インタビュー時年齢:29歳(2020年11月)
障害の内容:聴覚障害(難聴)・内部障害(慢性腎不全)
学校と専攻:大学・看護学(2012年度入学)
関東地方出身の女性。中3の時に鼻咽頭がんになり、化学療法の副作用で難聴と慢性腎不全になった。通信制の高校で学びながら腹膜透析の治療を5年ほど続けて、腎移植を受けた。入院中、気にかけてくれた看護師のことが印象的で、自分の経験を役に立てたいとも思って、高校卒業後に3年間の療養期間を経て、看護系の大学に進学し、その後看護師として就職して現在4年目になる。
プロフィール詳細
舞(まい・仮名)さんは、中学3年生の時に鼻咽頭がんと診断され、化学療法の副作用で中等度難聴と慢性腎不全になり、その後5年ほど腹膜透析を行ったあとに腎移植を受けた。最初の入院は小児病院で、病状が安定してくると医療者にとって手がかからない患者だったが、それでも看護師に将来の不安などを気にかけてもらったことが大きな支えになり、看護師に憧れるようになった。また自分の体験を何かに活かしたいという思いもあり、高校生くらいから看護師をめざすようになって、高校卒業後に3年間のブランクを経て、看護系の大学に進学をした。進学に際しては、聴力や体力に大きな心配はあったが、いくつかオープンキャンパスに行った際、親身に相談に乗ってくれた学校があり、そこを受験することを決めた。
入学後は最初の面談の時に担任の先生に病気のことを伝えた。学内では、出席日数や電池式の聴診器の貸与などの配慮を受けつつ、演習では、聞こえなかったところを友人や先生に確認をしたり、演習室などではいち早く教員の前に場所を取り一生懸命聞くことで、教員にもやる気があるように受け取られ、自分でも学習への意欲が高まったように感じていた。学外の最初の実習も、当初不安が大きかったが、できないことだけを伝えるのではなく、こうやればできると説明することを心がけた。また日々の課題については、体力を考え、やり過ぎてしまわないように自分で制限をしたり、課題は提出日の1日前には余裕を持って提出するといった工夫をして過ごしていた。また仲の良い友人には自分の病気や体調のことも話をしており、授業を休んでしまった時はノートを写してもらうことなど多くのサポートを受け、友人がいたからやってこられたようにも感じていた。
3年生の長期の実習の時に体調を崩してしまい、小児科の看護師になりたいと思っていたが、その時は小児科での実習も満足にできず、自分はチャレンジするチャンスさえ与えてもらえないととても落ち込んだ。しかし、精神科の実習で患者さんに必要とされる自分を感じ、また精神科は患者さんのできないところではなくできるところを伸ばすような考え方があって、それが、耳が聞こえないけれどできることがあると感じていた自分への思いと似ていて、とても印象的に残る実習となった。その後、精神科に絞って就職活動を行い、現在は精神科単科の病院で働き始めて4年目になる。現場ではマスクをしている人も多く、人の声が聞き取りにくいこともあるが、笑顔が多くおおらかな雰囲気の職場で、働きやすい。
18歳くらいの時に、若いがん患者の集まりに出会った。そこで自分の体験をオープンに話している人たちを知り、自分もせっかくならがんの体験を活かして自分らしく生きていこうと思って、似たような体験を持つ人が集う場作りなどの活動を行っている。患者会活動は、人のためという思いもあるが、同時に自分の存在価値を感じられてメンタルを保つのに役立っている。そこで出会った男性と結婚し、今は2人暮らしをしている。
病気を経験したことで、人はたとえ外見から分からなくてもそれぞれ色々なものを抱えていると思うようになった。どんなに努力をしてもできないことはあるかもしれないが、頑張りすぎず、甘えるところは人に甘えながら、自分のやりたいことや目標を大切にしていくことが大事だと思っている。
