診断時:37歳
インタビュー時:42歳(2008年7月)
東北地方在住。乳がんで母親がすでに他界し、父親と2人暮らし。34歳頃から左右の乳頭からの出血があり、父親の勧めで受診。2003年秋に両側乳がんと診断され、両側乳房全摘術、術後化学療法、ホルモン療法を受けた。発症時は飲食店に勤めていたが、現在は退職。父親も脳梗塞と大腸がんを患っており、現在は生活保護による医療扶助を受けている。
プロフィール詳細
HKさん(仮名)が、胸のしこりに気づいたのは、高校生の頃だった。当時、母親やいとこが乳がんに罹患していたが、まさか自分が10代で乳がんになるとは思わず、そのままにしていた。月日が経って34~35歳になった頃、左の乳頭から出血があり、しばらくすると右の乳頭からも分泌液が出るようになった。36歳になっても乳頭からの出血は止まらず、父親が心配して、折り込みチラシで見た乳腺外科医が講演する乳がんセミナーに参加するよう勧めた。そして、セミナー会場で症状を聞いた医師から病院に来るよう勧められ、初めて受診した。検査の結果はやはり両側乳がんで、2003年秋37歳のことだった。自分では、ある程度予測していたので、驚かなかったが、結果を聞きに同行していた父親は強いショックを受けていた。
手術は、温存を希望したが、主治医からは両側の乳房全摘を勧められた。しこりの大きさが右5cm、左3cmでがんが飛び火しており、温存は難しいということだった。手術日が決まってまもなく、父親が脳梗塞で入院してしまう。自分が乳がんになって父親に負担をかけてしまったせいだと思い、手術延期を考えたが、父親の主治医に説得され、手術は予定どおり受けることにした。すでに母親は他界しており、頼れる家族がいなかったため、入院中は友人に支援を依頼した。また、経済的にも厳しい状態であったため、生活保護による医療扶助を受けることにした。両方の乳房を切除したことは女性として非常につらい経験だった。
手術後は、化学療法(CEF)を6クールやることになった。母親やいとこが抗がん剤で苦しむのを見ていたため、やりたくなかったが、主治医に勧められ、治療を受けることにした。思ったとおり非常に辛くて吐き気が激しく、そのときすでに父親は退院し、家にいたが、吐いている娘を見ていて、徐々に様子がおかしくなっていった。父の様子からもこれ以上治療を続けることはできないと感じ、4クールで治療中止を希望する。以後はホルモン療法として、ゾラデックスの注射を3年間、その後ノルバデックスを服用して現在に至っている。
ホルモン療法を始めてから、更年期症状がひどく、うつに苦しんでいる。精神科に受診し、現在も抗うつ剤と睡眠薬を服用しているが、自分の場合はホルモン剤だけでなく、母親やいとことの死別体験も重なり、うつとの付き合いはなかなか難しいと感じる。精神科の主治医に辛さを分かってもらえることが有難い。再発の不安はあるが、母親やいとこの分まで生きたいと思っている。そのために「鈍感力」を活かして、なるべく悪い情報を気にしないようにしている。
自分の人生は、お金も健康も身内にも恵まれなかった人生だが、代わりに多くの人に支えてもらい、幸せな人生だと思う。特に、医療扶助を受けられることは、顔も見たことのない人が自分を生かしてくれていることであり、心から感謝している。元気になって働いて、いつか恩返ししたいと思っている。
手術は、温存を希望したが、主治医からは両側の乳房全摘を勧められた。しこりの大きさが右5cm、左3cmでがんが飛び火しており、温存は難しいということだった。手術日が決まってまもなく、父親が脳梗塞で入院してしまう。自分が乳がんになって父親に負担をかけてしまったせいだと思い、手術延期を考えたが、父親の主治医に説得され、手術は予定どおり受けることにした。すでに母親は他界しており、頼れる家族がいなかったため、入院中は友人に支援を依頼した。また、経済的にも厳しい状態であったため、生活保護による医療扶助を受けることにした。両方の乳房を切除したことは女性として非常につらい経験だった。
手術後は、化学療法(CEF)を6クールやることになった。母親やいとこが抗がん剤で苦しむのを見ていたため、やりたくなかったが、主治医に勧められ、治療を受けることにした。思ったとおり非常に辛くて吐き気が激しく、そのときすでに父親は退院し、家にいたが、吐いている娘を見ていて、徐々に様子がおかしくなっていった。父の様子からもこれ以上治療を続けることはできないと感じ、4クールで治療中止を希望する。以後はホルモン療法として、ゾラデックスの注射を3年間、その後ノルバデックスを服用して現在に至っている。
ホルモン療法を始めてから、更年期症状がひどく、うつに苦しんでいる。精神科に受診し、現在も抗うつ剤と睡眠薬を服用しているが、自分の場合はホルモン剤だけでなく、母親やいとことの死別体験も重なり、うつとの付き合いはなかなか難しいと感じる。精神科の主治医に辛さを分かってもらえることが有難い。再発の不安はあるが、母親やいとこの分まで生きたいと思っている。そのために「鈍感力」を活かして、なるべく悪い情報を気にしないようにしている。
自分の人生は、お金も健康も身内にも恵まれなかった人生だが、代わりに多くの人に支えてもらい、幸せな人生だと思う。特に、医療扶助を受けられることは、顔も見たことのない人が自分を生かしてくれていることであり、心から感謝している。元気になって働いて、いつか恩返ししたいと思っている。
インタビュー21
- 10代でしこりに気づき、30代になって乳首からの出血があったが、こんなに若くして乳がんになるはずないと思っていた
- マンモグラフィのあと、超音波検査、そして、念入りに触診が行われた
- 腑に落ちないまま、後で後悔することのないようにセカンド・オピニオンはとっておいた方がよい
- 本当は乳房再建したいと思っているが、今は限りなく本物に近い人工乳房を買って、温泉に行くときには貼りつけている
- 病院でのリハビリ指導がなく、一人でやらなくてはならなかったが、最初は指も動かなくて、腕が完全に上がるようになるには3~4年かかった
- 入院中に腕に軽いむくみが出て、しびれや虫が這うような痛みを感じるようになった
- ホルモン療法で更年期症状が出た。また社会復帰しても思うとおりに体が動かず、うつではないかと気づき、精神科にかかった
- 抗がん剤の副作用の軽減のためにアガリクスをしばらく飲んだが、サプリメントの摂り過ぎで劇症肝炎になった例がある(※)と知ってすぱっとやめた
- 心と体は一つととらえる立場から、ストレスをなるたけ軽減しようと思っていて、酒も飲み、食べたいものも食べ、言いたい放題、やりたい放題している
- 父も脳梗塞で入院してしまったので、知人に入院時保証人になってもらって手術を受けた。しばらく働けないので、この先の治療や生活を考えて医療扶助(※)を受けることにした
- 独身女性の自分にとって乳房のないのは死活問題だと思う一方、乳房を取ったことで本当の運命の人に出会えるかもしれないとも思う
- 告知に同席した父親は強いショックを受けたようだった。2週間あまりして脳梗塞で交通事故を起こしたのはそのせいかもしれないと思う