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診断時:42歳
インタビュー時:42歳(2008年8月)
首都圏在住。2006年秋、自分で異常を発見。2007年夏、左乳がんを診断され、乳房温存術のあと、ホルモン剤内服を開始。現在、化学療法の最終クールを受けている。独身で両親と3人暮らし。治療のため、派遣先の会社を退職したが、来月から新しい派遣先で仕事を再開する予定である。
語りの内容
病名が分かった時は、一応、派遣先にも――仕事が営業というものだったので、お客さまを担当で持っているような仕事でしたので、そちらで迷惑がまず掛かっちゃいけないということで――派遣先と派遣元とを全部、もうすべてオープンにしました。で、手術する時もお休みをちょっといただくので、その間のフォローも含めて、じゃあ、どうするかというような仕事上の相談を一応、その派遣元の方と、派遣先の、一緒にお仕事をしている人とで、相談をして、こうやりくりを立てたような形です。
で、その後は、実際にその病名を派遣先にこう伝えて、仕事の、相談というか、仕事を「それでも働きたいです」という意向をちょっと示しても、なかなか難しいところはやっぱりありまして。で、実際にその…派遣で、がんになるというのはこういうことなんだっていう(笑)のをちょっと思い知ったといいますか。仕事については…、本来であれば公表しない方が良かったのかなというのがちょっとあります。
インタビュー27
- マンモグラフィの後、超音波検査(エコー)をし、MRIでほぼ診断が確定した
- リンパ節を取らないときのリスクの説明を医師から聞いたが、とにかくリンパ浮腫を避けたかったので、術式の選択でリンパ節を取らないでくださいとお願いした
- 最初、自分がノーマルな治療法から外れていると思って不安になったが、人それぞれに合った治療法があると考えるようになって精神的に楽になった
- 術前・術後の2回、セカンド・オピニオンを受けて、覚悟を決めることができた
- 4分の1切除なので切った直後は思いっきり凹(へこ)んだ感じになっていたが、3ヵ月くらい経つと肉が盛り上がってきて、特に補整は必要ない程度になっている
- 診断時は営業の仕事だったので派遣先にも派遣元にもすべてをオープンにしたが、結果的に派遣先に受け入れてもらえないことが多い
- 最初に気づいてから、治療にかかる経済的な負担を考えて、10ヶ月間は仕事を優先することにして受診をしなかった
- 髪の毛がなくなるということは、女性としての楽しみの一つを諦めざるを得なくなることなのだと実感した
- 出産は無理かもしれないが、結婚はあると思いたい。必要以上に重たく考えないようにしている