障害の内容:肢体不自由(脳性麻痺)
学校:大学
首都圏在住の女性。脳性麻痺による肢体不自由(四肢体幹機能障害)で、電動車椅子を使用。障害のない子と同じように育てたいという親の方針があり、小中高と普通学校に通い、大学はパソコンを学べる学部に進学した。大学時代は、友人との他愛ない日常生活が、本当に楽しかった思い出がある。卒業を機に実家から出る準備を始め、現在は24時間ヘルパーを付けて一人暮らしをしている。
語りの内容
内申があるので…、内申点が悪いと推薦をもらえないじゃないですか。
で、身体障害があって何がネックかというと体育がネックなので、平均点、平均の内申で全部足して割ったのが平均の内申になっちゃうので……、どうしようかな…。
で、私がどんなに体育について調べて素晴らしいレポートを書けたとしても、ですけど…、5にはならないわけですよ…。だって本当に体育やっている子からしたら不公平だし、配慮があることと不公平なことは、また別だと思っているので。
不公平があったらいけないなと思う中で……、良くても3ぐらいしか付かないのが分かり切っている中でどうしたかというと…、体育の授業を受ける権利を放棄したんですね…。体育は受けません、なので点数も要りませんというふうにして、私の通知表の体育の欄は…、白紙というか棒線がこう1本引かれたような状態なので。そうすると……、足されもしない割られもしないので、体育以外のものの中で平均内申が出たので、それで推薦をもらえました。
(体育の授業を受ける権利を放棄したという)そこのね、あの、経緯を、詳しく覚えていなくて、大変申し訳ないんですけど。多分…、当時の私からそんな発想が出てくるとは思いづらいんですね。そこから考えると学校のほうが、じゃあ内申どうするかっていうときに体育がネックだよねっていうところまでは…、私側が出したと思うんです。
なんだけど…、こういう方法があるよねっていうのは高校がやってくれたかもしれない。
インタビュー16
- 内申点は全ての科目の平均点なので、車椅子の自分は体育がネックだった。結局、体育は履修の権利を放棄して、推薦をもらった(テキストのみ)
- 自分は脳性まひの障害者で介助が必要で、いずれ福祉とはかかわらざるを得ないと思っていたので、大学は全然関係なく好きなことをしようと思った(テキストのみ)
- 実は行きたい大学があったが、当時は通学にヘルパーが認められておらず、親が送り迎えできる範囲で大学を選んだ(テキストのみ)
- 入ろうと思っていた研究室は実験が多く、実験をできるのか、母親が介助をするにしても専門的な知識がないと難しいと言われ、一人でできることに転向した(テキストのみ)
- 試験の変更やノートテイクをつけてもらったが、それ以外日ごろのことは友人にやってもらっていた。「大人に守られない自分」を満喫できた4年間だった(テキストのみ)
- とにかく無理しないでいいよと伝えたい。自分の思う通りに、勉強するなり遊ぶなりして、苦しくないように過ごせばいいのではないかと思う(テキストのみ)
- 当時は大学の中で介助者をつけるという発想がなかったので、友達に頼みながら自分でするのが自然だった。頼む時は、一人に依存しすぎないことを心がけていた(テキストのみ)
- 10人くらいでトランプをするようなこともあり、大人が介在しない場を心から楽しんだ。小さなことが楽しいと思えたのは、障害学生ならではかなと思っている(テキストのみ)
- 大学卒業後に一人暮らしを始めたが、「めちゃくちゃ生きている」と実感する。身内に面倒を見てもらったり、施設に入ったりしていたのでは得難い感覚だ(テキストのみ)