シンシア
事故当時:56歳
インタビュー時:64歳
大学管理者(現在は引退)、離婚し、1子あり(事故で死亡)。26歳の娘が自転車に乗っていて、大型トラックに轢かれて死亡。審問の評決は "不慮の死"とされ、運転手は無罪となった。この事故でシンシアは打ちのめされたが、今は交通事故防止のキャンペーンを行っている。
語りの内容
今現在の人生はいかがですか?これまでどんな風に変わったと思いますか?将来についてはどうお考えですか?
そうね、人生が変わったというより、私自身が本当に変わったのよ。娘の死の扱い方に対しての怒り、娘のケースを立証し毅然として闘う決意、それは私がまだ娘の母親であるということなの。たとえ、娘が死んでも、私はまだあの娘の母親なのよ。法廷の過程で娘の死と人生をあんな風に軽く扱ってほしくはなかったの。 私が抱く怒りと娘のケースを立証するために闘うという決意、そして同じような境遇にいる人々のためにも闘い抜くという決断は、私を根本的に変えてしまったわ。表面的な人生が変わったのではなく、私そのものが変わったの。私はもう昔と同じ人間ではないのよ。だから私は困惑した時期を過ごしたのだと思う。以前のような人間ではない、何度も感じ、でも自分自身がどういう人間になるのかわからない。まるでもう一度子供に戻って違う角度から世界を理解しようとしているような感じよ。私は変わった、でも自分のことを考えないといけないし、自分のことは自分で気をつけないといけないわね。私は昔以上に繊細にもなってしまったから。とても強くなったと思えることもあるけれど、同時に以前にも増して不安定で傷つきやすいという側面もあるの。だから気をつけないとね、両方の面でね。
たくさんメディアにもでるようになったから。娘の事故のことだけでなく、他の家族の事故や現在起こっている問題に対して語ったり。でもそれは私のすべてではないのよ。見た目とは違って、とても傷つきやすい部分もあるのよ。
インタビュー02
- シンシアは、2人の警察官から娘が亡くなったことを告げられた。あまりのショック状態で、警察官の言葉を信じることができなかった。
- 当初は、シンシアは自殺を考えたり、怒りを覚えたりしていた。上手くいかなかったのはすべて自分の責任だと思い、何が何だかわけもわからなくなっていた。しかし、次第に自分の怒りの感情を別のところへ向けていった。
- なぜ娘の遺体への面会が許可されなかったのか、検死審問の後になって、シンシアはその理由を理解することができた。しかし、できることなら死亡直後に理由説明をしてもらいたかったと考える。
- シンシアが抱く怒りと娘や他の人々のために法の公正さを求め闘うという決意は、彼女自身を完全に変えることとなった。シンシアは自分は違う人間になったと言う。
- シンシアは、娘が亡くなって以来、クリスマスには何もしたくないそうです。命日の6月には、毎回なにか特別なことしています。
- シンシアの娘は交通事故で亡くなった。外傷死で家族を失った遺族は、質問をしたり、情報を要求したり、アドバイスを必要とすることもあり得ると、彼女は語っている。