ゴッドフリー
事故当時:63歳
インタビュー時:77歳
総合診療医/大学教師。既婚、2子あり(1人は死亡)。 1995年、息子のエイドリアンは、列車に乗ろうとして致命的な外傷を受けた。何が起こったのか、詳細な情報を求めたが拒否され、審問では事故と評決された。怖ろしい悲劇だったが、いまも前向きな姿勢でこれに立ち向かっている。
語りの内容
自分にとって、息子について語れる人たちがいてくれたのは良かった。私たちが気づいたことのひとつは、私たちが息子についていろいろ話したくとも、これは同僚からの質問を受けた際に気がついた、私にとって辛いことのひとつですが、同僚のうち何人かは私と話をすることも困難だったということです。もちろん、このような状況の中では、人によってそのような態度になることもあると私もわかってはいましたけれど。私の親友の何人かは事故について私と話すことができなかった。でも、きっと彼らにとっては話すのが辛すぎたのです。私は息子について話したかったけれど、彼らは話したくはなかった。他者の苦しみに対処する能力は、本当に人それぞれであるという点は興味深いです。
では、もしあなたが他の方々へつらい経験を語っていたとすれば、それは実際にあなたにとって有用であったと思われますか。
思いますとも。まったくその通りです。思い出すことができるというのは良いことです。相手にすれば確かに、痛ましい喪失を完全に無視して話すというのは痛みを伴うものです。やはり、人というのは辛い経験を話したいのだと気が付くべきです。多分ほとんどの人はそうでしょう。なかにはそうでない方もいる。それでも私はほとんどの人は話したがっている、辛い経験を機会あるごとに話したいのではないかと思うのです。
インタビュー39
- ゴッドフリーはエイドリアンが事故にあったという知らせを聞いてから、真っ先に搬送先の病院へと向かった。息子が瀕死の状況にある事が信じられなかった。夫妻は、息子の生命維持装置を止める決断を下した。
- ゴッドフリーは、息子エイドリアンについて、その喪失感を誰かに話したいと思っていましたが、ゴッドフリーの親友や同僚にとっては、それをゴッドフリーを語ることが非常に難しいと感
- エイドリアンの死後、ゴッドフリーの友人や同僚たちはとても協力的だった。
- エイドリアンが亡くなったとき、ゴッドフリーは元の暮らしに戻ることはないだろうと思いました。彼ら夫妻は、今でもエイドリアンがいなくて寂しいと感じますが、何とか生活を立て直し