診断時:34歳
インタビュー時:37歳(2008年6月)

中国地方在住。2005年6月に自分でしこりを発見。右乳がんと診断される。術前化学療法を行った後、乳房温存術+センチネルリンパ節生検、放射線療法を受けた。現在は、ホルモン療法をしながら、経過観察中である。夫と2人暮らし。パートでコンビニ勤務をしている。

プロフィール詳細

中国地方在住のJMさん(仮名)は、2005年6月、自分で右胸にウズラ卵のようなしこりを発見した。夫の勧めもあり、当日のうちに、内科かかりつけ医を受診すると、早く病院に行って検査を受けるよう勧められた。その日は「なぜ自分が」と一晩泣き明かした。そして、実家近くの病院に受診し、細胞診、マンモグラフィ、エコーの結果、右乳がんと診断される。診断を告げられたときは「人生が終わった」と思い、かなりショックだった。しかし、主治医、看護師が「一緒にがんばりましょう」と言ってくれたことで、「つらいけど、がんばって治そう」と思えるようになった。

主治医からセカンドオピニオンも勧められたが、十分な説明を受けて納得したので、主治医の勧めた通り、治療を行うことにした。35歳以下の発症であり、微小転移を抑えるために術前抗がん剤が必要ということだった。術前化学療法は3週1回のFEC4クールに続けて、週1のパクリタキセル12回を行い、その後、乳房温存術+センチネルリンパ節生検、放射線療法(25回)を受けた。現在は、ホルモン療法(リュープリンを3ヶ月に1回。ノルバデックスを1日1錠内服)しながら、経過観察中である。

術前化学療法について、当初、手術をせず、がんを持ったままで半年過ごすことを、自分も家族も非常に心配した。しかし、十分な説明を受け、納得したので、その治療を選択した。抗がん剤の副作用は前半の抗がん剤で嘔気・嘔吐がひどかった。また、手足のしびれで着ぐるみを着ているように感じられるときもあった。脱毛は女性としてつらい体験だったが、ユーモアを交えた夫との会話に慰められた。

医療者には疑問があればいつでも質問できる関係で、納得がいくまで説明をしてもらえたので、安心だった。また、病院の患者会で先輩の患者に話を聞いたり、相談することができたのもよかった。特に、放射線療法が終了して、病院に行く機会が減ると、再発の不安が大きくなり、気持ちをわかってもらえる患者会の仲間に支えられた。

パートでコンビニ勤務をしており、治療中も気分転換になるので、仕事を続けた。病気についてオープンにしており、周囲の人が早期発見できるよう、友人・知人に自分のしこりを触ってもらったりもした。

夫と2人暮らしで、しこりを発見した時は迷惑をかけると自分から離婚も口にしたが、夫は「元気になってほしい」と言って支えてくれた。今は生きていることがとても楽しいし、幸せだと感じられる。病気は決してよいものではないが、人生のターニングポイントとなっていろいろなことに気づかせてくれたと思っている。

私は: です。

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