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インタビュー時年齢:28歳(2019年6月)
障害の内容:聴覚障害(難聴)
学校と専攻:大学・工学部(2009年度入学)
首都圏在住の男性。先天性の難聴。小学校は普通学校、中高とろう学校へ通った。大学は、ドラえもんを作りたいと工学部へ進学した。学部では情報保障がなかったが、聞こえない仲間との交流が楽しかった。大学院は聴覚障害学生が多い所へ進学し、研究を通じてディスカッションなども学ぶことができた。現在、メーカーで働き始めて5年目になる。
語りの内容
――それは具体的に、どんな場だったんでしょうか。
いろんな、ま、理系のいろんな専門の人がごっちゃ混ぜになって、自分の研究のホットな話題を発表したりする。で、まあ、その研究がどう社会に生きるのかとかそういう議論をしておしゃべりの練習をするみたいな場です。こう書くと真面目に見えますが、実際はお酒飲みながらプレゼンをして遊ぶ場でした。
耳の聞こえない学生は、実は福祉系の学部に通う人が多くて、理系はボッチ扱いされる。自分の地域には、理系の話ができる人がいないという声が結構あったので、じゃあ一年に2回くらい集まって、まあ、オフ会みたいなのをやろうかと、そういう流れでできました。
――ご自身にとっては、こういう場を、が、あることって、どんな意味があったんですか。
まず背景を説明すると研究室の議論で、質問にうまく答えられないことがあった。その原因が、相手の言っていることが聞こえないからわからないのか、単純に知識が足りないからなのか、よくわからなかった。なので、自分で場を作って、「相手の言っていることが分からない」という条件をシャットアウトした。なので、議論をするときに、その場で議論をするときに、うまく答えられなかったら「自分の知識が足りない」というのが明確になった。なので、議論の力を鍛えることができたというのが大きいです。
――ここで、こういう場で聞こえない方同士で議論をするときは、手話を使うんですか?
手話をつかいます。
まあ、色々やり方はあって、指文字という日本語をまるごと、直接的に表現する方法を使ったり、プレゼン形式なので、スライドに専門用語を書いたり、あとは、その場限りの臨時的な手話を作る、「この用語はこんな風に表現するよ、いまは」という風に決めてやる、とか、そういう方法を使っていたと思います。まあ、上のやりかたはけっこう使われていた記憶があります。
インタビュー21
- ロボットを作ってみたいと思い、ロボットを作るにはどうしたらいいかと高校の先生に聞いたら、まずは大学に行って研究室に入るのがいいとアドバイスをもらった(筆談)
- 試験を口頭で予告されると対策できないので、ノートテイクをつけてほしいと言ったが、大学にノウハウがなく自分もどう動くべきかわからず、つけてもらえなかった(筆談)
- 大学には、受験の前に聞こえないことを伝えた。大学からは情報保障はないと言われたが、それでもいいと言って入学したところ、後から困る羽目になった(筆談)
- 新入生が買ったパソコンの使い方を教えるバイトを短期で経験した。学生が教室に集まり、ついていけない人をフォローする内容で、聞こえないことは特に困らなかった(筆談)
- 大学院2年目に、AI系の研究開発をやりたいと思って就活を始めた。一般向けの説明会より1対1で話が聞けそうな障害者向けの説明会に絞って情報を集めていた(筆談)
- 大学院1年の時にインターンに行った会社で、筆談でのコミュニケーションを希望したところ、全く嫌な顔もせず受け入れてくれたので、改めて試験を受けて入社した(筆談)
- 障害学生自身があまりがんばらなくても、情報保障を得られるようにしてほしい。学生は、勉強なり遊びなり本来使うべき所にエネルギーを使えたらいいと思う(筆談)
- 宅急便が来たのが分からず困ったが、役所に相談してチャイムと連動して光るランプを教えてもらい解決した。疲れてやかんを火にかけたまま寝たという失敗もあった(筆談)
- 研究では他の人同士の議論からも重要な気づきが得られるはずだが、自分にもわかるように話してほしいとは頼みにくくて、他の大学の耳の聞こえない友達に相談していた
- 耳の聞こえない学生同士でも福祉系学部に通う人が多くて理系はボッチ扱いされるので、チャットでやり取りしたり、年に2回くらい集まって自分の研究について議論したりした