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診断時:38歳
インタビュー時:42歳(2008年8月)
近畿地方在住。2004年1月に右胸のしこりを発見。8ヶ月ほど放置し、嚢胞(のうほう)が10cmを超えるまでに大きくなったため、受診。右乳がんを診断された。乳房温存手術のみを実施。術後は無治療で、定期検診しながら、現在に至る。事務職の派遣社員で、夫と2人暮らし。子どもはいない。術後、仕事に復帰している。
語りの内容
ちょっとやっぱり負担をかけるかもしれないけども、本当に親しい友だちにはちょっと言わさせてもらおうと思って、少しまあ告知を受けて1カ月ぐらいしてから、少し気持ちも落ち着いてて、私、なぜか沈むことがないんですね。逆に負けるのが腹が立ってたんで、ちょっとパワフルに生きてたんですけども。友だちにも少しずつこう呼んで、話しだしたんですね。で、「本当に申し訳ない、ちょっとこういうこと言って、あなたに負担をかけるかもしれないけど、ちょっと私、がんになってしまったのよ」っていうことで、友だちはやっぱりあ然としてました。で、どう言っていいんかわからないんですよね、友だちも。
で、「あ、そうなの」っていう感じで。「えっ?」って感じでいたので、もう私のほうから何かこう、「大丈夫だから」っていうことで、話していったんですね。で、私の友だちって、本当に私、人に恵まれていたんですけれども、言ったからといって友だち別に逃げることもなく、普通に付き合ってくれたんですね、今までとおんなじ。「じゃあまた、体調のいいときに、また同じように食事しようね」っていうことで、体調的にも何も悪くなかったんで、同じように入院するまで、一緒にずっとこう付き合ってショッピングしたり、食事に行ったりしてたんですね。
で、その間も、患者というものは何か話したいんですよ。で、話せば気持ちが少し落ち着くんですね。で、聞いてもらえればいいんですよ。で、何も意見とか言ってもらわなくていいんですよね。で、それが私の友だちはすごくこう皆できた人が多くて、じーっと私の話を聞いてくれたんですね。で、何も一切言わないんですね。私の病気のことに関しては。「じゃ、がんばって」っていう言葉じゃなくて、「また会おうね」って感じで。で、「しんどくなったら無理せずに、しっかりっていうか、ま、ゆっくり治せばいいから」っていうことで、言ってくれたんですね。
インタビュー30
- 一旦はがんだと受け止めたが、ショックというよりだんだん「なんで自分が」と腹立たしくなってきて物に当たったりした
- がんと聞いて「がーん」という言葉が頭をよぎった。がんイコール死を連想するというが、自分の場合は乳房を切除するショックが大きかった
- ランキング本や病院の評判を参考にして、今の病院に行って主治医に出会えた
- 皮下乳腺全摘をすることにしたが、浸潤していない可能性が高いなら、センチネル生検も含めて、リンパ節には触らないで欲しいと頼んだ
- がんが小さくなれば乳房を温存できると思い、1ヶ月だけのつもりでメシマコブを試したが、乳房の嚢胞がどんどん大きくなってしまったので、2週間であきらめて手術の予約を入れた
- まず母親に話して、留守だった父親に伝えてもらった。入院前に両親に会いに行ったら、父親は言葉には出さなかったが、涙を目に浮かべてとても心配していた
- 友人たちが普通に付き合ってくれたのが嬉しかった。患者というのはただ話を聞いてもらえればそれで落ち着くこともある
- 30代後半で罹患したが、出産可能なぎりぎりの年齢であり、ホルモン療法を5年受けるとなると人生の設計図が変わってしまうので、葛藤がある