※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。
診断時:45歳
インタビュー時:46歳(2008年2月)
首都圏在住。2007年に左乳房切除術とリンパ節郭清術、術後抗がん剤治療を受けた。現在はホルモン療法を行っている。友人の会社で不定期に働いており、治療中も体調に合わせて、週一度くらいのペースで勤務していた。高校生の息子2人と夫の4人暮らし。
語りの内容
で、都立病院の先生は、「いつでも再建はできるから、きちんとまずがんを治して、それから、いらっしゃい」というような言葉をいただきました。ただ、あの、私のそのがんの組織、しこりが小さくないこととか、まあこれは術後に分かるんですけれども、リンパ節に転移がありましたので、再発や、ほかのところへの、まあもっと言えば、片方の胸に転移する可能性とか、取ったほうの胸に再発する可能性というのが少なからずあるので、乳房の再建については3年間は待ってほしいという、手術する主治医の先生がおっしゃって。3年というのが長いのか短いのか、よく分かりませんが、3年以内に再発する可能性が高いんだなあと、そのときには受け止めて。
で、私は、その同時再建というのも本で読んで知っていましたので、そういうのが本当は良かったなあ。どうせなら、一度の麻酔で痛い思いするのも1回で済んだら良かったなっていうのは、今でも思っていますが。ただ、せっかく胸を作っても、また、再発したりしたら、また切らなければいけないし、そして、がんの再発についても見落とすことが、まあ出てきてしまうから、3年は我慢してねという言葉を何度も今も反すうしていますけども、結果的には良かったかなというふうに思っています。
けど、不思議なもので、手術をして、日にちが、まだ1年たっていませんけれども、だんだんたってくると、もう一度、手術をするのがだんだんおっくうになってくるんですね。それがとても不思議な感じで、最初はすぐにでもと思っていた気持ちがもう一度再建をする、ああ、手術をするという、痛い思いをする。で、そして今、あの、乳房の再建には保険適用については、自分の組織を使わないと保険適用ができないというふうに聞いていますから、おなかとか背中の肉を使うんでしょうけれども、そちらにも傷がまた入るということなので、うーん、どうしたもんかなあと思って、まあ3年間のうちに考えればいいと思って、私の中では保留して、今、いるんですね。
インタビュー05
- 毎年、婦人科で乳がん検診(視触診)を受けていたが、自己検診でしこりを見つけた
- セカンド・オピニオンを勧められたが、気持ちに配慮した先生の対応に信頼して、そこで手術を受けることにした
- しこりの大きさから、温存しても「整容性」に問題があると言われ、別の形成外科でも全部摘出して再建するほうがいいと言われた
- 麻酔から目覚めてから朝までは、嘔吐や傷の痛みが辛かったが、明け方に酸素や導尿の管を外してもらってからは点滴台を押して自分でトイレに行った
- 家に戻ってから半月くらいの間、ガーゼがびっしょりぬれるほど傷口から大量の体液がにじみ出て不安になり、メーリングリストに質問した
- リンパ節転移もあったので、再建手術はきちんとがんが治るまで3年待つようにいわれたが、日にちがたつうちに次第におっくうになってきた
- FECという3種類の抗がん剤を外来で3週おきに点滴した。毎回、治療前に採血をして白血球数を医師がチェックした上で、治療が始まる
- 治療は外来で、まず吐き気止めを入れてから抗がん剤の点滴が行われた。原則的に手術した腕には点滴を刺せないので、最後の方は血管を探すのが大変だった
- 抗がん剤治療中、もともと通っていた整骨院で免疫をあげるつぼを刺激してもらっていた。効果はわからないが、予定通り最後まで治療することができた
- かつらは友人からもらったり、ひまわり基金でレンタルしたりして、事前に用意した。帽子と部分ウィッグの組み合わせも重宝している
- ホルモン感受性があったので、抗エストロゲン剤を5年間飲むことになった
- がんには温熱療法がいいと聞き、テルミーというお灸の施術を受けて、ストレス解消になった
- 医師は薬の値段の説明をしないので会計の窓口で驚いた。タキソテール点滴後は車の運転ができないので、タクシー代もかかる
- アメリカ人女性が乳がんの手術痕にオリーブの枝のタトゥーを入れている写真を見て、エネルギーを感じた。乳房を失うことで女性性も人間性も損なわれないと思っている
- 診断されたあと、夫にメールで乳がんだったと伝えたら、「一緒に治していこう。今日、おいしいものを食べに行こう」という返信が返ってきた