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インタビュー時年齢:32歳(2020年11月)
障害の内容:聴覚障害(先天性難聴)
学校と専攻:大学・産業技術学部(2007年度入学) 大学院・建築デザイン専攻(2011年度入学)
首都圏在住の男性。4歳のときに先天性の難聴と診断され、補聴器を使う生活が始まった。小中高と普通校で学んだが、大学進学にあたって聴覚障害者に特化した教育を行っている大学を選び、そこで手話を覚えた。子どものころから絵を描くのが好きだったので、大学・大学院では建築を学び、建設会社に就職した。設計の仕事は様々な立場の人とコミュニケーションをとる必要があり、電話や会議で苦労することもあるが、相手と良い関係性を作っていく努力が鍵だと考えている。
語りの内容
最初に配属された場所がですね、実はちょっと、まあ、おっきな営業所だったんですね、東京の。で、建築の設計で、やってるんですけど、なんかこう、建築の設計は実は、設備とか構造とか、工事とか営業とか、いろんな専門の人と仕事が絡んでて、全部それをまとめないといけないのが設計の仕事だっていうのが、実際の世界なんですけど、ほんとにそれが大変で。電話が必要な仕事だったんですね。で、私が就職活動のときに、面接のときに「電話の対応はできません」って言ったんですけど、なぜか会社に入ると電話の対応がほんとに必要な感じで(笑)、それはもう、ほんとに苦しかったんですけど、自分でこう頑張って電話を始めて。で、ま、(インタビューの)一番最初に言ったんですけど、男の人の声は拾いやすくて、女性の声が駄目なので、仕事をしてる世界って男の人が多いんですね。もう8割、電話の相手は8割ぐらい男の人なので、男の人に当たるように、当たるように、ちょっと願って電話するみたいな(笑)。そういう感じで、ま、頑張ってこう、電話越しでコミュニケーションを取ってました。
難しいですけど、今思うと、パワハラだと思うんですけど、まあ、7年前のその時代は、それがパワハラとかもう思ってなく、まだ新入社員だったので、どうしてもやっぱり周りと、周りもみんな頑張ってて、同期が。みんなと同じレベルになりたかったので、やっぱりもう電話も必要なんだなと思って、そこから、まあ、自分が必要だと思って、もう自分が頑張ったっていう感じでしたね。んー。
例えば一番、どこの会社でもあると思うんですけど、言った言わないっていう問題って大きくて、例えば僕の仕事は営業さんから仕事をもらって、それを図面を描いて、で、建物が建つか、契約ができるかどうかとか、そういうのがやっぱ一つのおっきな流れなんですけど、やっぱこう、お客さんの要望を営業さんが聞いて、営業さんがそれを伝えてくれるときに、口で言うと何も残らないので、自分がノートに書くんですけど、どこかでこう間違えて、聞き間違えて理解してしまうと、あの、営業さんは「そんなこと言ってないよ」っていう話になると、後々、出戻りが多くなることがありました。それだけでも例えば1日、無駄にしてしまうとか、そういう経験もたくさんあって。そうなるともう、それで終わる話じゃなくて、無駄にしてしまったことをいろんな人に迷惑を、掛けてしまうことにつながるので、後でこう、怒られたりとか、原因を誰かがこう探したりとか、そういうのがどこ、どこか起きて、起きてしまうんですよね。だからそういうミス、まあ、ミスっていうのを増やさないように、やっぱり自分が理解した内容は相手にもう一回ちょっと確認したりとか、そういうことを徹底的にやらないと、ほんとに自分が後々、苦しくなるっていうのは感じてます。ま、そういった経験がありました。
理工系インタビュー08
- 大学院のゼミでは健聴者ばかりのディスカッションについていけなくて苦労した。代わりに先生とマンツーマンで指導を受けながら研究を頑張り、学年トップの成績を修めた
- 健聴者に配慮を求めながら対等な関係を保つためには、議事録になるような形でノートテイクをしてもらうなど、相手にもメリットがあるような提案をする必要がある
- 打ち合わせでは2人の人に協力してもらって、1人にはTeamsのコメント欄に内容を要約してもらい、もう1人にはスマホのGoogle音声認識アプリの字幕を表示してもらっている
- 最初に電話対応が必要な仕事に配属されたのは、今思うとパワハラだったと思うが、新入社員だったので同期と同じように働きたくて、苦しくても頑張ってしまった
- 大学から大学院まで6年間、ダンスを楽しんだ。音楽は聞こえなくても踊れるのを発信するのが楽しく、特に大学院では健聴の人たちと一緒に踊り音楽の幅が広がって楽しかった(NEW)
- 聴覚に障害のある人専門の大学は、高い就職率や絵の専門コースがあることが魅力だった。普通校から進学する葛藤もあったが、4年間自分の障害と向き合うのもいいかと思った(NEW)