投稿者「sakuma」のアーカイブ

障害学生の語り

数式を書くためのTeXというソフトウェアと書かれた数式をTeXに変換するInfty Readerが普及したことで論文へのアクセスが容易になり、たくさん論文を書けるようになった

――あの海外の研究者の方と交流されたことはありますか?

えーと、そんなに実は、僕、英語が得意ではないので(笑)、交流もできないんですけど、論文を、教科書を送ってもらったことがありますね。偉い先生に、書かれた教科書を送ってくださいって言ったら、数学はテック(TeX)で書きます。テックっていうソフトウェアで、書くんですけど、そのテックのソースファイルを送ってもらえて、「えー、独特な書き方をするな」っていう(笑)、ことはありました。

――そのテックっていうのは、目の見える方も、見えない方も使われるものなんですね。

そうです…。そう。あと数式を書くのは普通には、漢字変換のようにはいかないので、見えている人たちも、そのテックっていうソース、テキストで書かれたものをコンパイルしてですね、それで、あの数式を吐き出すということをするのです。なので、そこで、僕らは、そのテックがなければ数式を書き出すっていうところでもバリアがありましたけど、数式を書き出すっていうところは、あのテックのおかげで書き出せたので、ますます就職させろよなって(笑)、思いましたけど。

書くのは、だからできるんですね。問題は読むほうだったんです。読むほうは先ほど言ったように、学部の頃は先輩の本もしくは必要な場合は自分で点訳を頼んでっていうことで、ボランティアの力を借りてやっていたわけです。それで修士論文…あ、ドクターの頃もそうかな。随分しばらくですね、ドクターを取った後もでしたけど、読みたい論文を手に入れると、えー、手に入れるっていうのは、その頃はWebでできるようになったので…、あのPDFで手に入れるか、もしくは、あのコピーしてもらってですね、図書館の人にコピーをしてもらって、紙で手に入れると。それで、それをしようがないので、点訳ボランティアの方にお願いして、こう点字にして読んでいたということだったわけです。
だから、読むほうは本当に大変だったんですが、2000年の最初の頃です。2002年とかそのぐらいだったと思いますけど、これはいつも読んでいるインフティ・リーダー(Infty Reader)、インフティ・プロジェクト(Infty Project)っていうのが日本で――これは、これは日本の誇るべきことだと思うんですけど――日本で先ほどあのテックを原料に、テックっていうテキストで書かれたものから数式を、コンピューターの中で作るっていうふうに言いましたが、それはその方法の逆ですね。だから元々できた…、出来上がった数式から、元々の最初のテフ(TeX)のソースを吐き出すっていう逆の演算です。演算と言ったら(笑)。逆のことですね。それを、やってくれる方がおられまして。そのインフティ・プロジェクトの力を借りると、まあ、具体的にはPDFの、数式で書かれた文章があれば、それを基に先ほど言ったテフのソースを吐き出す、逆に戻して吐き出すということができるので、それで論文には自動的にアクセスすることができるようになったんです。

ちゃんとグラフにして書いたことがないから分からないけど、私の論文の生成っていうのは恐らく、そこでものすごくギャップがあると思います。あの、それまで点字に直していて書いていたときと、その後、そのインフティ・リーダーといいますけど、そのソフトウエアで、あの数式に情報アクセスがこう、非常に容易になったところから急にこう論文がたくさん書けるようになったというふうになっているはずですけど(笑)。全然違うことになりました。

障害学生の語り

大学院のゼミでは健聴者ばかりのディスカッションについていけなくて苦労した。代わりに先生とマンツーマンで指導を受けながら研究を頑張り、学年トップの成績を修めた

大学院に行くとまた、一般の大学が、(一般の)学校なので、やっぱ、また私1人…私1人が、障害のある学生が、健聴の世界に入るってことになります。で、ゼミが毎週あるんですけど、そのゼミの会話がちょっとついてくのが大変で、やっぱり周りがこう、こうやってディスカッションをしてると、僕もそれについていきたいんだけど、しゃべってる内容がつかめなくて、話についていけない状況がありました。まそれは、どうしたらいいのかっていう(のが)、結局よく分かってなくて、で、授業の後に先生の部屋に行って、やっぱそれを相談をして、してました。うん。

