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インタビュー時年齢:30歳(2019年2月)
障害の内容:視覚障害(弱視・色盲)
学校と専攻:大学・外国語学部(2007年度入学)
関西地方出身の女性。先天性の弱視で、色盲がある。小学校は普通学校で学んだが、中高は、盲学校に通った。中高ごろからとても興味があった英語を学びたいと思い、外国語学部に進学した。3年生の海外実習では困ることがあったが、周囲にサポートされて充実した時間を過ごせた。現在は、一般企業で働いている。
語りの内容
入学してやっぱり正直最初の数週間は、一人ぼっちでした。オリエンテーションの期間は、一緒に固まるメンバーというのは少ないので、なかなか顔見知りができなくてですね、非常に寂しかったのを覚えています。
で、授業が始まって、特に私が通っていた学校は1~2年生で英語の、読む、書く、話す、聞くを、びっちりたたき込まれる授業がクラス分けがある授業があるんですけれども、その授業で、同じになったメンバーなどを中心にだんだん、頻繁に顔を合わせるメンバーというのが出てきたので、その中から何人か一緒にお弁当を食べるような、友達ができてきて、ちょっとずつ知り合いもできていったというふうな経緯だったと思います。
で、そうですね、私は例えばワークショップ形式の授業などで学生全体に話をする、自己紹介をするような機会があるときには、積極的に、私は弱視であることですとか、授業中にちょっと、援助を求めるような場面があるかもしれないということですとか、資料なんか一緒に見ようとすると、ちょっと顔が近かったりするかもしれませんけどとか、そういうふうなことを説明するようにはしていました。
で、それから、結構大事なのが、大学などではやっぱりメンバーがなかなか固定しないので、こう、キャンパスとかで、すれ違ったときに、「おはよう」とか、「やあ」とか言う人が増えていけばいくほど、だんだん仲良くなっていくっていうようなとこがあると思うんですけれども、私は正直、視力上、通りかかった人の顔を認識して声を掛けるっていうのは、相当仲のいい人じゃないと無理なんですね。
で、何て言うんですかね、シルエットとか、歩き方とか、髪型とかで何となく、雰囲気つかんでいる人しか分からない。なので1回だけ会った人とか、ちょっと2~3回だけ会った人なんていうのは、全然気付かないで素通りしてしまうんですけれども、それだとやっぱり、大勢がうようよしているような大学の中で、友達関係を深めていくっていうのはなかなか難しいんですね。なので、ある程度お弁当を食べるとかして仲良くなったような人には、「ちょっとすれ違ってもなかなか気付かないと思うから、良かったら声掛けてね」というふうな形で、なるべく向こうから声を掛けてもらえるような働き掛けをしていました。
インタビュー08
- 予備校は、集団だと難しいと思ったので個別指導の学習塾を選んだ。参考書も、自分が見やすいものを選んでいた
- 大学受験に力を入れている高校(盲学校)だったので、入試の際の配慮申請にサポートがあって、センター試験も二次試験もいい条件で受験ができたと思う
- オープンキャンパスで、弱視のことや必要な配慮を説明した時、対応が芳しくない学校は行かなくていいと思っていたが、先輩方のおかげで快く話を聞いてくれた大学が多かった
- 大学側にまず文書で申し入れて、その後、大学側の教務課と高校の進路指導の先生、両親と自分で直接会って、話し合った。高校の先生が慣れていて心強かった
- 履修を検討していた科目が、顕微鏡を覗く授業だった。覗いてみたら弱視でよく見えず諦めてしまったが、後から考えると顕微鏡をモニターにつなぐ方法も試してみればよかった
- 科目の試験は、時間延長と問題の拡大コピーをしてもらった。実際やってみると、用紙がとても大きくて笑えるようなこともあったが、自分としては見やすくて良かった
- 大学3年の時実習でアメリカへ行ったが、慣れない土地でファストフード店などに入るときなど、周囲の人の動きに合わせて行動することが難しく、友人のサポートが必要だった
- 履歴書に盲学校と書くのでそんなに簡単にバイトはできないと思っていたが、スーパーで採用された。「丁寧な仕事で、安心して任せられる」と褒められて、自信を得ることができた
- 最初は大学のキャリアセンターが開催しているセミナー等と並行して障害者向けの就職セミナーでも情報収集をした。医薬翻訳をやりたくて片端から関連企業の説明会に参加した
- 自分の視力障害を説明した文書をつけていろんな自治体に応募した。小さい自治体からは断られたが、県庁では充実したインターンシップを経験することができた
- 就職説明会では前方の席の用意、マークシート方式の解答方法の変更、個人用資料の提供の3点に絞って、事前に配慮をお願いして参加するようにした
- 授業などの自己紹介の機会には、自分は弱視で人に援助を求めることがあるといった話をした。また、構内ですれ違っても自分は気づかないから声をかけてほしいとも伝えていた
- 本格的な一人暮らしは大学が初めてで、自炊は大変だったが工夫もしていた。次第に、自炊に疲れると近所のごはん屋さんへ行くというサイクルもできて落ちついた