シンシア
事故当時:56歳
インタビュー時:64歳
大学管理者(現在は引退)、離婚し、1子あり(事故で死亡)。26歳の娘が自転車に乗っていて、大型トラックに轢かれて死亡。審問の評決は "不慮の死"とされ、運転手は無罪となった。この事故でシンシアは打ちのめされたが、今は交通事故防止のキャンペーンを行っている。
語りの内容
その時、私は仕事中だったわ。6月の水曜日よ、お昼を食べに出て戻ってきたら、上司が私のオフィスに来て、警察官が私に話しがあるというの。いったい何をやってしまったのかと、二人の警察官がわざわざ来るなんてよほど悪いことをしたに違いないとパニックになったわ。オフィスには、上司、私、そして人事課から呼ばれたもうひとり。まず、警察官から腰掛けるように言われたの。もしかして、仕事を首になるのかと思ったわ。それから、娘がトラックにはねられ死んだことを告げられたのよ。信じられなかった。理解できないの。ショックが大きすぎて、いったい何を言われてたのかわからなくて。娘がどこにいるのか聞いたけれど、警察官は知らなかったわ。彼らは概要説明を十分に受けていなかったから。実際、彼らは何が起こったのかよく知らなかったの。言葉にならないほどショックが大きかったわ。事故の前の夜、娘と電話で話したところだったのよ。娘と私は、ほとんど毎日のように電話をしたり、メールをしたりしてたの。娘はアパートに友達と住んでいたけれど、ほとんど毎日なにかしら連絡はしていたわ。事故の前日の夜はヘアーカットのことを話していたの。2日後に彼女の働いているオフィスでパーティーがあって、たまたまその日は彼女がボーイフレンドと出逢って1年目の記念日だったから、二人はそのお祝いもするつもりだったのよ。ヘアースタイルや着ていく服のことなんかを話していたわ。こういう前日の娘との会話と警察官が私に言っている娘が死んだという事実が、まったく同時には受け入れられなかったのよ。信じられなかった。ただただ娘に会いたかった。
1時間半後に、警察官はなんとか娘のいる場所を探し出せたの。それはロンドン検死局の遺体安置所。上司がタクシーをつかまえ私をそこに連れて行ってくれたの。検死官に娘がどこにいるか聞くと隣の部屋だと言われたわ。「娘に会えますか」と聞くと 「それはできません。行きつけの歯医者の名前を教えてください。娘さんの身元確認に彼女の歯科医の治療記録が必要なので。」という答え。今でもある意味信じられないわ。もちろん解っているの、それが本当に起ったことだと。でもどうしても受け入れられないのよ。ショックはとても長い間続いたわ。そうね何ヶ月も。クラクラしてめまいがしたわ。でも、仕事として事故に関与している人というのは、自分たちの仕事に必要なことを私に告げるだけなのかもしれないわね。
インタビュー02
- シンシアは、2人の警察官から娘が亡くなったことを告げられた。あまりのショック状態で、警察官の言葉を信じることができなかった。
- 当初は、シンシアは自殺を考えたり、怒りを覚えたりしていた。上手くいかなかったのはすべて自分の責任だと思い、何が何だかわけもわからなくなっていた。しかし、次第に自分の怒りの感情を別のところへ向けていった。
- なぜ娘の遺体への面会が許可されなかったのか、検死審問の後になって、シンシアはその理由を理解することができた。しかし、できることなら死亡直後に理由説明をしてもらいたかったと考える。
- シンシアが抱く怒りと娘や他の人々のために法の公正さを求め闘うという決意は、彼女自身を完全に変えることとなった。シンシアは自分は違う人間になったと言う。
- シンシアは、娘が亡くなって以来、クリスマスには何もしたくないそうです。命日の6月には、毎回なにか特別なことしています。
- シンシアの娘は交通事故で亡くなった。外傷死で家族を失った遺族は、質問をしたり、情報を要求したり、アドバイスを必要とすることもあり得ると、彼女は語っている。