――そういうところではノートテイカーっていうのは付くんですか。

実は最初の1回はノートテイカーにお願いしたんですけど、なんかちょっと難しい状況が後で起きて、なぜかっていうと、ゼミの時間がよく変わるときがあって、そうすると、頼んでる人にも時間の変更を伝えると、相手も学生なので、学生の授業があるので、難しいときがあって、だからゼミはどっちかっていうと自分たち、研究室のみんなが、柔軟に対応できるようにしていかないといけないっていうのはあったので、ま、そこはもうノートテイクは、もう求めるのはちょっと諦めてました。んー。

で、まあ、そんな感じで研究は、何だろ。やっぱ先生とのマンツーマンで、基本的にずーっとやってて、まあ、すごい先生の言うことを全部こう、従って、先生が、「面白い場所があるから、明日、行け」って言われると、もうほんとに、夜行バスに乗って(笑)行って、調査したりとか。もうほんとに、真面目に研究に取り組んでて、まあ、その結果、僕自身もびっくりしたんですけど、大学院で一番いい成績で、論文、論文の賞を取れたんですね。これはほんとに、80人いる同期の中でトップだったので、これがやっぱり、いろんな先生とかにもびっくりされて、やっぱこう、自分の親も、もっともっとびっくりしてたんですけど、やっぱこう、母親の言葉を思い出して「自立してください」っていう言葉が、やっぱりほんとに、自分がほんとに自立できて成長したんだなっていうのが、まあ、大学生活、大学院の生活の最後に、実感できたのかなと思ってます。

障害学生の語り

数学であっても見えないことで束縛条件が付くことはある。たくさんの複雑な式を並べて解くような数学は視覚障害者には不向きだが、幾何学や解析学で頑張っている人はいる

やっぱり見えないと、やる数学に束縛条件が付きますね。例えば黒板を、紙1ページにわたってこう式が並んで、その式全体を満たすようなものを探すとかね、そういうこうシステムっていいますけど、システムや何か、その面倒くさい複雑な式で規定されるような、そういう数学は見えないとついつい、頑張らないとアクセスできないので、そういう数学のほうにはいかないですね。だから僕は、非常にこう一見複雑だけど、実は1個の不等式を丁寧にたどっていけばいけるっていう研究ばかりですね。

――なるほど。ああ。

だから、そこはやっぱり…、そのさすがにInfty Reader(インフティ・リーダー)*でも…、どうしたって難しいとこはありますね。 

――そうですね。すごく大きいものになったら、それ全部記憶しなきゃいけないっていうことになる。

まあ、点字で書くかね。そこにピンディスプレー**っていうのがある(けれど)、それは1行ずつしか出ないので、そういう意味じゃ記憶しないといけないし。

――そうですよね。うん。ああ。

そこは、どうしたってしようがないので。まあ、世界的に見ても確かに、そういうこう何て言うのかな、たくさん見なきゃいけないようなところでブラインドの偉い数学者は、そんなには…いるかもしれないけど、僕は知らない…。で、ブラインドが頑張っているところは幾何とかね。だから、それこそ、一見広そうだけど実は、そうでもないっていうかな(笑)、頭の中に作ってしまえば、何かしらいけるようなところだったり、やっぱり解析だったりするので、まあ、そういう条件はやむを得ないっていうとこですけど。
*インフティ・リーダーについてはこちらの語りをご覧ください。
**ピンディスプレイ=コンピュータのスクリーンに表示される情報を、二次元に配列されたピンを上下させることでリアルタイムに点字で表示する装置。点字ディスプレイともいう。

障害学生の語り

紙と鉛筆だけあればいいといわれる数学は、コンピューターを使えば見えない人でも容易に取り組める。数学に対する愛があれば、一番視覚障害者に向いている学問だと思う

――そのご研究をなさる上で必要な何て言うんですかね、器具とか機材とかってございますか。

ああ…。数学ですので、まあ、見えている人で基本的には、あの鉛筆と紙、紙と鉛筆があればいいっていうふうにいわれて。まあ、この頃は…、コンピューターを使う人も多いとは思いますけど。私のところは、あの昔からの、もし見えていれば紙と鉛筆だけあれば。まあ、あと本ぐらい、本と論文ぐらいないといけないと思いますけど、そういうのがあればいいというところで。まあ、あの紙と鉛筆は使えないので、数式とか文書へのアクセスはコンピューターを使って、画面を音声化したり、点字に、あの、ピンディスプレー*のほうに吐き出させて読んだりします。それから、書くのも主に、あのPC、コンピューターで、書くということになってますかね。で、まあ、基本的な計算は、点字でやることも時々あります。ほとんどないですけど。
*ピンディスプレイ=コンピュータのスクリーンに表示される情報を、二次元に配列されたピンを上下させることでリアルタイムに点字で表示する装置。点字ディスプレイともいう。

