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インタビュー時年齢:35歳(2018年12月)
障害の内容:肢体不自由(脳性麻痺)
学校と専攻:大学・理工学部(2002年度入学)、大学院(2006年度入学)
関東地方在住の男性。脳性麻痺で自宅では介助用車椅子、外では電動車椅子を使用している。学生時代は両親と自分の3人暮らし。高校まで普通学校で、大学は理工学部に進学した。教員免許の取得を強く希望し、受け入れ可能な教育実習先を探した。卒業後は大学院に進学し、その後は、患者と医療者と社会を結ぶ社会活動に従事している。
語りの内容
何かもう数えられないぐらい書類は出したので、あんまり覚えてないんですけど。
――数えられないぐらい。
うん。やっぱ大手のIT企業とかは受けて、あとその障害者向けの説明会やってますね、合同説明会みたいなの、あれ行ってまず面食らったのが、みんな普通に歩いてるんですよ。障害者採用っていうのは、車椅子の人採用ではありませんと。
――車椅子採用……。
の、人の採用っていうわけではなくて。要は視覚も聴覚も内部も障害者じゃないですか。そういう人たちが多かったってことです。
――車椅子の人、本当にじゃあいらっしゃらなかった。
もう、数えるくらいです。
――ああ、そうでしたか。
だから自分が行ったときは。要は今から10年ちょっと前ですけど。で、もう電動車椅子なんか、もう自分だけです。
――ご自分だけ。
うん、大体。で、それこそ、その自分の前にしゃべっている人が、ほとんど普通に歩いている人だと面接官もにこやかなんですけど、自分が行くと素っ気なくなったりとか。
――えー、態度が変わる。
変わった方もいますね。「ああ、だから車椅子の人採用じゃないんだな」っていうのは理解しました。いわゆる手のかからない人を採ろうとしてるなって思いました。
――いわゆる手のかからない人。
うん。要はサポートが少なくて雇える人っていうことです。
――そういうその実情、面食らったって先ほどおっしゃってくださったじゃないですか、そういう状況を目の当たりにして、ご自分としてはどう感じられました?
「ああ、自分の体って、やっぱみんなと違うんだな」って思いました。
――「みんなと違うんだな」。
うん。それまでは、幸いなことにそれを感じないで済んだんです。困んなかったから。でも初めて、就職っていうところが絡んだときに、「あ、やっぱり自分の体って不自由なんだな」って思ったんです。
――初めて、就職っていうのが絡んだときに、違うんだなって、不自由なんだなって。
うん。
――それは、やっぱりすごい、本当に気持ち的にも体的にもすごくしんどかったことだと思うんですけど。
うーん、まあ。まあ初めて大きな挫折をしたっていう感じですよね。クリアできないことが要は目の前に現れたっていうことと、あとその、今まで普通に、障害のない友達と一緒の道を遅れないで進むことに自分の価値があると思ってたんです。それができてることが自分の価値だと思ってた。
――遅れないということが自分の価値だと思ってた。
いや、同じような道を進んでいけてるっていうことが、まあ親の期待でもあったし、まあ自分のまあプライドでもあったし。で、それが初めて崩れた瞬間だったんですね。
インタビュー01
- 大学進学を考え始めた時期は覚えていないが、小学校から地域の普通学校に通っていたので、みんなが行くから行くもんだろうと思っていた
- 専攻が数学科で、ノートテイクは専門的な知識がある人を探すのが難しかったため、友人の授業ノートをコピーするのに、教員用に準備されたコピーカードを付与してもらった
- 大学2年の終わりに母校の高校で実習をしたいと依頼した。自分が通っていた高校なので設備は問題なかったが、理由はよくわからないが、断られてしまった
- 障害者向けの説明会でも歩ける人ばかりで、面接官も車椅子の自分には素っ気なかった。それまで健常者の友達に遅れないことに自分の価値を感じていたが、初めての挫折だった
- 1学期の間を一緒に過ごすと自然と周りの友達がサポートをしてくれるようになった。ノートのコピーも、いつもの人が休んだら他の人が貸してくれて困らなかった
- 親の反対を押し切って教職を目指したことについて、高校の担任からは「やっとおまえにも自我が出てきたか」と言われた。教職は、自分で考えて決めた初めてのことだった