診断時:40歳
インタビュー時:43歳(2008年9月)
首都圏在住。2005年秋、右乳がんと診断。右乳房温存術とセンチネルリンパ節生検、術後放射線療法、化学療法を受けた。現在、ホルモン療法中。2006年秋には子宮頸がんで手術。 夫と二人暮らし。診断時、大学院生。現在は大学院修了後、研究職を続けている。
語りの内容
抗がん剤で入院したんですけれど。まあ、準備がよかったのか、事なきを得て、1度目の抗がん剤が終わり帰ろうと退院しょうかと思った矢先に、白血球が、激減しまして。結局、ノイトロジンという薬を打って、白血球を少し上げながら、いったん家に戻るんですが。それから、もう、副作用…副作用というよりも、高熱が出まして、感染症をおこしてしまったみたいで。親知らずがあったんですね。そこから感染症を起こしまして、親知らずは、気になっていたので抜いておけばよかった。ずうっと、もう、それは後悔しますけど。「体の弱いところに出るのよ」っていうことで。結局、もう、意識が、もうろうとしてしまいまして、何とか病院に通院したんですけど、それでも、熱が全然下がらなくって、白血球が、上がってこない状態で。かなり白血球が激減してしまいまして。結局、深夜に、緊急入院をして、隔離されてしまったんですね。
それで、もう熱にうなされて。がんで死ぬんじゃなくて、抗がん剤の副作用でわたしは死ぬ、死ぬのかなっていうことちょっと不安に思ったんですけど。でも、とりあえず、やれることだけやっていただいて、回復するんだったら、回復するのを待てばいいっていうことで。そしたら、翌日の先生方が、たくさん来てくださって、いろんな検査をしてくださって。で、まあ、しばらくしたら落ちついてきたので。まあ、「原因は親知らずです」っていうことで。「親知らずを抜いてからじゃないと、次の抗がん剤をできないんだけれども、白血球が下がっているので、抜けません」っていうことで。結局、まあ、個室に入ってしばらく、療養しながら、白血球が上がるのを待って。それから、状態がよく安定したので、親知らずを抜いて。で、抜いてから、また、しばらく落ち着くまで入院してということで、落ち着いたんで、2度目の、今度、抗がん剤をやったんですね。
インタビュー38
- 乳房温存後、水がたまるくらいのくぼみができたが、この病気があったから今の自分がいると言うことを忘れないために、あえて再建はしないことにした(テキストのみ)
- 抗がん剤の点滴が終わってまもなく吐き気が襲ってきたが、吐き気止めを飲むと楽になった。同病の仲間に聞いたキリンレモンでげっぷを出すとすっきりした(テキストのみ)
- 一回目の抗がん剤治療で、白血球が減り、感染症を起こしてしまった。その原因は抜歯予定の親知らずだった(テキストのみ)
- 抗がん剤で髪が抜けるときは頭皮に痛みがあった。処理が嫌だったので、髪の毛は剃ってしまい、かつらは被らず、帽子で過ごした(テキストのみ)
- 持病があったので入院して放射線療法を受けた。持病の影響で肌がただれやすくとても痛かったが、ステロイドの塗り薬で治療をやりとおすことができた(テキストのみ)
- 神社仏閣巡りとかゲームとか、自分が好きなことをするのが大事だと思う。大きな幸せを一つ見つけるより、小さな幸せを100個見つけるほうが好き(テキストのみ)
- リュープリンが1回3万円くらいと、がんは薬代が高いので、経済的に家族を犠牲にする部分がある。国は予防だけでなく患者の支援にも力を入れてほしい(テキストのみ)