ブラインドが非常に向いているので、一番向いている、向いている学問だと思います、僕は。もう歴史もあるし。で、一番よくそれが分かるのはセンター試験っていう試験がありますけど、そこのときの問題の量を見ると、すぐ分かる。数学なんてぺらぺらなので(笑)、それに引き換え国語や英語なんか、ものすごくたくさん、見えている人たちもありますよね。だから読む量が全然違うので、数学は…、それこそ実験も要らないし、うん、頭さえあればいいので…、非常にブラインドには向いているんですよね。

やっぱりね、必要なのはね…、うん…、愛ですね(笑)、数学。何でも必要だと思うな、愛が(笑)、熱意っていうかな…。パッションだよ、パッション(笑)。 まあ、見えない人は、こう戦い抜くにはやっぱりパッションがないと駄目じゃないかって学生さんには言うんですけど(笑)、あの、うるさがられています(笑)。

あと感動できる能力が要るんですよね、あの、生きていくためには。だから、なんて、なんて素晴らしいんだ、この人はと思う。例えば、数学の論文や何かを読んで、すごいなって思うといいですよね…。うん。このごろ、ものすごく面倒くさい論文を最後まで読めなかったんだけど、何か人間は素晴らしいなと思いました(笑)。あの、非常にわずかな手掛かりしかないんだけど、それをこう使って、どこまで、どうしてそんなに知りたいんだろうって思うぐらい面倒くさい計算して(笑)…。あれは論文の力じゃない、論文を書きたいからじゃなく、きっと知りたいからなんだと思うけど、とにかく。まあ、そういうのが分かるので、何でも分かると思う、数学以外だってちゃんと、ちゃんとどんな仕事だってすれば分かると思うし、ちゃんとまっとうに仕事をして、こう、人間の素晴らしさっていうかな、そういうのが、分かると人生楽しいじゃないですか(笑)。

障害学生の語り

顕微鏡を主に使う研究をしているが、視野が狭いため自分の目を徹底的に疑っている。学生に代わりに見てもらって、見えている画像の概要を説明してもらって実験を続けている

研究は、われわれの研究室では、やはり顕微鏡を主に使うんですね。なんですけど、私自身はもう直接、顕微鏡を触ることは非常に、もう少ないです。顕微鏡の前に座ってる学生がいて、学生に対して口で、顕微鏡の部分をこう操作して、で、どう見えるか。学生は、まあ、顕微鏡をのぞいて、「こう見えます」と言うので、「そしたらこれを、顕微鏡のこの部分をいじって」、「どうなるか?」って。「こう見えます」、「そしたらこの部分をいじって」、「じゃあ、こう見えます」。「じゃあ、これ、じゃあ、この見方で合ってるから、これでデータを取り続けてね」っていうような流れになります。

――そうしますと、先生のご研究は、この、学生さんの目を使いながらやるみたいな感じの研究を、なさってるっていうふうに考えてよろしいですか。

そうです。完全に、学生が私の目になっています。私も、まあ、左目の真ん中の視力が残っているので、見えなくはないんですが、いかんせん見える範囲が狭いので、画面の中で何が起こってるかっていう、全体を把握することはできないんですよね。ですので、画像を見るとかそういうときも、もう完全にあれです。そばに学生を付けて一緒に、見ていきます。
学生が、まず、見える画像の概要を説明してもらって、そしたらこの部分はどうなっているかみたいな話をしてですね、「こうなってます」と。で、「僕の目にも一応こう見えるけど、そう見えるけど」って。「学生の目でもそう見えてますか」って聞いて、「あ、見える、そういうふうに見えます」っていうような感じで。そうですね、ここにあるのは、徹底的にもう自分の目をですね、疑っているんですよ。なので、もう学生が、ほんとに僕の、きちんと見える目として働いてもらって、それで仕事をしてもらってるっていうことになります。

――学生さんにしてみたら、してみたらというか、学生さんってやっぱり、こう、知識とかキャリアとかは、ご自身が積んでこられた、先生が積んでこられたのとはほんとに違うと思うんですが。その学生の目で、見たものを、先生が理解して進めていくっていうことに、何か限界があるとか支障があるとか、そういったことは感じられたことはないんでしょうか。

