていた。夫との間でケアの能力差が開いていることにもイライラしていた
- 息子が障害をもって生まれたことで自分の中の差別意識に気づき、障害者差別をなくす活動につながっている。息子には感謝の思いだ
- 息子に障害があることでどう声をかけたらいいか友人たちも悩んだようだ。話してみると子育ての悩みは同じだといわれ嬉しかった
- 仲間内で愚痴程度に話していた内容を陳情書の形で3つの区議会に出した。改善まではされていないが、まず第一歩だ (音声のみ)
- 障害のある子とない子が一緒に育つ教育環境、医療的ケア児に関する情報が行政の中で連携されるよう求める(音声のみ)
- 電源確保の助成、障害児家族も対象とした避難訓練、災害時の福祉避難所の確実な開設を区議会に要望している (音声のみ)