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診断時:45歳
インタビュー時:46歳(2008年2月)
首都圏在住。2007年に左乳房切除術とリンパ節郭清術、術後抗がん剤治療を受けた。現在はホルモン療法を行っている。友人の会社で不定期に働いており、治療中も体調に合わせて、週一度くらいのペースで勤務していた。高校生の息子2人と夫の4人暮らし。
語りの内容
さっさと胸を新しく自分の組織でつくって、普通にまた、まあ普通にと言っても、まあ傷は少々残るでしょうけども、何て言うかなあ、前向きに生きていくという選択もありますし。あとは、胸を失ったことを、また、違う意味でまるきり気にせずに失ったままで失ったからといって、自分の女性性とか人間性とかは何も損なわれていないというふうな考え方で前向きに生きていくという、選択することは違うんだけれども、どちらにしても前向きに生きていくことはできるんではないかというふうに考えたんですね。どちらが前向きなのか、比べることもできませんけれども、それはその人が乳がんになった患者さんたちが、好きなようにしたらいいというふうに思うので、それぞれの方の選択には、全然、私はこうしたほうがいいんじゃないかとか、全然口を挟むつもりもないし、一人一人のお考えだというふうに思うんですけれども、私自身はいまだ決めかねているという、どちらもありだなというふうに思っております。
手術までの日にちの中で、読んだ1冊の本に松井真知子さんという方が書かれた、『アメリカで乳がんと生きる』だったかなっていう、ご本があったんですけども。その本の表紙に片胸を切除されたアメリカの詩人、詩ですね、ポエムのほうですけど、詩人の方がその、乳がんの手術の傷跡に沿ってオリーブの枝を、入れ墨ですかね、アートメイク、タトゥーを入れてらして、それが胸のところの傷が見えないぐらい、木の枝が、オリーブの枝がこう描かれている裸の写真が表紙に写っていたんですけども、それは本当に両手を広げて空に向かって、とても自由な何かこう解放されている姿を写真見て、あー、何かちょっとすごいなあと思って、アマゾネスのように(笑)、という言葉を思い出しましたけども、昔そういうアマゾネスの人たちが弓を引くために、あえて邪魔になると言って、片胸を切り落としたというふうなことを聞いたことがあって、何かとてもパワーというか、エネルギーを感じて、松井真知子さんの本には、とても励まされておりましたね。
インタビュー05
- 毎年、婦人科で乳がん検診(視触診)を受けていたが、自己検診でしこりを見つけた
- セカンド・オピニオンを勧められたが、気持ちに配慮した先生の対応に信頼して、そこで手術を受けることにした
- しこりの大きさから、温存しても「整容性」に問題があると言われ、別の形成外科でも全部摘出して再建するほうがいいと言われた
- 麻酔から目覚めてから朝までは、嘔吐や傷の痛みが辛かったが、明け方に酸素や導尿の管を外してもらってからは点滴台を押して自分でトイレに行った
- 家に戻ってから半月くらいの間、ガーゼがびっしょりぬれるほど傷口から大量の体液がにじみ出て不安になり、メーリングリストに質問した
- リンパ節転移もあったので、再建手術はきちんとがんが治るまで3年待つようにいわれたが、日にちがたつうちに次第におっくうになってきた
- FECという3種類の抗がん剤を外来で3週おきに点滴した。毎回、治療前に採血をして白血球数を医師がチェックした上で、治療が始まる
- 治療は外来で、まず吐き気止めを入れてから抗がん剤の点滴が行われた。原則的に手術した腕には点滴を刺せないので、最後の方は血管を探すのが大変だった
- 抗がん剤治療中、もともと通っていた整骨院で免疫をあげるつぼを刺激してもらっていた。効果はわからないが、予定通り最後まで治療することができた
- かつらは友人からもらったり、ひまわり基金でレンタルしたりして、事前に用意した。帽子と部分ウィッグの組み合わせも重宝している
- ホルモン感受性があったので、抗エストロゲン剤を5年間飲むことになった
- がんには温熱療法がいいと聞き、テルミーというお灸の施術を受けて、ストレス解消になった
- 医師は薬の値段の説明をしないので会計の窓口で驚いた。タキソテール点滴後は車の運転ができないので、タクシー代もかかる
- アメリカ人女性が乳がんの手術痕にオリーブの枝のタトゥーを入れている写真を見て、エネルギーを感じた。乳房を失うことで女性性も人間性も損なわれないと思っている
- 診断されたあと、夫にメールで乳がんだったと伝えたら、「一緒に治していこう。今日、おいしいものを食べに行こう」という返信が返ってきた