診断時:49歳
インタビュー時:54歳(2008年2月)
首都圏在住。2002年に右乳房温存術を受けたが、断端にがんが残っており、追加で乳房切除術を受けた。3年後に乳房再建術を受け、現在はホルモン療法を継続中。夫と2人の子どもがいる。非常勤特別職員(生涯学習推進員)として仕事を続けている。
プロフィール詳細
首都圏在住のKSさん(仮名)は、30代後半に子宮頸がんで手術し、その後、子宮内膜症で子宮を全摘した経験がある。胸のしこりに気づいたのは、2002年3月48歳のときだったが、義母の看病があり、受診を引き延ばしていた。一段落した8月に職場近くの総合病院に行った。細胞診を受けたが、はっきりした診断はつかず、生検を勧められたので、別の病気で通院している大学病院を受診。生検の結果、がんと診断され、翌月、手術となった。
まず温存手術が行われたが、病理検査の結果、断端にがん細胞が残っていたため、①再手術、②放射線を多く照射、③抗がん剤、という3つの選択肢が示された。浸潤性小葉癌の診断であったこと、心臓弁膜症の既往があって抗がん剤は勧められないとの主治医の勧めで、再手術を決意し、乳房切除術を受けた。その後は、ホルモン剤を服用して、現在に至っている。はじめは、閉経前ということでタモキシフェンを服用。その後、ホルモン検査を行い、閉経状態が確認されたため、アリミデックスに変更された。
術後3年経って2期再建を受けた。乳房切除してから転びやすくなったことや、女性のシンボルである乳房がなくなったことで気持ちがうつっぽくなっていたので、再建を受けることにした。子宮全摘より乳房切除の方が目に見える場所であり、自分にとってはつらかった。再建手術は心の再建になったと感じている。
今回、2度目のがんであったが、神様は2度も助けてくれないのではないかと思い、乳がんになったことは非常にショックだった。アガリクスなどの民間療法にすがった時期もあった。再発への不安は今でもある。また、病気になる前後で、義母、実母の介護、交通事故にあった娘の看病など、無理せざるを得ない状況を抱えていた。そういった状況の中、相談する相手はほとんどなく、情報源は本だけだった。現在は自分のがん体験を生かして、同じように不安を抱える人たちを支援したいと思い、ピアカウンセリングに取り組んでいる。
まず温存手術が行われたが、病理検査の結果、断端にがん細胞が残っていたため、①再手術、②放射線を多く照射、③抗がん剤、という3つの選択肢が示された。浸潤性小葉癌の診断であったこと、心臓弁膜症の既往があって抗がん剤は勧められないとの主治医の勧めで、再手術を決意し、乳房切除術を受けた。その後は、ホルモン剤を服用して、現在に至っている。はじめは、閉経前ということでタモキシフェンを服用。その後、ホルモン検査を行い、閉経状態が確認されたため、アリミデックスに変更された。
術後3年経って2期再建を受けた。乳房切除してから転びやすくなったことや、女性のシンボルである乳房がなくなったことで気持ちがうつっぽくなっていたので、再建を受けることにした。子宮全摘より乳房切除の方が目に見える場所であり、自分にとってはつらかった。再建手術は心の再建になったと感じている。
今回、2度目のがんであったが、神様は2度も助けてくれないのではないかと思い、乳がんになったことは非常にショックだった。アガリクスなどの民間療法にすがった時期もあった。再発への不安は今でもある。また、病気になる前後で、義母、実母の介護、交通事故にあった娘の看病など、無理せざるを得ない状況を抱えていた。そういった状況の中、相談する相手はほとんどなく、情報源は本だけだった。現在は自分のがん体験を生かして、同じように不安を抱える人たちを支援したいと思い、ピアカウンセリングに取り組んでいる。
インタビュー04
- 医師に「細胞診」と言われても、「疑わしい」と言われても何が何だかわからなかった
- 病理検査で断端陽性という結果が出て、「申し訳ないけれど再手術」と言われたときには「何も悪いことしてないのに、何で?」という気持ちになった
- 術前からリハビリの体操をしておくと術後の経過が違う、と本で読み、手術前から腕を動かす練習をしていたおかげで、術後の腕上がりは支障がなかった
- 小さな傷が化膿してリンパ浮腫を引き起こすことがあるので、やけどや虫刺され、注射にも注意しなくてはならない
- もともと大きかったほうの乳房が残ったので、体のバランスが崩れて姿勢が悪くなったことに加え、物事に対して卑屈になってきたので、乳房再建をしようと思った
- 以前に婦人科の手術を受けていたので、自家組織を使うより体への負担も少ないということで人工物を入れる方法を選んだ
- 最初はエキスパンダーという水風船のようなものを入れて、3週間かけて少しずつ生理食塩水を注入していった。その間に反対側の乳房の吊り上げ手術も受けた
- エキスパンダーを入れてから1年半くらいして、アメリカからシリコンジェルを取り寄せて入れ替えをした
- ホルモン療法は体中に散らばった微小のがん細胞を抑えるための治療だと説明された
- ホットフラッシュに備えて暑くなったらすぐ脱げる服を着たり、陰部の痛みには自転車に乗るときにナプキンを当てたりして工夫した
- 退院と同時に脳梗塞で入院中の母親の介護、その後、交通事故で長期入院を余儀なくされた娘の看病と、自分の体に無理を強いなくてはならない日々が続いた