うん。限界は、あるかもしれませんね。感じてはないんですけど、結局、学生の目を借りて物を見るっていうことは、学生が見落としてしまっているものは僕も見ようがないので、もしかしたらそこが限界なのかもしれませんね、はい。ただ、今のところこれといって何か、「あー」って、「画像の説明がなっとらん」みたいなことで切れたりしたこともないですね。

障害学生の語り

厳密な管理が必要な実験動物は逃げた場合に自分で捕まえることができないので、どうしても動物実験が必要な時は一緒に論文を書くことを前提に同じ研究室の人にやってもらう

例えばなんですけど、僕の場合でしたら、動物を扱うっていうのが結構、ハードルが高いというか、実際、今まで動物を自分で直接扱うことはもう、しないできたんですけども、まあ、そうですね。なんかその、どちらかというと自分が、多分マウスを使った研究はできないってのは話を…例えば、ボスの先生と話をしながら、「まあ、やっぱりそれは厳しいだろうな」っていうのは話した上で、逆にその制限があるので、マウスを、動物を使わない、むしろアプローチを考えて、それでできるような研究スタイルを考えるっていうふうな形で今までやってきました。
だから、まあ、そうですね、そのできないだろうという、予想が付く範囲でまず大体考えて、で、逆に、できるであろうことがどの程度かっていうのを考えて、で、まあ、研究、一概にその生命科学の研究っての、いろんな角度から研究することができるので、むしろ、今の自分の身体能力で可能な最大限の研究を、できる角度からやるという、ま、そういうふうに常に考えてやっている感じです。

――その、動物を使うのが、あの、できないとおっしゃるのは、それはその、どういうことで…ちょっと教えていただけますか。

はい。そうですね。まず、今、結構その動物施設とかの、実験設備がいろいろ制約というか、なんか入るまでの、実験設備に入る、そのいろんなステップがあって。その施設入るのに、いろんな防護…なんか服を着たりとか、そういう安全上のなんかで、そこら辺をその結構日々…、毎日そういうとこに出入りする、まあ、それがかなり大変で。あと、そのマウスを飼っている、その動物施設内も、かごが棚があって上から下まであって、それの管理とかそういうのも結構、体力を使う。まあ、やっぱりその、研究って結構、体力面が実は結構、重要で、どうしても体力。考え、そのアイデアとかが結構あっても、それ実際、自分で試すってなると、それに相応にそういう実験を重ねるこの日々の活動でかなり体を使うっていう…なんか結構、生命科学の場合は特にあるので…で、特にマウスを使う場合は、いろんな体力っていう意味ですごい、大変な作業があります。
あと、最低限そういう、まあ、例えばマウスの棚の場所とかも調整すればできないことはないんですけど、例えば、あとトラブルがあったときですね。マウスが入ってるのが逃げちゃいけない。遺伝子組み換え動物って外に逃げるとか、そういうことがあってはいけなくて、やっぱちょっと手も、握力とかも弱かったり、いろいろなとこに、まあ、力がないので、自分でしゃがんだりとかもできないので、もう、1回例えばマウスがどっかに逃げたりしたら、自分で捕まえるとかそういうことも(笑)、また自分でできないから、それも人にやってもらわなくちゃなって。結構その、トラブル対応みたいなのも含めていくと、やっぱりその、自分が主体的にそのマウスの実験を日々こなしていくっていうのは、かなり難しいのかなっていうのを感じて、それでまあ、自分自身はやらない。どうしても実は使いたいときがあったんですけど、そのときにはもう同じ研究室の別の人にこういうことやりたいって形でもう、その人に託すという。まあ、それで別にその託した側も当然、例えば結果が出れば、それは一緒に論文を書くということになっていて、全然そのちゃんとギブ・アンド・テイクの関係にはなるので、まあ、そこら辺をうまく調節しながら、自分でできないことは人にやってもらって、そういう形で一応できるので、まあ、そういうふうにやってます。

障害学生の語り

実験では何をするにも体力が必要だが、筋力が落ちているので物理的にできる作業量に限界がある。それでも患者当事者ならではの視点を研究に生かすことができると考えている

――ご自身が進学してこられるまでの間で、その自分がこれこれをやりたいというのに、この自分の障害が、ご病気が何かこう、妨げになると思うことがあったか、それともむしろ、全然…自分ができる範囲のことをやっていけばいいっていうことで、あまりこう、そのことについて悩まれるようなことはなかったのか、ちょっとその辺も教えていただけますか。

