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診断時:47歳
インタビュー時:51歳(2008年2月)
東海地方在住。2004年、乳がんと診断され、右乳房温存術、追加切除術、抗がん剤治療、放射線療法を受けた。2006年、骨転移で放射線療法と抗がん剤治療を受けた。2007年、肝転移、胸膜転移で抗がん剤治療を開始。金融機関に勤務し、休職と復職を繰り返してきた。治療中に夫と義父を看取っている。
語りの内容
やはり、主人が亡くなったことでも、あの子たちは十分ショックを受けているんですね。で、なおかつ若くして両親を亡くしてしまうんではないかっていう不安を与えたくない。
あの子たちにしてみると、まあ、あの子たちも子どもじゃないから、自分なりに「がん」っていうものとらえてると思うんですね。深くは知らないまでも、で、きっと調べてるかなって思いもする。だから、弱気な私を見せてはいけない。もうそれはね、主人が病気になったくらいから、ずっとそうだったんですけどね。「私は大丈夫」っていう、ずっとお母さんで来たので…
娘に一度、そういうふうに言われたことあるんですね。「いいんだよ」って、「自分にぶつけてくれて」っていうようなことあったんだけど、でも、2回目の転移のときに、ちょっと娘が精神的に落ち込んでしまったときがあって。あれ見たら、「やっぱ駄目だ」って思っちゃって。うん。
その前も、でも、私もちょっとこう、あの子にイライラをぶつけたりなんかしちゃってて、あの子はあの子なりにきっと悩んでて、いっぱいいっぱいだったのかもしれない。それで、私がまたそうやって転移しちゃったっていうことで、ドカンって来ちゃったのかもしれない。「そうだよな。まだ大人大人とは言っても…」と思いました。
インタビュー06
- 友人と検診の話になり、胸を触ったら硬いものを見つけ、乳がん検診に行った
- 切除範囲に関する術後の説明に納得が行かず、別の病院に行って超音波やCTなどの検査をした結果、追加手術でがんを切除した方がいい、といわれた
- 乳房温存手術に引き続き抗がん剤治療を受け、職場復帰して通院で放射線治療を受けた
- 腸骨と股関節の転移部に放射線照射をするのに、通院途中で転んで骨折するといけないということで、入院して治療を受けた
- 知人に健康食品を購入するよう勧誘されたが、月に10万もかかるので、つい「人の弱みに付け込んで」とけんか腰になってしまった
- ジムで腰が痛くなり、近所の整形外科でレントゲンを撮ったところ、精密検査を勧められた。腫瘍マーカーの上昇はなかったが、骨シンチで腸骨に転移が見つかった
- インターネットや本で免疫力を高めるものを調べ、ニンジンジュースや野菜スープ、ねばねば食品、発酵食品など自分なりに1日分の食事のメニューを作っている
- いついつまでに何かをするといった目標を立てるのをやめ、頭を真っ白にする時間を作るようにしたら、気持ち的にすごく楽になった
- 休職して再発治療に専念できるよう、人事部の担当者と医務室の保健婦さんが、配属先の上司との間に立って話をつけてくれた
- 再発後、本気で治そうと思ったら仕事を辞めて別の人生を歩むことも考えるべきかと思うが、(自分が家計を支えているので)それでは経済的に追いつかない
- きょうだいにはみんな話しているが、高齢で心配性な両親には未だに話していない
- 娘は懸命に支えようとしてくれるが、夫が亡くなり、自分も再発したことのショックは大きいと思う。弱気な自分を見せてはいけないと思っている