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診断時:42歳
インタビュー時:56歳(2008年8月)
北陸地方在住。1996年春、左乳がんを診断され、左乳房切除術+腋窩リンパ節郭清、同時に、腹直筋皮弁による左乳房再建術を受けた。術後合併症として、腹部創の離開を起こし、傷が治るのに2年近くかかった。当時は両親と3人暮らし。仕事は自宅で音楽教室講師をしており、術後3ヶ月後に復帰。
語りの内容
再建は、私自身、第一に希望していました。で、あの、自分の場合は、乳首の、1センチ以内ですかね、2センチ以内ですかね、とにかく微妙なところの、…その乳腺のそのちょっとした、このちっちゃい、ほんとの一点の細胞で、全部取るのはすごく、何か、割り切れないじゃないですけど、やっぱり、女性としまして、あの、細胞のそれいかんで、何か全部、取るっていうのは、すごく勿体ないような気がしまして。そして、ぜひ、ぜひ、再建してくれと。それは、もう手術する前から考えて、いましたし、あの、何とかっていうふうに、何回か、ほんとは、そのときの当時の、先生方っていいましょうか、その担当の先生は、まず、年代で見るんですね、一つは。で、私のそのときの状態は、まず、フリーであること、誰も子どももいない。
あの、子どもは生みましたが、当時私の手元には子どもはいない、旦那はいない、40、ま、結婚して、何かあっても、まあ、ね、その年代で、これは、全部、取ったほうがいいっていう、説明は、ほんとに、再三、3回ほど、私、夜になると2人の担当の先生と、顧問の、実際に手術をね、診ていただいたその先生2人から、もう、再三、取れという感じですが、私は、もう3回とも、断固としてもう、いや.。「考えるように」って何回も言われましたが、私は、もう、決めていました。いや、「再建ということで、お願いします」と。そこは、頑張りました。はい。
インタビュー31
- 市の検診(視触診)では異常がなかったが、胸の痛みが気になり、受診した (音声のみ)
- クールに淡々とがんであることが告げられたが、人生が終わりのように感じられて、1週間くらい涙の枯れない眠れない夜を過ごした (音声のみ)
- 乳首の近くの小さながんのために乳房を全摘するのは、女性として割り切れない思いがあり、医師たちの再三の説得にもかかわらず、再建を強く希望した(音声のみ)
- 退院後1週間ぐらいで腹直筋皮弁法でできたお腹の傷が開いて黄色い汁が出てきて、それから2年近くずっと、毎日ガーゼを当てては取り替える日々が続いた (音声のみ)
- 腹直筋皮弁による再建術の後は、お腹から胸にかけて全体がしびれているようで、寒さにとても敏感になった(音声のみ)