ジリアン
インタビュー時:55歳
性別:女性
診断時:51歳と53歳
経歴:既婚、ITトレーナー。
国籍:イギリス人(白人)

短縮版:ジリアンは2005年に乳癌と診断され、その時の年齢は51歳であった。乳腺腫瘤摘出術、放射線療法、タモキシフェン投与およびアリミデックス投与を受けた。2007年、非浸潤性乳管がんと診断された。乳腺切除術と同時に広背筋皮弁方乳房再建および化学療法を受けた。

語りの内容

2007年5月、半年に一回の定期健診のため、外科医を受診しに病院を訪れました。腫瘍チームを受診した次の受診日には外科チームを受診していました。今回は外科医を受診し、他の女性に見せるために写真を撮ってもいいかと聞かれました。乳腺腫瘤摘出術を受けても、なんら大きな変化はありません。外科医の仕事は素晴らしいものでした。ほんの小さな線があるくらいで、くぼみなんてないと言ってもいいくらいだと思います。

ですので、私は「いいですよ。」と言いました。その後、外科医は「ああ、受けたことがあるんですか…?最後にマンモグラフィを受けたのはいつですか?」と言いました。私は、「1年以上前です。」と言いました。そして、彼は言いました、「では、あなたがここにいる間」、というのは、極めて長い旅(待ち時間)ですので、彼は、「私はあなたに紙片(カード)を差し上げます。(検査室に)行ってそれをやり遂げてください。」と言いました。

それで私は夫と一緒に移動して、少しの間(検査室の)まわりに座りました。その後、私は(検査室の)中へ入りました。検査スタッフは、片方ずつマンモグラフィの撮影をし、その後彼女はそこへ私を座らせたまま出て行きました。私は時間が長すぎると思わなかったですが、彼女が戻って来て「もう一つ別の撮影を行いたい。」と言いました。なので、もう一つ別の撮影を行い、そして再び私は少しの間座らされていました。その後、彼女は医師を連れてきました。そして、私は「これはあまり良くなさそう。」だと思いました。彼女が「服を着てください。」と言いました。私は主人のもとへ行きました。なぜなら、この時までに彼は再び、(そんな彼のために神の恩恵を祈ります・・・)、偏執症患者みたいに(病的なほど疑り深く)なっていったのです。彼らは私達を中に呼び入れ、私がDCIS(非浸潤性乳管がん)と呼ばれるものにかかっていると考えていると言いました。それは腫瘍ではないけれど、ほとんど前癌期のようなものでした。

私はあぜんとしました。まさかそうなるとは思っていませんでした。最初の治療の後、私はただ、それが終わった、あるいはそういうふうに見えていたと、本当に極めて肯定的に感じていました。私は明らかに余裕を持っていました。そして、再び癌になることはないと思わなかったとは決して言いませんでしたが、以前癌になった場所にまた癌ができるとは全く予想していませんでした。

それで再び、2、3日のうちにだったと思いますが、生検のため病院に行きました。その後、私たちは呼び戻され、私は、そう、間違いなくDCISであると告げられました。そして、前回の癌がつい2年前の事という理由で、医師らは乳腺切除と化学療法を推奨しました。彼らは最初極めて正直だったので、私は彼らを信頼したんだと思います。「化学療法は必要ないのではないですか。」と聞くと、「今回は確実に化学療法が必要です。」というので、私は受けることにしました。

乳腺切除術と乳房再建を同時に受けました。

私は: です。

(アンケート結果の扱いについては個人情報の取り扱いについてをご覧ください。)

認定 NPO 法人「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」では、一緒に活動をしてくださる方
寄付という形で活動をご支援くださる方を常時大募集しています。

ご支援
ご協力ください

モジュール一覧