スザンナ
事故当時:2002年
インタビュー時:2008年
建築家、同性のパートナーと生活している。1子あり。2002年10月のバリ島爆弾テロで弟のダンを失い、他の遺族とともに、バリ島爆弾テロ被害者組織を結成した。
語りの内容
その後、不眠になったし、たとえ眠れても何ヶ月もの間、悪夢に悩まされました。生活を前に進めることや仕事に集中することはとても難しかったのです。他のことを考えることができるようになるまで、1年半以上という長い時間がかかりました。非常に困難な状況にあってどうしたらよいかわからない。弟が亡くなったという事実そしてそれに伴うトラウマによって性格が変わったと思います。それまでとは全く違う生活を送らなければなりませんでした。悲しみを抱えて生きるということは本当に本当に難しいことなんです。時間にこの傷は癒せないんです。(生活の)環境を変えることは役立つかもしれない。でも起こった悲劇を変えることは出来ない。まるで爆弾テロが起こったあの日から変わらないんです。違いは、あの時はまだ生きているかもしれないという一縷の望みがあったということ、それから今は体の不調に慣れてきたということ。違いはそれだけです。
今現在、あなた自身はどんな様子ですか?まとめていただけますか?
もう以前の日常生活には戻れないということを受け入れて、生きなければならないと思っています。私には今は3歳になる息子がいます。だから前に進まなければならない。ただいつまでも癒されることの無い悲しみと生きていかなければなりません。弟にとても会いたい。一人っ子になりたくありません。バリ島爆弾テロの遺族の多くは同じように感じています。彼ら自身もまた年をとり、その上必要以上に年老いてしまった両親や家族の面倒を残った彼らだけでみなければならない。私にはできなくても弟は両親を説得するすべを知ってました。今私は一人でそれをやらなければならない。容易なことではありません。
悲しみには終わりはありません。ただこの状況を受け入れ生き続けるだけです。「事故は起こった。悲しみにももう区切りがついた。」そんなことはとてもいえない。終わることは無いんです。悲しみと生きることを学ぶ。でも終わりはありません。たとえばもっと繰り返し起こることや、恋人と別れたときなど、悲しみにも終わりがあるなんてことを言うのは、気持の整理のために役立つかもしれません。でも、肉親をあんな悲惨な状況で亡くした私にとっては到底考えられません。私にとって、悲しみに終わりがあるなんてことは意味の無い慰めの言葉であって全く役に立たないんです。正直言うと、悲しみの幕を閉じて立ち直ることができたかと聞かれる度に苛立ちます。悲しみに終わりがあるなんて聞くだけで腹が立ちます。
インタビュー17
- スザーナは爆弾テロ事件発生時、弟ダンがバリ島に滞在中であることを知っていた。遺体の身元が確認されるまでの3週間、希望と絶望の繰り返しに苦しんだ。
- スザンナは、2002年のバリ島爆破テロ事件で弟が亡くなった後に感じたこと、生き残った者の罪悪感やその他の感情について語った。彼女は疲れ果て、自分の喪失感を新聞に投稿するという作業で心の中の抑圧された感情を解き放つことができたと語っている。
- 弟の死から6年経ったが、スザンナはいまだに悲しみを抱えている。時が過ぎても悲劇は変わらないし、悲しみがいつか終わるという考えは無意味だと感じている。
- スザンナにとってクリスマスは毎年辛い日だそうです。というのも、弟の葬式が12月23日だったからです。クリスマスと新年はどちらも大変心が痛むと語っています