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診断時:37歳
インタビュー時:42歳(2008年7月)
東北地方在住。乳がんで母親がすでに他界し、父親と2人暮らし。34歳頃から左右の乳頭からの出血があり、父親の勧めで受診。2003年秋に両側乳がんと診断され、両側乳房全摘術、術後化学療法、ホルモン療法を受けた。発症時は飲食店に勤めていたが、現在は退職。父親も脳梗塞と大腸がんを患っており、現在は生活保護による医療扶助を受けている。
語りの内容
私には頼れる、頼れる親戚もいなくて、1人ぼっちに個室におかれてしまったんですね。で、大変、もうそのとき、お金はお父さんが持っているし、3000円しか持っていなくて、これはどうしょうと思って(笑)。もう、個室にたまたま電話があったもんですから、友達と知り合いに電話して、付き添いとあと手術の前の日の説明を一緒に聞いてくれないかということを頼んで。そして、何とか、友達に付き添いを頼んで、知り合いには、手術前の説明を一緒に聞いてもらって。ついでにって言っちゃなんですけど、先生に「ちょっと今、私、お金、今持ち合わせがないものですから、手術前に用意できるものが、あの、明日になりますけど」って先生にお話してから、帰ってきたんですが。「結構ですよ」って。「看護婦さんと、あの、相談してくださいね」っていうことで。そして、そのときに、知人に1万円お金をお借りして、胸帯だのT字帯だの手術に必要なものを買い揃えて。そして、それから、友達が付き添ってくれたんですよ。普通は、親戚とか、身内が付き添うものなのにって、情けない話だけど、でも、ほんとに、ありがたかったですよねー。
そのとき、言われたのが、「医療の扶助を受けなさい」って言われたんです。屈辱的だな。でも、退院して、この先の生活を考えたら、抗がん剤もしなくちゃいけないわけだし。お父さんも脳梗塞なものだから、しばらく働けないだろうなっていうことで。福祉のお世話になることに決めたんですね。そして、何とか、抗がん剤始めてから受理されまして、今に至るまで、ほんとにお世話になっている状態です。
インタビュー21
- 10代でしこりに気づき、30代になって乳首からの出血があったが、こんなに若くして乳がんになるはずないと思っていた
- マンモグラフィのあと、超音波検査、そして、念入りに触診が行われた
- 腑に落ちないまま、後で後悔することのないようにセカンド・オピニオンはとっておいた方がよい
- 本当は乳房再建したいと思っているが、今は限りなく本物に近い人工乳房を買って、温泉に行くときには貼りつけている
- 病院でのリハビリ指導がなく、一人でやらなくてはならなかったが、最初は指も動かなくて、腕が完全に上がるようになるには3~4年かかった
- 入院中に腕に軽いむくみが出て、しびれや虫が這うような痛みを感じるようになった
- ホルモン療法で更年期症状が出た。また社会復帰しても思うとおりに体が動かず、うつではないかと気づき、精神科にかかった
- 抗がん剤の副作用の軽減のためにアガリクスをしばらく飲んだが、サプリメントの摂り過ぎで劇症肝炎になった例がある(※)と知ってすぱっとやめた
- 心と体は一つととらえる立場から、ストレスをなるたけ軽減しようと思っていて、酒も飲み、食べたいものも食べ、言いたい放題、やりたい放題している
- 父も脳梗塞で入院してしまったので、知人に入院時保証人になってもらって手術を受けた。しばらく働けないので、この先の治療や生活を考えて医療扶助(※)を受けることにした
- 独身女性の自分にとって乳房のないのは死活問題だと思う一方、乳房を取ったことで本当の運命の人に出会えるかもしれないとも思う
- 告知に同席した父親は強いショックを受けたようだった。2週間あまりして脳梗塞で交通事故を起こしたのはそのせいかもしれないと思う