入学後は最初の面談の時に担任の先生に病気のことを伝えた。学内では、出席日数や電池式の聴診器の貸与などの配慮を受けつつ、演習では、聞こえなかったところを友人や先生に確認をしたり、演習室などではいち早く教員の前に場所を取り一生懸命聞くことで、教員にもやる気があるように受け取られ、自分でも学習への意欲が高まったように感じていた。学外の最初の実習も、当初不安が大きかったが、できないことだけを伝えるのではなく、こうやればできると説明することを心がけた。また日々の課題については、体力を考え、やり過ぎてしまわないように自分で制限をしたり、課題は提出日の1日前には余裕を持って提出するといった工夫をして過ごしていた。また仲の良い友人には自分の病気や体調のことも話をしており、授業を休んでしまった時はノートを写してもらうことなど多くのサポートを受け、友人がいたからやってこられたようにも感じていた。
3年生の長期の実習の時に体調を崩してしまい、小児科の看護師になりたいと思っていたが、その時は小児科での実習も満足にできず、自分はチャレンジするチャンスさえ与えてもらえないととても落ち込んだ。しかし、精神科の実習で患者さんに必要とされる自分を感じ、また精神科は患者さんのできないところではなくできるところを伸ばすような考え方があって、それが、耳が聞こえないけれどできることがあると感じていた自分への思いと似ていて、とても印象的に残る実習となった。その後、精神科に絞って就職活動を行い、現在は精神科単科の病院で働き始めて4年目になる。現場ではマスクをしている人も多く、人の声が聞き取りにくいこともあるが、笑顔が多くおおらかな雰囲気の職場で、働きやすい。
18歳くらいの時に、若いがん患者の集まりに出会った。そこで自分の体験をオープンに話している人たちを知り、自分もせっかくならがんの体験を活かして自分らしく生きていこうと思って、似たような体験を持つ人が集う場作りなどの活動を行っている。患者会活動は、人のためという思いもあるが、同時に自分の存在価値を感じられてメンタルを保つのに役立っている。そこで出会った男性と結婚し、今は2人暮らしをしている。
病気を経験したことで、人はたとえ外見から分からなくてもそれぞれ色々なものを抱えていると思うようになった。どんなに努力をしてもできないことはあるかもしれないが、頑張りすぎず、甘えるところは人に甘えながら、自分のやりたいことや目標を大切にしていくことが大事だと思っている。
インタビュー34
- 高校卒業から時間が空き、高校の先生に相談できずに不安だったが、進学先のオープンキャンパスでは教職員が親身になって考えてくれて、行って良かったと思えた(NEW)
- 最初きれいな若い人たちが表紙を飾る患者会のパンフレットに驚いた。患者会で話を聞き、自分もがんで色々体験したのでせっかくならそれを外に発信しようと思うようになった(NEW)
- 最初に入院した病棟では、がんの告知を受けていない子がおり病名を口にできなかったが、その後若いがん患者の会でみんなが当たり前のように病名を話していたことに驚いた(NEW)
- 就職活動の際、どこまで病気のことを話すか当時の担任に相談していた。欠席もあったが、4年間の実習をやり遂げたことはすごいことなのでそれを押せばいいと言ってもらった(NEW)
- 通信制の高校の時から飲食店でのアルバイトを計7年ほど続けた。慣れると、お客さんに呼び止められる前に自分で動いたり、電話は他の人にとってもらったりと工夫をしていた(NEW)
- 将来看護師になりたいという漠然とした思いがあり、外の世界でどのくらい自分ができるかやってみたいと思って、少し静かな飲食店でアルバイトを始めたのがきっかけだった(NEW)
- 提出物は、締め切り日に体調を崩して出せないと単位がもらえないので期限前日には出していた。実習中は感染症にかからないよう気をつけ、睡眠はしっかりとっていた(NEW)
- 最初は緊張感もあって学内演習で聞こえづらいこともあったが、友人や先生に確認していた。またいち早く先生の近くに行く工夫をすることで、自分でも学習意欲が高まった(NEW)
- クラス担任制で入学当初に個別面談があったので、その時に自分の病気のことは伝えて相談に乗ってもらった。定期的な受診による欠席の扱いについては調整してもらった(NEW)
- 障害がマイナスになってしまうのではないかと思い、また全く聞こえないわけではなかったので、一般入試では障害のことを伝えずに受験をして、周囲の(NEW)