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診断時:45歳
インタビュー時:46歳(2008年2月)
首都圏在住。2007年に左乳房切除術とリンパ節郭清術、術後抗がん剤治療を受けた。現在はホルモン療法を行っている。友人の会社で不定期に働いており、治療中も体調に合わせて、週一度くらいのペースで勤務していた。高校生の息子2人と夫の4人暮らし。
語りの内容
本当に、あの、一晩が長く感じられて。ただ、麻酔からさめて、すぐに一度、戻したんですね。吐き気が強くて。でも、何かそれはよくあることらしくて、看護師さんがすぐ枕元に用意していってくださっていて。きれいに本当に、朝絶食だったにもかかわらず、胃の中のものがスッとこう、戻すことができて、まあでも、それ、1回きりで、ああ、こんなものかなと思いながら過ごしました。一晩、とても長くて、早く、ああ、夜が明けないかな、明けないかなと思いながら過ごしましたけれども。途中、傷痕の痛みがひどくて、えー、痛み止めの注射を1回、2回かな、していただきました。
もう我慢しないで、すぐ言うようにということだったので、お言葉に甘えて、すぐ痛い痛いと言って(注射)していただいたので、割とスムーズに過ごすことができました。で、もう5月ですから、結構日が長くて、夜明けも早くて、5時ごろかな、もうちょっと明るくなってきて、看護師さんに、「もう外して、外して」って言って、あの、お願いして、「もうしょうがないわね」などと言われながら、「でも、まあ元気だし、大丈夫そうね」と言われて、導尿の管と酸素と、あの脚のエアマッサージの全部外していただいて、ああ、すっきりした。まあ点滴だけはどうしてもね、抗生物質なんかの点滴がありますから。
そして、私は左胸でしたけれども。手術した後、すぐその傷痕のちょっと下のところからドレーンで、中から、こう出るんですね。体液とか、溜まった血液などが、術後出るものが、中に溜まらないように、そこから外に排出されるドレーンを2本、こう、管が、細い管が出ていて。その何ていうんでしょうね、それがこう、パックに出て、あの、出た血液とか体液が小さなパックに溜まるようになっているんですけども。それを点滴のまたその下のほうに引っ掛けて。で、その点滴と、そのドレーンだけが外れないわけですけれども、まあ、それを押して、もう自分でお手洗いにも行くことができて、やっと1人で動けるといって、その朝、もう外していただいて。すぐに反動を付けて思いっ切り起き上がったら、また同じ部屋の患者さんが、すっごくびっくりして、「すごいわねー」とおっしゃいましたけども。私はもう自力で起き上がることができて、何かとてもホッとしたというか、まあ確かに傷痕は痛いんですけれども、ああ、動けるっていうのが、何かこう、嬉しいっていうような気持ちでおりました。うん。
インタビュー05
- 毎年、婦人科で乳がん検診(視触診)を受けていたが、自己検診でしこりを見つけた
- セカンド・オピニオンを勧められたが、気持ちに配慮した先生の対応に信頼して、そこで手術を受けることにした
- しこりの大きさから、温存しても「整容性」に問題があると言われ、別の形成外科でも全部摘出して再建するほうがいいと言われた
- 麻酔から目覚めてから朝までは、嘔吐や傷の痛みが辛かったが、明け方に酸素や導尿の管を外してもらってからは点滴台を押して自分でトイレに行った
- 家に戻ってから半月くらいの間、ガーゼがびっしょりぬれるほど傷口から大量の体液がにじみ出て不安になり、メーリングリストに質問した
- リンパ節転移もあったので、再建手術はきちんとがんが治るまで3年待つようにいわれたが、日にちがたつうちに次第におっくうになってきた
- FECという3種類の抗がん剤を外来で3週おきに点滴した。毎回、治療前に採血をして白血球数を医師がチェックした上で、治療が始まる
- 治療は外来で、まず吐き気止めを入れてから抗がん剤の点滴が行われた。原則的に手術した腕には点滴を刺せないので、最後の方は血管を探すのが大変だった
- 抗がん剤治療中、もともと通っていた整骨院で免疫をあげるつぼを刺激してもらっていた。効果はわからないが、予定通り最後まで治療することができた
- かつらは友人からもらったり、ひまわり基金でレンタルしたりして、事前に用意した。帽子と部分ウィッグの組み合わせも重宝している
- ホルモン感受性があったので、抗エストロゲン剤を5年間飲むことになった
- がんには温熱療法がいいと聞き、テルミーというお灸の施術を受けて、ストレス解消になった
- 医師は薬の値段の説明をしないので会計の窓口で驚いた。タキソテール点滴後は車の運転ができないので、タクシー代もかかる
- アメリカ人女性が乳がんの手術痕にオリーブの枝のタトゥーを入れている写真を見て、エネルギーを感じた。乳房を失うことで女性性も人間性も損なわれないと思っている
- 診断されたあと、夫にメールで乳がんだったと伝えたら、「一緒に治していこう。今日、おいしいものを食べに行こう」という返信が返ってきた