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診断時:31歳
インタビュー時:40歳(2018年10月)
東海地方在住。右乳がんで乳房温存術後、放射線療法とホルモン療法を行ったが、2013年局所再発し、乳房切除術と乳房再建術を行った。その時、遺伝子検査を受け、遺伝性乳がん卵巣がん症候群とわかった。2016年肝臓に多発転移が見つかる。現在は薬物治療と緩和治療を並行しながら、若年性のがん患者が集う場を運営。乳がん診断前より慢性の痛みを患っている。両親と3人暮らし。
語りの内容
本当にいわゆる一般の人が言うがん家系っていうイメージで、ずっと子供の頃から育ってきて、で、その最初のがんが分かった2009年のときに、遺伝性というがんもあるっていうことを分かっていて、主治医の先生には、「遺伝性の心配はありませんか」って聞いたんですが、そのときはステージ0のがんだったということもあって、そんなに、それは心配することもないんじゃないかっていう主治医の先生との話になって遺伝性の検査は受けなかったんですが、治療をずっと続けていたのに2013年に局所再発をしたときに、やっぱり遺伝性が関係あるのかなと思って、自ら、先生に話して、で、検査を受けたという感じです。
―――あんまり多分、遺伝性ということが、あの、詳しくない方が多いかなと思うんですけど、最初に遺伝性っていうことが分かったときって、ご自身にとってはどんな影響がありましたか。
最初のがんがステージ0と超早期だったのに、繰り返しになりますけど治療もしていた上で局所再発して、母には私のこう日頃の食生活とか、そういうのが悪いんじゃないかっていう感じで言われたりもしていたので、遺伝子検査を受けて遺伝性って分かった時点で、私はショックというよりは、体質、生まれ持った体質みたいなものだから仕方ないのかなっていう諦めではないですけど、そういう何か納得がいったというか、そういうものを生まれ持っているから、こういう状況に今置かれているんだなっていうので、ショックというよりは納得したというほうが強かったです。
インタビュー54
- 体調不良で検査をしたら、たまたま転移が見つかった。遺伝性と診断されていてがんとは切っても切れない関係にあると思っていたので、ついにそのときがきたと感じた
- 趣味ややりたいことができなくなってしまうことが不安。そこまで治療を頑張る意味があるのか考えてしまう。治療あっての生活ではなくて生活あっての治療だと思う
- 子どもの頃からがん家系というイメージで育ってきて、遺伝子検査で遺伝性だとわかったとき、ショックより生まれ持ったものだから仕方ないと納得した
- 両親は結果をそのまま受け入れたようだった。今、がんではない姉は自分が検査を受けて遺伝性だとわかっても不安になるので、遺伝子検査は受けないと言った
- 父方からの遺伝だったので、父とは話せずにいたが、取材をきっかけに父の気持ちを知ることができた。自分が父を責めることなくきてくれたのがよかったと話していた
- 婚活中に遺伝性のがんであることがわかり、自分は結婚して子どもを設けてよいのか悩んだ。今は結婚よりも人生そのものや趣味に興味があり楽しんでいる
- 放射線療法後の再建手術だったので、術式で悩んだ。患者会や講演会に行き、情報をたくさん得ることができたが、情報を得すぎて混乱してしまった
- 遺伝子検査の結果を聞いた後、遺伝カウンセリングは受けずにきた。自分で残っている乳房の予防的切除、卵巣の予防的切除はしないことに決めて、定期的に検診を受けてきた
- 若年者ターミナルケア支援事業が他県で始まったことを知り、自分の地域でも導入できるよう日本中の情報を1人で集めて働きかけた。制度導入後、手すりをつけることができた
- 早い段階から緩和ケアを受けることが推奨されていて、局所再発がわかったときに診察を受け始めた。月一回受診し、心身両面のケアをしてもらっている