スザンナ
事故当時:2002年
インタビュー時:2008年
建築家、同性のパートナーと生活している。1子あり。2002年10月のバリ島爆弾テロで弟のダンを失い、他の遺族とともに、バリ島爆弾テロ被害者組織を結成した。
語りの内容
クリスマスの頃は特に気をつけています。弟の誕生日は11月5日でした。ちょうどその日に彼の遺体と共にイギリスに帰ってきたんです。クリスマスは特につらい日です。彼の葬儀が12月23日だったし、毎年必ず決まった人がいない。お正月も、蛍の光の歌とともにみんな家族と過ごす日でしょ。弟がいない事を思いしらされるんです。クリスマスは普通は楽しい時、だから余計につらいんです。仕事のクリスマス行事に参加できなかった。ちょっとのお酒で酔っ払って訳がわからなくなったり信じられないくらい精神的に脆くなっていて。でもそれを隠さなければならない。同僚にはわからないし。彼らは言うんです。「私の母が亡くなったとか、私の祖母が亡くなったとか。悲しかったけどそのうちに大丈夫になるよ」って。でも私だって彼らと同じだった。こんな悲しみを乗り越えて以前の生活に戻るすべなんて知らなかった。そんな準備なんてしてこなかった。
今後以前のような生活に戻ることは?
ありません。ただ一人前の人間として暮らすことができるようにまではなる。そうなるまでに長い時間がかかります。でも、以前の自分や日常に戻ることは絶対ありません。2002年10月11日以前の自分に戻ることは絶対にありえないんです。
インタビュー17
- スザーナは爆弾テロ事件発生時、弟ダンがバリ島に滞在中であることを知っていた。遺体の身元が確認されるまでの3週間、希望と絶望の繰り返しに苦しんだ。
- スザンナは、2002年のバリ島爆破テロ事件で弟が亡くなった後に感じたこと、生き残った者の罪悪感やその他の感情について語った。彼女は疲れ果て、自分の喪失感を新聞に投稿するという作業で心の中の抑圧された感情を解き放つことができたと語っている。
- 弟の死から6年経ったが、スザンナはいまだに悲しみを抱えている。時が過ぎても悲劇は変わらないし、悲しみがいつか終わるという考えは無意味だと感じている。
- スザンナにとってクリスマスは毎年辛い日だそうです。というのも、弟の葬式が12月23日だったからです。クリスマスと新年はどちらも大変心が痛むと語っています