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診断時:71歳
インタビュー時:72歳(2008年9月)

四国地方在住。2007年秋、炎症性乳がんと骨転移の診断を受ける。薬物治療を受けて、現在に至る。娘も10年前に乳がんを患っている。 1人暮らし。子どもたちは3人とも家庭を持っており、近くに長男家族が住んでいる。仕事は華道教師で、診断後も続けている。

語りの内容

今年のお正月のときに、息子の、次男のうちに行ったときにですね。「ちょっと、わたし胸がこうこうなんよ、ちょっと硬いんよ、何か乳腺炎かなあ」っていう話を、お食事のときにちょっと話しましたらね。そしたら「もう、そんなん、年とってからは、乳腺炎はないかもしれんよ、そんなのは」って、言われたのと。ある先輩の方から、子宮がん…じゃなくて「子宮がなければ、乳がんっていうのにはならないよ」っていうことを聞かされていたことがありました。だから、自分では、乳がんっていうことは、まあ、頭から離れていましたので、乳腺炎かなあ、ぐらいに自分で自己判断して。その間ずっと、今年の4月5月ぐらいに、やっぱり、だんだん大きくなる傾向があるなと、自分で思っているときに、山田邦子さんの、テレビでの放映がございましてね。そのときに、「乳がんというのは、痛くないと言われますけれども、絶対、痛くないことはない。痛いです。で、そういうもうお方は、すぐ病院行ってください」という、テレビにちょっとわたしそれ、触れることができましてね。いや、自分もしかしてそうかもしれんなと思いながら、仕事がとても忙しかったもんだから、まあ、まあ、まあで、ずっと、あの、月日も経ってきまして。で、ようやっと、9月ごろにちょっと少しこう気分的にゆっくりできることがありまして、一度行ってみなきゃいけないなと思いつつ、それも、日が過ぎてしまいました。
思いおこせば、今年、気がついたのじゃなくて、もっと以前から、少し硬くはなりかけていたかなと。で、その時点では痛くも何ともなかったんですよ。で、それが、ちょうど、去年の5月ぐらいから、周りがちょっと赤くなっているかなあと。あ、こりゃ、ちょっとおかしいよなあと思いつつ、3ヶ月4ヶ月経って、それが10月。で、最終的には、ほんとに、大げさかもしれないけど、もう行く時点では、もう、すごく硬くて、どんぶり、おうどんの鉢がありますけれども、あの大きさぐらいに、もう極端に左と右が、お洋服着ても分かるぐらいに…でしたね。

私は: です。

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