はい。そうですね。ま、先ほど言ったように、そのやっぱ、どうしても何をやるにもやっぱ体力が必要で、その実験も、例えば1ついい感じの結果が出たとして、それを繰り返しやって同じことが起きるかどうかってのを、いわゆる再現性、そういうのをきちんと統計学的に、意味があるところまでやらなくちゃいけない。そうなってくるとやっぱりもう、何か同じ作業を何回もやるとか、ま、そういうのが必ずどっかで必要になってくるんですけど、それがどうしても、やっぱその、腕力もいろいろ落ちて、細胞を扱うにしても、結構、肩から先の動作がすごい、行うので、人よりスピードも遅いし、どうしても物理的にそのできる作業量に限界があるという…。まあ、そういうのはかなり、今でもなんですけど、かなり葛藤してて。例えば自分でこれはここまでやれるって頭で分かってて、実際仕掛けるんですけども、それがもう体力的に、もうなんか終わらなくて、結局ちょっと諦めてるに近いみたいな感じになってしまって、本来このぐらいで終わらせられるだろうと思ったことが終わらせられないとか、ま、そういうとかで、まあ、それはちょっと今でも実は、難しいってか、悩みでもあるんですけど。

ただ、ま、そういう日々の、活動量の限界っていうのはどうしてもあるんですけども、あとはですね、ま、僕自身が、その、筋肉の病気で筋肉の研究してるってところが、逆に、その、研究の、その方向性とか、どういうことすれば本当に意味があるのかとか、そういう本質的になんか、どうすればいいのかっていうことを考えるときに、第三者である、別に病気に関して基本的に第三者である、研究者っていう視点からだけだと、どうしても気付けない部分っていうのが、自分の場合は、ちょっと患者目線とか、実際自分に症状があって、かつ、まあ、まあ、自分だけじゃなくてその自分が患者であるので、患者の知り合いが、同じ病気の知り合いがいるんですけど、そういう人たちと話してて、ちょっとこの病気に多分、共通してこういうことがあるんだろうなみたいなのを、そういうのを実感しながら考えるので、ま、なんか見落としがちなその視点、患者のその視点から、何かその研究テーマをひねり出すみたいな、そういう感じの頭の使い方はやっぱり、その第三者として関わってる研究者に比べると、まあ、有利というか。まあもちろん、なんかそういう視点を、生かした研究をどうするかっていうのを常に考えるっていうふうにして、やることができてます。

障害学生の語り

研究室には「研究結果を出さなければどうしようもない」という雰囲気があり、何とか博士論文を完成させたところで研究活動は辞めることにした

――そのー、診断を受けたときには、あのー、ご自身の、指導教官とかには、その話をされたわけですよね。

はい。

――どんな感じの反応でしたか。

「ああ、そうか」っていう感じでしたね。「やっかいな病気だな」とは言われましたが、「おまえ、すぐ死ぬのか」とか言われました(笑)。…まあ、その病気はすぐに、亡くなることはあまりない病気でしたので、「ま、多分、先生より先に死ぬことはないと思います」というふうに話しました。…その先生も、もう、この前亡くなってしまったんですが。はい。

――あのー、研究に関してはその先生は何かおっしゃったんですか。続けることについて。

特に、そうですね。病気だからやめろという言われたことはないですし、「まあ、しっかりやれ」という。とりあえず、病気があろうがなかろうが、みんな結果出さないとしょうがないという、そういうところでしたから。…まあ、ま、…ほんとにできなくなれば多分、止められたんでしょうけど、ま、何とか止められる前に、まあ、いろいろ結果出しましたので、そういう意味では、特に病気が理由でやめろとか、そういうことを言われたことはないですね。

――そのご自身のご病気のこととかを、同じ職場の、あ、職場っていうかその研究室の方と話すとかってことはありましたか。

ま、多少はありましたけど、基本的にはまあ、病気があろうがなかろうが、取りあえず研究者で、博士課程なので、取りあえず結果出さないとどうしようもないということで、そこら辺はかなり皆さん厳しかったかなと思います。逆にその厳しい中でやらなきゃいけないなと思っていたので、ま最後何とか、…ちゃんと終わらすことができたっていうのは、良かったと思ってます。

ま、当時ですね、病気が進行しまして、まあ、歩くのがつらくなってきたという、そういうことが一つあります。まあ、それで車椅子に乗ってそういう実験とか、研究をしようということは全く考えていなかったということと、あと学生時代、思えば車椅子で大学の中、移動してる人は一度も見たことがなかったというのがあります。ま、それで、ま、車椅子に乗ってまで研究活動しようというそういう考えは、全く、起きなかったので、まあ、そのまま研究活動はやめようと、ま、そういうふうに思いました。

