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診断時:28歳
インタビュー時:34歳(2010年3月)
近畿地方在住。2004年2月、左乳がんと診断され、左乳房温存術、センチネルリンパ節生検、術後抗がん剤治療、放射線療法を受けた。妊娠を強く希望していたため、抗がん剤治療前に卵子を凍結保存したが、自然妊娠し、無事に出産した。 診断時、夫と2人暮らし。パートをしていたが、病気がわかって辞めた。
語りの内容
出産は難産だったので。で、子どもももう巨大児で、もう4,000(g)超えている巨大児だったので(笑)、本当にちょっと大変だったんですね。で、まあ妊娠したことは嬉しかったけれど、こんなにもつらいものなのかっていう、だけど、つらかったんですけれど、なんか自分はもっとつらいことをしてきたから、まあこれぐらい嬉しいつらさじゃないかなんて思いながら、そういう面でも、なんかもっと、こう抗がん剤のときとか、やっぱりその告知のときだったりとか、つらい思いをしてきているから、もうこんなのでつらいと思ってちゃ駄目だっていうのもあって、もうそういうことも乗り越えられたんですけれど、女の子って分かった時点で、真っ先に、こう乳がんのことがやっぱり頭に浮かんで、私が遺伝性ではないと思うので、まあ遺伝するかどうか分からないけれど、でも、やっぱり女の子だから、私と同じように乳がんになる可能性は、もしかしたら全くお母さんがそういうことがない人に比べたら可能性としてはあるのかなぁなんてちょっと思いながら、そういうことはありました。うん。
で、母乳もやっぱり最初は、ちょっと出たので、その手術をして、ちょっと形はまあ変わっているけれど、なんか母乳も出るんだっていう嬉しさはありましたね。で、それを飲んでくれないので、ちょっと悔しかったんですけど(笑)、せっかく出ているのに。
でも、やっぱり普通に、私も、この乳がんとか全く経験してない人と同じように普通に妊娠して、出産もして、こう子どもを育てることができたっていう喜びは、まあ皆さん、こう出産したら喜びはあるでしょうけど、なんかそれにこうプラスして、自分が乗り越えてきたものがあるんだっていうので、もう本当に嬉しかったですね、それは。
やっぱりだから、それも、今、その治療して、これから、まあ結婚だったり、妊娠を希望している人にもやっぱりこういう気持ちを、もう本当に今つらく頑張っているから、こういう嬉しさとか本当に経験してほしいなっていうのは、思いました。やっぱりあきらめちゃっているっていう人も多いので、「もう私は結婚できない」とか、「もう妊娠できないんじゃないか」とか、やっぱりそういうことを一番に思うと思うんですね、20代で(乳がんに)なった方とかは。うん。
だから、いろいろ今、本当に医療のね、そういう進歩してきているので、私のときとは、もう今とはまた全然違うと思うので、いろいろそういう選択肢なんかも増えているだろうし、うん、そういうところでなんか悲観的になったり、絶望的になったりしないでほしいなっていうのは本当に思います。うん。
インタビュー51
- 髪の毛が抜けたときはショックで、肥満も加わり、周囲の目が気になった。抜けた後はすっきりして、夏は涼しく、家族の前では普通に坊主姿で楽だった
- 治療中、夫は長期海外出張中だった。たまに電話しても、気持ちがすれ違って悔しい思いもしたが、心配されすぎるより、かえってよかったのだと思う
- 3歳の娘にはママはおっぱいの病気と言っている。一緒に病院にも連れていき、検査される姿を見ているので、ある程度の年齢になったら、娘も抵抗なく検診に行けるといい
- 治療後の卵巣機能低下を懸念し、保険を掛けるつもりで卵子凍結保存をすることにした
- 採卵できないと抗がん剤治療を始められないので病気の進行が心配だった。卵子凍結保存できたことで、抗がん剤の副作用がどうあれ、安心して治療に臨めた
- 治療後半年後に妊娠許可が出てすぐ、拍子抜けするくらいスムーズに自然妊娠したので、神様からのご褒美だと思っている
- 妊娠中は、術後の放射線を浴びた乳房で母乳を飲ませてよいか不安に思っていたが、主治医に大丈夫だと言われた
- 娘を身ごもり、真っ先に乳がんの遺伝が頭に浮かんだが、出産した時は乗り越えてきたものの分もプラスされ感動した。みんなに諦めないでと伝えたい