シンシア
事故当時:56歳
インタビュー時:64歳
大学管理者(現在は引退)、離婚し、1子あり(事故で死亡)。26歳の娘が自転車に乗っていて、大型トラックに轢かれて死亡。審問の評決は "不慮の死"とされ、運転手は無罪となった。この事故でシンシアは打ちのめされたが、今は交通事故防止のキャンペーンを行っている。
語りの内容
同じような境遇の人々に何かメッセージは?
自分が信じていることを主張し戦いぬく備えをすることかしら。みんながその事故に関連する仕事をあなたのことを一番に考えてすると思ってはだめ。そうじゃないことが多いいものよ。そうなれば質問して、情報を要求して、手続きに関する情報を尋ね、そのような状況下で自分にはどんな権利があるか聞く必要があるのよ。だからそれができる心構えが大切ね。こわがらなくても大丈夫、情報を捜して、他の助言や意見をたずね、必要なものを集めて、そして自分が信じていることを主張し戦う。残念ながらそうしなければならないことがあるのが現実なのよ。
インタビュー02
- シンシアは、2人の警察官から娘が亡くなったことを告げられた。あまりのショック状態で、警察官の言葉を信じることができなかった。
- 当初は、シンシアは自殺を考えたり、怒りを覚えたりしていた。上手くいかなかったのはすべて自分の責任だと思い、何が何だかわけもわからなくなっていた。しかし、次第に自分の怒りの感情を別のところへ向けていった。
- なぜ娘の遺体への面会が許可されなかったのか、検死審問の後になって、シンシアはその理由を理解することができた。しかし、できることなら死亡直後に理由説明をしてもらいたかったと考える。
- シンシアが抱く怒りと娘や他の人々のために法の公正さを求め闘うという決意は、彼女自身を完全に変えることとなった。シンシアは自分は違う人間になったと言う。
- シンシアは、娘が亡くなって以来、クリスマスには何もしたくないそうです。命日の6月には、毎回なにか特別なことしています。
- シンシアの娘は交通事故で亡くなった。外傷死で家族を失った遺族は、質問をしたり、情報を要求したり、アドバイスを必要とすることもあり得ると、彼女は語っている。