パット
事故当時:61歳
インタビュー時:62歳
訪問保健師(現在は引退)、離婚し、2子あり(1人は死亡)。 息子のマシューは、2007年に、バイク運転中に右折してきた車にはねられて死亡。検死官の評決では“事故”とされた。ショックを受けたが、家族、友人およびCruse Bereavement Careと呼ばれるチャリティー組織に支えられた。
語りの内容
葬式のとき、軽い気持ちから、私が閉鎖的になるだろうと言ったり、そのようなことをほのめかした人たちがいました。なんて異常なことなんでしょう、ほんとに異常ですよ。
葬式こそが、私たちを閉鎖的な気持ちにするのです。おかしいですよ・・・、おかしいと言えば、世の中の何もかもが狂ってしまったかのように思えます。私から見れば、人々の反応や、何ごともなかったように、いつも通りの生活をする人たちのほうが、おかしく感じられます。
皆が幸せそうに暮らし、天気の話をしながら、買い物を続けていて、なぜこの世の中が止まらないのかが分からないのです。なぜ皆が喪服を着て通りを埋め尽くし、泣き叫んでいるなんて光景を見ないのか、私の記憶では、この国には嘆きの儀式がないのです。そのことが、本当に残念です。私たちは、喪服を着たり、家に閉じこもったり、嘆き叫ぶことをしません。このような伝統は何一つないのです。私は玄関のドアや窓を真っ黒な布で覆い、世界に向かって、「私の息子は死んでしまったのよ」と叫びたい思いでいっぱいでした。でも、こんなことできる訳がありません。このようなことは非常識で、全く受け入れられません。全てが順調で良好だという印象から外れた振る舞いは、禁じられていると言うメッセージが、私たちには日々、一貫して与えられているのだと思います。ですから、このメッセージが常に強化されて、怒りも悲しみも強引に押さえ込まれて、表現することも許されていない、悪いことなのだと・・・。
このような考えはどこから来たのでしょう?パットさんがいつもこのように感じるようになったのはなぜですか。
そうですね。きっと私たちの幼少期に両親や家族に迷惑がかかるから、怒りを表現してはいけない、と言われたところから始まったのでないかしら。怒りは日常の一部として受け入れられていません。怒りは邪魔者としか見られていないのです。人々が精神的に病み、精神病院に収容されていた時代はそう遠くありませんよね。社会的行動が取れない、とそういう判断をされてしまったからなのです。そして、その辺りの暗黙の了解が今でもあるのではないか、と思います。
いつかは私たちが、怒りを素直に表現し、人々がそのまま受け入れてくれる、そんな日がくるならば、それはすばらしい日となるでしょう。
インタビュー05
- パットは息子マシューの事故死を、自宅に訪れた2人の警察官から伝えられた。精神的に打ちのめされ、呆然としてほとんど言葉がでなかった
- パットは、遺体安置所で息子と2人きりになりたかったけれど、検死官が付き添っていたために、それも叶わず、息子を洗ってやることも着替えをさせることもできなかったことに納得でき
- パットは、英国の社会には嘆きの儀式がないことを残念に思っている。パットは、玄関のドアを黒い布で蔽い、泣き叫び、怒りを表したかったが、それは英国社会では受け入れられないだろうと感じた。
- パットは亡くなった息子マシューの思い出に、素敵な木製ベンチを湖の近くに置き、命日や誕生日など、折あるごとに、そこを訪れた。
- パットはマシューを亡くした後しばらくはショックで涙を流すことさえできなかったが、それは外傷死後にみられる典型的な反応であることをのちに知った。パットは経験豊かなカウンセラ
- パットは、泣くことが人には必要なのであり、そうすることによって感情を解き放つことができるのだと指摘している。最初は泣けなかったが、最近は毎日泣いている。