ジョセフィーン
事故当時:49歳
インタビュー時:57歳
心理療法士、夫は1子を残して死亡。ドイツ人。夫のニコラスは、2001年に自動車事故で死亡した。ジョセフィーンはショックを受けたが、死は人生の一部であることを理解し、"緑の葬儀"(環境保護NPOが提唱する葬儀の形式)を執り行い、自分の土地にニコラスを埋葬した。家族や友人から大きな支援を受けた。
語りの内容
私たちが実際どれくらいそこにいたのか、私にはわかりません。多分2時間ほどだったでしょうか。私たちは・・、私はニコラスの身体に触れたいと思いました。木製の架台にカバーを掛けられて在る彼なんてみたくなかった、何もかも・・ほんの数時間前までは生きていたんです、彼が死んでしまったからって、どうしてそばにいたくないなんてことがあるでしょう?それから、彼は・・・・すごくきれいに見えたわ。母は、その3週間ほど前に癌だって診断されて、その数ヶ月後には亡くなったのだけど、母もニコラスも恍惚とした表情をしてた、まるで何かオルガズムのような陶然とした様子で、すばらしいことよね(笑)、怖ろしい感じなんて全然ないの、エクスタシーの表情だった。
貴方おひとりだけで彼のそばにいらしたの?
いいえ、私たち家族は皆一緒でした、でも実際に彼と一緒にいたのは私だけです。私たちは3日間毎日彼に会いに行ったのです。
警官も脇に立ち会って居なければならなかったの?
いえ、いえ、そうじゃありません。
家族だけにしてくれたの?
私たち(ジョセフィーンと友人たち)をそこに残してくれたのです、そうです。私たちのために時間をつくってくれたんです。とても親切だったわ。ひとつだけ心残りといえば、あれをもって行かなかったこと・・・思いつかなかったのよ(笑)・・・今ならもっと考えたと思うのだけど、レコードプレイヤーをもって行って、彼が好きなハリ・クリシュナの音楽を聴かせてあげれば良かった。毎朝彼はその曲を一種の瞑想法として利用して、それを聴きながら自分の部屋で、何も身に着けずに踊ったり、詩を暗唱したりしていたわ。とてもきれいな曲で、以前と同じように感じられたわ。これとは別の話だけど、検視官はとても親切でした。解剖が必要だったのだけど、私は彼の身体を妨げて欲しくなかったの・・、彼をそのまま送り出したいと感じていたので、検視官に言ったの、「私たちは仏教を信じているのよ、だから3日間は遺体を邪魔しないでほしいの」って。検視官はそれを受け入れてくれたので、3日間お通夜みたいなことをしてすごしたわ。毎日、午後になると私たちも、友人たちも、そこに集まって遺骸と一緒に時を過ごした、そこには彼の存在が感じられ、まるで一緒にいるみたいだった。私のスカーフをその身体に着けてあげた、頭を後ろのほうに曲げていたので、頭の下にスカーフを挿入したの。3日目には、台車の脇に身体を横たえて、彼の身体を抱きしめ、身体は冷え切って生気は感じられなかったけれど、とても身近に感じられ、なじんだ気がした。そうすることが許されるのが大事なの。