診断時:25歳
インタビュー時:40歳(2012年7月)
女性・中部地方在住。健診センターで看護師として働き、術後に知り合った夫と二人の子どもと共に暮らしている。25歳の時に大腸がんと診断され、患部は手術で切除したものの、人工肛門を造設することになった。検診はそれまで毎年受けていたが一度も潜血反応が出たことはなく、むしろ肛門のかゆみと倦怠感が気になっていた。かゆみは痔によるものだと思っていたが、肛門科を受診することに躊躇しているうちに、発熱した。その時に肛門から解熱剤を入れて強い痛みを感じ出血したのが受診のきっかけである。
語りの内容
夏休みに姉と一緒にハワイ旅行へ行ったんですよ。それで、えー、なんか…うん、やっぱり自分の気持ちも多分クヨクヨしとったのか分からないんですけど、その、もう飛行機の中から具合が悪くなっちゃって(笑)、それで着いた時にはちょっともう、熱があるような感じだったんですね。それで、ホテルに入った時に、解熱剤で座薬を入れたんですね。お尻から入れるやつですけど、それを入れた時にすごく痛みが走ったんですよ。そんで、そのあと、ちょっと出血もあったもんですから、なんか、もう「いよいよ痔がひどくなっちゃった」(笑)と思ってたんですね、その時は。だから、「帰国したらもう絶対に病院に行くんだ」っていうふうにその時に思って。
あまりこの辺じゃかかりたくないと思って、隣の市へ行って、それでそこを受診して、ええと…まあ、先生に…診てもらったんですけど、そこでやった検査が、ええと、大腸のカメラですね。内視鏡のカメラだったんですね。ほんで、そこで、あの……診てもらったら、まあ、肉眼的にも、もうカメラだから分かりますよね。その…「痔があるよ」ってやっぱり言われたんですね。
そんで、後日、その手術の日の予約みたいなことをして、うーん、それからそんなに経ってなかったと思うんですけど、まあ「痔の手術」と思ってましたから、まあ、普通に内視鏡だけで…その…先生が「痔」って言われる部分を(笑)切り取ってもらって、その時に、先生がその細胞の検査を出したんですね。その切り取ったそのものだったんですけど。うん。で…まあ、それが「がんだったよ」っていうことで、あの、あとで…まあ、告知ですけど、受けて。で、あの、そこの痔の専門の病院の先生が、ええと、「大学の同期の先生で立派な先生ががんの専門病院で同期でいるから、紹介するから、そっちで手術してもらいなさい」っていう話になって、それで、その痔のお医者さんがそのがんの専門病院の先生を紹介してくださったんですね。うん。そんで……まあ、そんな「痔だ」と思ってましたからねえ。うん。それは相当なショックでしたけどねえ。
インタビュー20
- 下剤は塩っぽい味がするので、飴玉をなめながら飲んだ。検査の前には緊張しないように注射を打ち、しばらくは車を運転しないように言われた(テキストのみ)
- 肛門のかゆみや倦怠感などがあったが、恥ずかしくて病院に行くことがためらわれた。親に相談しても、「嫁入り前の娘が行くところではない」と反対された(テキストのみ)
- 肛門科で「痔がある」と言われて手術したが、切除した組織を検査したところ、がんだということがわかって、ショックを受けた(テキストのみ)
- がんであることと人工肛門になることの両方が同時に来たので、パニックになってしまい、自宅に電話をかけようとして何度も押し間違えた(テキストのみ)
- 便潜血検査を受けていたのに陽性になったことはなく、いつも快便だった(テキストのみ)
- 検査のときに出血していなければそのまま通過してしまうので、便の状態に気をつけていたほうがいい。思えば自分もお酒を飲んだ後に下痢を繰り返していた(テキストのみ)
- やはり自分の身体に対してもっと敏感にならなければならない。すべてを検診に任せるのではなく、自分の体調は自分で管理することが大事だと思う(テキストのみ)
- がんがあっても便潜血検査がプラスになるとは限らないので、検診にも腫瘍マーカーがあればいいのにと思う(テキストのみ)
- 看護師だったので、手術をすれば人工肛門になるとわかっていたので、手術されてびっくりということはなかったが、なかなか最初は受け止められなかった(テキストのみ)
- 将来出産できるか主治医に聞くと「大丈夫、何人でも産める」と言われ心強かった。実際に妊娠したときは、人工肛門で3人産んだ人の話を聞くこともできた(テキストのみ)
- 術後、医師からがんをしっかり叩いておきたいと言われ、抗がん剤治療をしたが、皮膚が黒ずんできて、妊娠への影響も不安だったので、中止してもらった(テキストのみ)