障害学生の語り

技術職として就職した会社では実験も他の人と同様にやらせてもらっている。最初から「こういう人間だからこの仕事」と決めつけることのない社風がありがたい(音声のみ)

それで、そんなことはあったんですけど、今、仕事して半年ですけど、まあ、6月にようやくこっち来たので…まあ、研究開発なんですけれども、その職場で、同じようにパソコンで解析をしたり、実験をしたり、何とですね、大学のときより実験してるんですよ。容赦ないと言えば容赦ないし…。

研究開発として、チューターさんと、まあ、新人なので、チューターっていう制度がありまして、その方と同じように動いて、あのー、ほとんど同じようにやらせてもらってると。まあ、当然、重たい、でかい物を運ぶだとか、そういったところは、ないようにしてもらってる感じはありますし、例えば、電動ドライバーとかで上からねじを開けたりとかするときに、ちょっと机が高くてですね、体重掛けにくかったりするんですよ。で、それがこの前分かって、それはやらされなくなったりとか、その作業のときは違う作業をしたりとか、まあ、そういったところはあるんですけれども。
やっぱり試してみて、駄目だったら変えるとか、そういう感じで、今、最初から、「あなた、この仕事」みたいな、そういう環境ではなくて、基本的には、そのー、まあ、言ってしまえばですね、自分の採用方式が総合職の技術職で、自分の会社だからかもしれないんですけど、障害者としての認識はされるんですけど、えー、総合職であって、技術職であると。そういったところから、要は、普通の人と一緒。なので、まあ、言ってしまえばですね、お金の面、お給料の面も当然、変わらないんですよ。そういう採用というか、契約というか、そういう状況なんで、本当にありがたいんですけれども、まあ、そうだし、ある意味、「こういう人間だから、この仕事」とか、そういう社風でもないし。だから、できるところはやるし、えー、できないのは、当然、もうみんながサポートするしみたいな、それが当たり前というか、前提というか、そういう会社ですね。

障害学生の語り

振動工学の研究室では一人で実験するのは危ないということで、シミュレーションを使った研究を選んだ。手を動かすことが好きなので実験できないのは寂しかった(音声のみ)

ただ、大学の4年のときに、うちは、えーと、研究室配属が来るんですね。…自分は結局、振動工学の研究室に入って、「じゃあ、テーマ、どうすんねん」っていう話なんですが。

実験して、実験で出た波形と自分の数式で、それでその波形を数式から導き出すとか、そういうことをするんですけど、まあ、実験をする必要があるんですね。で、あろうことか、そのー、何か、物がでかかったりとか、いろいろなものがあるんですよね。で、それは、自分は、まあ、1人でやるのはそもそも危ないっていう話。だから、結論から言いますと、まあ、「実験系はやめよう」みたいな、簡単に言うと。テーマの中で、だから、「どうにか、テーマの中で、デスク上でやれる内容にしよう」みたいな。要は、結局、実験で誰かついてなきゃいけないとか、何かあったら困るとか、まあ、良く言えば、先生は不安要素しかないので、まあ、魂胆を僕は聞いたことがないので、憶測でしかしゃべれないので、本当にしゃべっちゃいけないとは思うんですけど。

なんで、結局、自分は何をやったかっていうと、先生とテーマを考えて、車椅子を題材にして、「車椅子が、じゃあ、どういうときが危ないんですか」って話で、「段差のときに後転しますね」みたいな。

それなんで、「そういう所が危ないですね」って話をして、「じゃあ、どういう所で、じゃあ、それを、どういう車椅子だったら、そういうのが減らせるかね」みたいな話になって。なんで、「段差を乗り越えるときの車椅子がどういう挙動をするかっていうような研究をしようか」っていう話になって。で、内容としては、えーと、シミュレーション、数値計算ソフトを使ってシミュレーションをして、まあ話をするっていう研究内容に収まりました。本当に実験しなくて寂しいなとか。こう、自分の体を、まあ、手を動かし、体を動かしてるとか、動くことが好きだったんで、小さいころから。

分からないんですが、まあそういう意味では、おそらくですね、今回、この話で、まあ、そういう所が、世の中の理系学生、こういったものとして、難しいのはそういう所にあるんじゃないかという話だとは思うんですけれども、自分としては、結果、排除したほうが早かったっていう感じは受けました。そういう機会を排除したほうが、まあ、どっちにとっても安全だしというような感じはしますね。