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診断時:51歳
インタビュー時:64歳(2012年5月)
東北地方在住。会社経営。妻と二人暮らし。1999年、大腸がんと診断される。診断を受ける数年前からは排便時に痛みがあったが、仕事が忙しく、病院に行くのも嫌だったので検査には行かなかった。また、毎年受けていた会社の健康診断の検便で陽性反応が出たこともあったが、そのときも精密検査は受けなかった。その反省を踏まえ、周囲には精密検査を受けることの大切さを伝えている。
語りの内容
―― あのー、その大学病院を受診されてから、えーと、がんと診断されるまでには、結構すぐに診断はついたんですか?
あの、すぐにつきました。…あのー、……あれ病理検査っていうんですか。すぐ、2~3日ですぐ…つきまして、ええ。
―― ちなみに、あのー、…そのがんの部位というんですかね…は、どこだったでしょう?
あのー、直腸の、お尻から、指で触れる程度の位置でしたんで、あの、もう取るしかないと。…あ、「取るしかない」って先生言わなかったんですけども、「非常に厳しい位置ですね」と。……で、何の、何の話をしているんだろう、わたし自身には全く分からなかったという。お尻がなくなるって、想像だにしませんので。…え、何のこと、っていうような感じでしたけどね。
―― あ、その、「お尻がなくなる」っていう言い方をされたんですか。
あの、そうですね、もう閉鎖するという。
―― えーと、がんのステージは?
あの、Ⅱだと思いました。ええ。
―― えー、大腸のがんであるということを、ま、言われて、多分やっぱり、あのー、いろいろ情報がほしいって思われたと思うんですけれども、何かこう、調べられたりとか見られたりとかっていうことはあったんですか?
正直言ってそんなゆとりなかったですよね(笑)。あのー、がん…になればもう、入院して、病院から出れないだろうと。そうなったときに自分の会社どうなるのか。自分の体よりも先に、自分の会社どうなるのか。……それが一番、あのー、がんのいろんなこと調べるよりも、まず自分の会社を…を、その、ちゃんとわたしがいなくても、できるような状態にしていかなくちゃならんという思いのほうが先でしたんで。全く調べていませんでした。
ただ、先生にお願いしたのは、そのー、お尻がなくなるっていうことが全く自分には分からなかったんで、で、あの、残こしてくれと、とにかく残こしてくれと、いうことをお願いしたんですけれども、それは切ってみなくちゃ分からんから、……。まあ、じゃ、全てお任せしますと…いう形で、あの、1カ月後に手術したんですけどね、ええ。
インタビュー15
- 小さい時に母を乳がんで亡くしているので、がんになったら余命いくばくもないというイメージが強かった
- 2、3回陽性になったこともあったが3年続いたことはなかった。便潜血検査は寄生虫の検査くらいにしか思っていなかった
- お尻に激しい痛みがあり、肛門科を受診したところ、直腸指診ですぐにがんが見つかったが、自分ではそんなものがあるとは思ってもいなかった
- 痔の痛みがこらえきれなくなって肛門科を受診したところ、「痔ではない」と言われて大学病院を紹介された。悪性腫瘍と言われて目の前が真っ白になってしまった
- 直腸の指で触れるところにがんがあり、「非常に厳しい位置ですね」と医師に言われた。「お尻がなくなる」ということは想像できなかったので、とにかく残してくれと頼んだ
- 術後1週間くらいは身体が辛くて大変だったので、ストーマがついたことに強烈な印象は持たなかった。ただ「これなんだ、でももうしょうがない」と思った