スザンナ
事故当時:2002年
インタビュー時:2008年
建築家、同性のパートナーと生活している。1子あり。2002年10月のバリ島爆弾テロで弟のダンを失い、他の遺族とともに、バリ島爆弾テロ被害者組織を結成した。
語りの内容
悲しみに暮れる遺族にとっては、いろいろなことが起こります。その場にいなかったにもかかわらず、心に感じる罪悪感にも苦しみます。その他にも、疲労困憊し想像を絶するような精神的につらい状態にあるため、身の回りで起こった多くのことをよく覚えていないんです。周りからは冷静に見えたかもしれませんが、そんな状態にはありませんでした。最近、インディペンデント紙に私の書いた記事が載ったのですが、書くという作業で、かなり感情を解き放つことができました。何ヶ月も何ヶ月もの間、混乱やショックの中にいましたから。不眠や悪夢、そして気が狂いそうな 死臭にも悩まされ続けて。書くためには集中しなければならない。その努力を3、4ヶ月続けると、なんとか集中できるようになってきました。仕事でも集中しようと努めました。その後、テロの犯人の裁判が始まり、マスコミから電話がどんどんかかってきました。事件は事件。テロを起こした人間の目的は理解できない。裁判に伴う膨大な量の(テロに関する)情報は、日常生活の色々な面に支障をきたしました。私には他に兄弟や姉妹はいません。ダンは私にとってまるで双子の弟のようでした。その彼がもうこの世の中にいないということは、私にとって想像を絶するほどのショックなのです。
インタビュー17
- スザーナは爆弾テロ事件発生時、弟ダンがバリ島に滞在中であることを知っていた。遺体の身元が確認されるまでの3週間、希望と絶望の繰り返しに苦しんだ。
- スザンナは、2002年のバリ島爆破テロ事件で弟が亡くなった後に感じたこと、生き残った者の罪悪感やその他の感情について語った。彼女は疲れ果て、自分の喪失感を新聞に投稿するという作業で心の中の抑圧された感情を解き放つことができたと語っている。
- 弟の死から6年経ったが、スザンナはいまだに悲しみを抱えている。時が過ぎても悲劇は変わらないし、悲しみがいつか終わるという考えは無意味だと感じている。
- スザンナにとってクリスマスは毎年辛い日だそうです。というのも、弟の葬式が12月23日だったからです。クリスマスと新年はどちらも大変心が痛むと語っています