ペニー
インタビュー時:47歳
性別:女性
診断時:37歳
経歴:既婚、研修生教育担当マネージャー
国籍:イギリス人(白人)
短縮版:2000年、ペニーが37歳の時に、乳癌であると診断された。主な治療経歴は、乳房切除、放射線治療、抗癌剤としてタモキシフェン、アリミデックスを服用。その他、卵巣摘出も行っている。以後10年間、再発もなく過ごしている。
語りの内容
切除術の後、休暇に出かけました。今になって考えると、どんな風にして行ったのか不思議ですが、確かに休暇に行きました。私の母が荷造りを手伝ってくれました。その時だったのです、ハッとさせられました。私は急にビキニが着られなくなってしまったのです。もちろん、着ようと思えば着れたでしょう。だって、誰も気にしないでしょう。でも、その時は考えてしまったのです。夏らしいトップス?人目を引くストラップのついた服?どうしよう、私何を着ればいいのかしら。その時は、乳房切除手術を受けた女性たちがどんな服を着ているのか、全く知らなかったのです。それから、主人が地方紙の記事で、乳房切除をした人用の服を扱う店について知ったのです。
私はその店に電話をして、そこを訪れました。そして自分の状況を説明しました。そこの店員はとても素敵な女性二人でした。彼女たちは、いろいろな種類のブラジャーを見せてくれました。10年前はそれほどかわいいブラジャーはなく、ストラップの太い、あまり見栄えの良くないものばかりでした。ここで売られている下着は、ともかく胸のふくらみを補てんする物を支えるものだったのです。この時に、それが「ソフティー」と呼ばれるものだと知りました。特別素晴らしいものだとは思いませんでした。彼女らは、何枚かとても高価なワンピースの水着や他の水着を見せてくれました。本当に高価だったのを覚えています。「こんなのおかしいわ。世の中には私達のような女性がたくさんいるのに。彼らはこのお金を全部請求するのだわ」私はそう思いました。「けれど、私に何が出来るというの?成り行きにまかせるしかないんだわ」
結局、私はブラジャーとビキニを買いました。何にせよ、このおかげで私は休暇に向かうことが出来ました。休暇はとても有意義なものになりました。
インタビュー52
- ペニーさんがまだ病院にいた頃、彼女は乳房切除痕をご主人と一緒に見たという。
- ペニーさんは家族に随分支えられたと言う。彼女は、家族たちにも乳房切除痕を見せた。手術前と何も変わらない同じ人間なのだということを分かってほしかったという。
- ペニーさんは、乳房切除の後まもなく休暇に出かけた。彼女は、乳房切除を受けた人の為の服を探し出し、水着などを買わなければいけなかったが、なにより値段が高いと思った。また、この何年かでデザインも素敵になったと思っている。
- ペニーさんが手術を受けた10年前と比べて、乳房切除を行った女性のための衣類は非常に増えたと彼女は感じている。
- ペニーさんは、自分の楽しみの時間を前より持つようになった。彼女は、勉強をしたり、サックスのレッスンを受けたりしている。彼女は、ファッションショーにまで参加している。
- ペニーさんは、世の中の女性たちに対し、このようにアドバイスしている。診察を受けるときは、誰かと一緒に行ってください。そして、どうか焦らないでください。
- ペニーさんのご主人は、ほぼ毎晩、彼女の乳房切除痕をマッサージしている。性行為は早期の更年期の為に変わった。彼は終始協力的に彼女に接しているという。
- ペニーは、5年間のタモキシフェンの服用の後、アリミデックスの服用を始めてから現在まで、ほぼ5年が経とうとしているが、もうすぐその服用を止めていいかどうかが分かるということです。
- ペニーは、自分の症状が更年期によるものか、タモキシフェンやアリミデックスの副作用によるものか彼女自身分かりませんでした。次の診察の時に、アリミデックスの服用を止められるかどうかが分かるというのです。
- ペニーさんは、乳がん再発の可能性を少しでも低減するために、卵巣摘出という選択をしました。彼女とご主人は、既に子供を持たないことを決断していたそうです。
- ペニーさんは、病院で卵巣を摘出した時のことを詳しく語ってくれました。少し痛みと不快感がありましたが、翌日には退院しました。