診断時:39歳
インタビュー時:40歳(2008年6月)
九州地方在住。2007年9月、産後、乳房マッサージに来てくれた保健師がしこりに気づき、右乳がんが見つかる。乳房温存術+センチネルリンパ節生検、抗がん剤治療を行い、現在、放射線治療を終えたところである。夫と子ども3人の5人家族で、仕事はフルタイムで事務職をしていたが、産休中に発病。今後、復帰予定である。
プロフィール詳細
SHさん(仮名)は、30代になった頃より、乳がん経験者の知人の勧めで乳がん検診を受けていた。39歳になって3人目の子どもを出産後5ヶ月のときに、乳房マッサージに来てくれた保健師より、右乳房にしこりがあることを指摘された。自覚はなかったが、産婦人科に行って診てもらったところ、たぶん異常はないが、念のため、以前検診をしたことがある病院に行ってみるよう言われた。その病院では、マンモグラフィをしたが、授乳中で乳腺が発達しすぎてよくわからないとのことだった。また、細胞診をしたが、はっきりしないので、3ヶ月後に再診するよう言われた。しかし、3ヶ月も待つことに不安があったため、近くにある別の病院を受診した。そこで、再度、一通りの検査を行ったところ、右乳がんという診断がついた。
診断を聞いたとき、自分は検診を受けていたし、リスクファクターにも当てはまらないので、「なぜ自分が?」という気持ちだった。その後すぐ授乳をやめ、乳房温存術+センチネルリンパ節生検(リンパ節転移なし)を受け、続けて抗がん剤治療(AC 4クール、タキソール4クール)をし、現在は放射線治療を終えたところである。ホルモン剤やハーセプチンが効かないトリプルネガティブ*1だったため、今後は無治療で経過観察することになる。
元来、迷いやすい性格で、術式を全摘にするか、温存にするか非常に悩んだ。それは、最初の説明で、「授乳、妊娠・出産を経た乳がんはあんまり良くない」と言われたことが頭から離れず、全摘がよいように思えたこと、放射線治療への不安からだった。しかし、温存も可能であったので、手術前夜まで迷いに迷った。結局、学会先から電話をくれた主治医と話していて、温存でいくことを決めた。ぎりぎりまで話を聞いてくれて、決断を待ってくれた主治医に感謝している。
2人目を産んでから、検診もしていたし、いつからがんが発症していたか、わからないが、振り返って言えることは、出産後でよかったと思っている。もし妊娠前や妊娠中であれば、3人目の子どもの顔を見ることがなかったかもしれないと思うからだ。
抗がん剤の治療中は、吐き気が強く辛かったが、夫をはじめ、家族に支えられた。手術で胸に傷がついたことや抗がん剤による脱毛は女性である自信を失う体験だったが、夫がいつも女性として大切に扱ってくれたことに感謝している。
治療が終わって気持ち的には楽になるが、一方で心の片隅に不安はある。今後は、産休から引き続き療養のために休んでいた職場に、復帰する予定である。
*1トリプルネガティブ:エストロゲン受容体、プロゲステロン受容体、HER2がすべて陰性のこと
診断を聞いたとき、自分は検診を受けていたし、リスクファクターにも当てはまらないので、「なぜ自分が?」という気持ちだった。その後すぐ授乳をやめ、乳房温存術+センチネルリンパ節生検(リンパ節転移なし)を受け、続けて抗がん剤治療(AC 4クール、タキソール4クール)をし、現在は放射線治療を終えたところである。ホルモン剤やハーセプチンが効かないトリプルネガティブ*1だったため、今後は無治療で経過観察することになる。
元来、迷いやすい性格で、術式を全摘にするか、温存にするか非常に悩んだ。それは、最初の説明で、「授乳、妊娠・出産を経た乳がんはあんまり良くない」と言われたことが頭から離れず、全摘がよいように思えたこと、放射線治療への不安からだった。しかし、温存も可能であったので、手術前夜まで迷いに迷った。結局、学会先から電話をくれた主治医と話していて、温存でいくことを決めた。ぎりぎりまで話を聞いてくれて、決断を待ってくれた主治医に感謝している。
2人目を産んでから、検診もしていたし、いつからがんが発症していたか、わからないが、振り返って言えることは、出産後でよかったと思っている。もし妊娠前や妊娠中であれば、3人目の子どもの顔を見ることがなかったかもしれないと思うからだ。
抗がん剤の治療中は、吐き気が強く辛かったが、夫をはじめ、家族に支えられた。手術で胸に傷がついたことや抗がん剤による脱毛は女性である自信を失う体験だったが、夫がいつも女性として大切に扱ってくれたことに感謝している。
治療が終わって気持ち的には楽になるが、一方で心の片隅に不安はある。今後は、産休から引き続き療養のために休んでいた職場に、復帰する予定である。
*1トリプルネガティブ:エストロゲン受容体、プロゲステロン受容体、HER2がすべて陰性のこと
インタビュー17
- マンモグラフィ検査を受けていたが、検診では発見されなかった
- 授乳中のマンモグラフィは、痛くて母乳が台に落ちてつらかった
- まさか私が、授乳期でおっぱいが詰まっているだけと思っていたのに、がんだと言われ、他人事に思えた。そして、涙があふれて止まらなかった
- 診断当初は心の余裕がなかったが、術後の病理検査についてセカンド・オピニオンを得られたので、納得して前に進めた
- 自分の気持ちの整理ができて、受け止められるタイミングでセカンド・オピニオンを得られたのでよかった
- たまたま入っていたがん保険で一時金が出て治療ができたが、今後のことを考えると通院特約を付けておけばよかったと思う
- 女性として終りなんだという気持ちと彼と繋がっていたいという気持ちの間で揺れ動いたが、彼は女性として求めてくれたので、すごく嬉しかった
- 病気のことを伝えると、小学生の子はぽろぽろと涙を流して静かに泣いた。中学生の子は「死んじゃうの?」と聞いてきたので、「死なないように頑張るから」と答えた
- どうしても言わなくてはならない1-2人にだけ言ってあとは病気のことは隠していた。子どもが周りに何か言われるとかわいそうだと思っていた