診断時:35歳
インタビュー時:46歳(2009年5月)
四国地方在住。1996年9月、授乳中に右乳がんが見つかり、右乳房切除術を受ける。3年後にリンパ節に転移したため、リンパ節切除術を受け、その3年後に肝臓に転移したが、抗がん剤治療、ホルモン療法を続けてきたことで現在、病状は安定している。 診断時、夫、子ども2人、姑の5人暮らし。現在も教員として勤務を続けている。
語りの内容
肝臓への転移がわかってから、抗がん剤の錠剤を平成20年の6月まで5年少々飲んで、肝臓には小さなものがあったんですけど、それが言うなればかさぶたみたいになっている状態になりました。先生は、「もっと副作用が出る人がいるんだけど、思いがけず少なくて、長く薬を飲み続けられた」とおっしゃっていました。ただ去年の今ごろ、「もうそろそろ限界だろう」と言われていて、案の定、おばあちゃんのお葬式ごろから血尿が出だして、それで6月ぐらいで抗がん剤を中止しました。8月9月とずっと血尿が続いて、10月ぐらいにも少し出たと思います。半年ぐらい休んで、「また様子を見て次の治療を考えましょう」と言われていました。
私自身は、肉眼でわかるような変化が尿になかったため、その後血尿は止まったと思い込んでいましたが、平成22年11月末にひどい血尿が出るようになりました。泌尿器科で検査の結果、医師からは「ほかに原因は考えられない(抗がん剤の副作用が原因ということ)。5年あまりかけてそういう体質になってきたものがその薬をやめたからといってすぐ元には戻らない」と言われました。薬の副作用でもろくなった膀胱内の粘膜や血管から出血を繰り返している状態です。内視鏡的手術によって出血しているところや出血しそうな所を焼き付けるとともに、止血剤を服用することでひどい出血は収まっています。また、止血剤を飲み忘れると出血があります。止血剤が有効でコントロールができていますが、この状態が今後も続くとなると止血剤の副作用はどうなるのかと心配になります。
病気とつきあうということはこういうことなのかと、あらためて実感しています。がんの進行に対する不安だけでなく、治療に伴う二次的な体調の変化(悪化)をできるだけくい止められるように毎日の微妙な変化に気を配り、少しでも健康的な生活ができるよう心がけていかなくてはと思います。
インタビュー48
- 娘の授乳中にしこりに気づいた。お乳が詰まっていると思ったが、断乳してもしこりが続くので、義母に相談したところ、それはおかしいと受診を勧められた
- 何が原因で乳がんになるのかわからないが、若い人でも乳がんになることを知って、娘には早い時期から検診を受けさせようかなと思っている
- 一度虫さされで腫れたが、10年経って今のところ浮腫はない。日焼けや虫さされ、湿疹などに気を付けている
- 5年間、抗がん剤を内服して小さな肝転移は収まりつつあったが、服用中止後2年以上経っても血尿が続いていて、止血剤と内視鏡的手術が必要な状態だ(テキストのみ)
- 中学の教員をしている。職場でオープンにしたことで時間割や休暇の面で協力が得られた。また、病気で感じたことを生徒に伝えたいと思い、話したら、手助けする子も出てきた
- 「あとは頼むよ」と夫がよく言っていたが、今は私が夫に頼まなくてはならないかもしれないと思う。夫の気持ちに応えきれない自分がいて、そういう話ができなくなった
- 診断当初、早く子どもたちに成長してほしいと焦っていたが、2人が高校生、中学生となり、焦りが消えた。中々言えなかった「将来、孫の世話してあげるね」と言葉に出せた
- がんだった乳房を好んでお乳を飲んでいた娘への影響が心配でつらかったが、医師に影響ないと言われ、ほっとした