マーティン
事故当時:41歳
インタビュー時:43歳
主夫(元倉庫管理人)。2子あり。妻のステファニはパートタイマーとしてロリポップレディ(登校時の子供の交通安全・誘導を行う)の仕事中に歩道でバスに轢かれて即死。寡夫として2子を育てている。カウンセリングが支えてくれた。
語りの内容
その後、奥さんの顔を見る機会はありましたか。
はい、事故の2日後、身元確認のために、病院の遺体安置所に行かなければなりませんでした。警察の連絡係の方が、私と私の姉、そしてステフの父母、そしてステフの二人の姉妹を連れて行ってくれました。私が正式な身元確認をするために先に警察に行きました。それまで遺体安置所に行ったことはありませんでした。初めに病院の待合室のような小さな部屋に通されました。すると、警察の連絡係の方に、妻の顔にいくつかあざがある、と言われました。私はこれからどんな姿の妻を見るのか、と全く想像がつきませんでした。部屋に入ると、妻は首までは覆われ、左手だけがシーツから出されていました。私が彼女の手を握ることができるように配慮してくださったんです。
あれが軽いあざというものならば、重症のあざやケガは絶対に見たくないと思いました。私の姉も、「本当にステフなの?」と尋ねたほどの形相でした。姉は、ステフが死に至るまで本当にひどく打ちつけられたことを思い知ったようでした。この時の記憶は定かではないですが、何となく、彼女の口は開いたままで、目の周りは縫われ、口から鼻にかけては黒と青色に変色していたことを覚えています。事故の時、タイヤが彼女の顔の上を通ったのでしょう。しっかりとステフの手を握り締めましたが、彼女の冷たさにまたショックを受けました。
インタビュー10
- マーティンの妻は制御不能に陥ったバスにはねられて亡くなった。マーティンが事故現場に到着したのは、彼女が亡くなった直後だった。彼は深いショックを受け、自分の人生は永久に変わってしまったと感じた。
- マーティンは死んだ妻の身元確認を頼まれた。妻の手を取った時には、あまりの冷たさにショックを受けた。
- マーティンは5歳の娘に母親が交通事故で亡くなったのだということを告げなければならなかった。娘は泣いたが、本当に母親は帰ってこないんだと理解するまでに数週間かかった。
- マーティンは妻のステフと過ごすクリスマスが大好きだったが、今はお祝いする気分になれない。去年のボクシング・デー(12月26日;キリスト教の休日) には、スペインへ娘を連れて行き