インタビューに答えてくださった方々のお子さんが医療的ケアを必要とすることになった経緯は様々です。
妊娠中の検査や生まれた直後にお子さんの病気や障害がわかった方もいれば、自宅に戻ってからわかった、あるいはもっと大きくなってからの事故でケアが必要になった方もいます。
ただ、多くの親御さんが、お子さんの将来がそれまで思い描いていたものと全く違ってしまったことに、大きな戸惑いと強い不安を感じたことを語っています。
妊娠中の検査で知った
妊娠中の赤ちゃんの検査にはすべての妊婦さんが受ける妊婦検診と、希望した人が受ける出生前検査があります。
妊娠後の自然な流れの中で受けた妊婦健診のエコー(超音波検査)で、胎児の成長の遅さや心臓の奇形などの異常を告げられた人は、思いもよらないことに衝撃を受けていました。
妊娠後期になるまで順調に推移していても、定期検診で異常が見つかることもあります。
中には長女も含めた立ち合い出産のプランまで立てていたのに、34週の定期検診で胎児の命が危ないと言われて、そのまま帝王切開になったという方もおられました。
次の方は妊娠18週の妊婦検診で異常を指摘されて羊水検査に進み、迅速検査*の段階では陰性の結果でしたが、その後、すべての検査の結果が出て、染色体異常が判明した時にはすでに中絶が可能な時期を超えていました。
葛藤を抱えつつも運命と受け止めた経緯をお話くださいました。
*羊水検査は結果が出るまでに2-3週間かかりますが、21番、18番、13番染色体などに限定して調べる迅速審査は1週間以内に結果がわかります。但し、診断を確定できる検査ではなく、あくまでも参考データとなります。(「羊水検査とは | 出生前検査認証制度等運営委員会 (jams-prenatal.jp)」参照)
一方、高齢妊娠などの理由で、自ら出生前診断を受けることを選び、その結果を聞いてダウン症専門外来の妊娠中カウンセリングを受けに行ったという人もいました。
生まれたときにわかった
妊娠中に異常を指摘されていなかったにもかかわらず、生まれた直後に息をしていなかったり、身体的な異常が見つかったりして、その後の検査で遺伝子の変異などの病気が判明するケースもあります。
出産後すぐにお子さんがNICUに移され、一人残されて不安と混乱に陥ったと語る方が複数おられました。
また、早産でとても小さいうちに生まれたり、出産に伴うトラブルがあったりして、お子さんが障害をもつ場合もあります。
次の方は分娩時の事故で緊急帝王切開になり、母子ともに命はとりとめたものの、お子さんが脳性まひになったという事実を理解するまでに1週間ほどかかったとお話くださいました。
自宅で生活する中で気づいた
出産時には大きなトラブルもなく母子ともに健康ということで、自宅に戻ったものの、その後、子どもに何らかの症状が出てきて受診し、病気がわかった人もいます。
症状が出てもすぐに診断がつくわけではなく、戸惑いの日々が続く中で少しずつ我が子の状況を理解していった経緯が語られています。
幼少期の病気や事故が原因
先天的な病気を持っていてもそれとは別の病気で医療的ケアが必要になるお子さんもいますし、健康に生まれ育ってきたお子さんが事故に遭って医療的ケアが必要になる場合もあります。
異変を知ったときの父親の思い
夫・父親として妻の妊娠・子どもの出産を支える状況にあった方々は、当時どのような心境だったのでしょうか。
次の方は妊娠中に診断を受けて、病気を持って生まれてくる我が子に何ができるか、夫婦で話し合いながら、出産の日を迎えたことを話しています。
一方、出産直後に子どもの健康状態に問題があるとわかった場合、子どもはNICUに移されます。ときには子どもが母親とは別の病院のNICUに移送されることもあり、そんなとき父親は妻と子どもの病院を行き来しながら、夫と父親の二つの役割を遂行しなければなりません。
次の方は立ち合い出産の最中に異常がわかり、別病院に救急搬送されるお子さんに付き添った時の光景がまるでドラマの一シーンのようだったと振り返っています。
次の方は里帰り出産だったので、夜中に連絡を受けて病院に駆けつけたときには既にお子さんは別の病院に搬送された後でしたが、その後妻の病院から毎日母乳を運んだことを話しています。
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