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診断時:45歳
インタビュー時:46歳(2008年2月)
首都圏在住。2007年に左乳房切除術とリンパ節郭清術、術後抗がん剤治療を受けた。現在はホルモン療法を行っている。友人の会社で不定期に働いており、治療中も体調に合わせて、週一度くらいのペースで勤務していた。高校生の息子2人と夫の4人暮らし。
語りの内容
私は今のところリンパ浮腫の兆候はまるで見られなくて、そして、手術された執刀された先生が「神経をね、切っていないから、支障ないはずなので」というふうにおっしゃって、神経を切る場合なんてあるのかしらって思ったんですけれども(笑)、本当に何も支障なく。ただ、自分でもびっくりしたのは、手術が終わって抜糸をして、家に戻ってから、傷口からですね、リンパ液のような体液がですね、たくさん出たんです。それで、ガーゼを当てて過ごしていたんですけども、本当に普通に暮らしているのに、そのガーゼが最初は黄色い液体なんですけれども、びっしょりぬれるんですね。で、やっぱり傷口なので。で、まあそれまで、抜糸するまで、ドレーンでそこから管で体液を抜いていましたから、ああ、その分なのかしら。で、ドレーンは直前にもう抜糸のときに抜いていますから、小さな穴として残っていますけどもふさがっていますよね。だから、傷口というのは、まあ縫ってありますけども、その縫い目のところからこうにじみ出てくるような形で、そのガーゼがぬれるんですね、びっくりしましたね。
で、しばらくの間、どのぐらいだったかしら、半月ぐらいですかね、本当に換えても、換えても、ガーゼがぬれていくので、私も入れていただいた乳がんのメーリングリストの方に質問をね、してみましたら、そこに参加されているお医者さまがお返事をくださって、本当に生活に支障が出るほど、それが大量であれば、心配なので、執刀された病院に行くようにというふうな、でも、少しだったらね、溜まってしまうよりは、中に溜まってしまうということがやっぱり浮腫の原因の一つになってくると思うので、溜まってしまうよりはね、少しぐらいは大丈夫って返事をくださって。ああ、そう。そんなもんかしらって思う間もなく、次の診察のころには止まっていましたから、ああ、若干そういうこともあるのかなと初めて思いました。ただ、それは、事前に読んでいた本とか、中には全然そういう記載がなかったので、まあ格別に私の場合そういうことがあったのかしらというふうに思いましたね。
インタビュー05
- 毎年、婦人科で乳がん検診(視触診)を受けていたが、自己検診でしこりを見つけた
- セカンド・オピニオンを勧められたが、気持ちに配慮した先生の対応に信頼して、そこで手術を受けることにした
- しこりの大きさから、温存しても「整容性」に問題があると言われ、別の形成外科でも全部摘出して再建するほうがいいと言われた
- 麻酔から目覚めてから朝までは、嘔吐や傷の痛みが辛かったが、明け方に酸素や導尿の管を外してもらってからは点滴台を押して自分でトイレに行った
- 家に戻ってから半月くらいの間、ガーゼがびっしょりぬれるほど傷口から大量の体液がにじみ出て不安になり、メーリングリストに質問した
- リンパ節転移もあったので、再建手術はきちんとがんが治るまで3年待つようにいわれたが、日にちがたつうちに次第におっくうになってきた
- FECという3種類の抗がん剤を外来で3週おきに点滴した。毎回、治療前に採血をして白血球数を医師がチェックした上で、治療が始まる
- 治療は外来で、まず吐き気止めを入れてから抗がん剤の点滴が行われた。原則的に手術した腕には点滴を刺せないので、最後の方は血管を探すのが大変だった
- 抗がん剤治療中、もともと通っていた整骨院で免疫をあげるつぼを刺激してもらっていた。効果はわからないが、予定通り最後まで治療することができた
- かつらは友人からもらったり、ひまわり基金でレンタルしたりして、事前に用意した。帽子と部分ウィッグの組み合わせも重宝している
- ホルモン感受性があったので、抗エストロゲン剤を5年間飲むことになった
- がんには温熱療法がいいと聞き、テルミーというお灸の施術を受けて、ストレス解消になった
- 医師は薬の値段の説明をしないので会計の窓口で驚いた。タキソテール点滴後は車の運転ができないので、タクシー代もかかる
- アメリカ人女性が乳がんの手術痕にオリーブの枝のタトゥーを入れている写真を見て、エネルギーを感じた。乳房を失うことで女性性も人間性も損なわれないと思っている
- 診断されたあと、夫にメールで乳がんだったと伝えたら、「一緒に治していこう。今日、おいしいものを食べに行こう」という返信が返ってきた