診断時:44歳
インタビュー時:49歳(2008年7月)
首都圏在住。2003年春、左乳がんで、左乳房部分切除術(1/4)+腋窩リンパ節郭清、術後は放射線療法、化学療法、ホルモン療法を行った。5年目の現在もホルモン療法中。 夫と姑と3人暮らしで子どもはいない。発症当時は指圧治療院に勤務。一旦退職後、現在は栄養士としてパート勤務をしている。
プロフィール詳細
KEさん(仮名)が偶然しこりを見つけたのは、2003年春のことだった。左胸に痒みを感じ、掻いてみたらしこりを感じた。右胸にはなかったので、びっくりして乳がんだと確信し、すぐに夫に報告。翌日、以前に子宮がん検診と乳がん検診で診てもらったことのある産婦人科を受診したところ、精査を勧められた。いくつか選択肢があったが、家族が面会に来やすいこと、自分も通院しやすいことを理由に、自宅近くの病院を紹介してもらった。そして、細胞診の結果、「70-80%がんだろう」と言われ、①外来で生検して後日手術か、②入院して生検して悪性だったら、引き続き手術かの選択肢が与えられた。一遍に済んだ方がよいと思って、後者にした。診察に同行した夫は本人以上にショックを受けていた。
結局、生検の結果は乳がんで、左乳房部分切除術(1/4)+腋窩リンパ節郭清が行われた。入院中は乳がんの先輩患者との出会いがあり、個室で快適な入院生活だったが、ドレーンからの排液が減らず、17日という予想より長い入院となった。術後の病理検査でリンパ節に転移が見られ、断端(手術で切り取った切り口)にがん細胞が残っていたため、術後は放射線療法(接線照射エックス線2グレイを25回+追加照射電子線5回)、化学療法(CEF6クール)、ホルモン療法(ホルモン感受性あり、ゾラデックス注射、ノルバデックス内服)を受けた。そろそろホルモン療法を開始して4年が過ぎ、現在は終了時期が近付いていることをうれしく思っている。
健康維持のために、治療と並行して健康食品を摂ったり、飲料水や食事にも気を遣ってきた。また、免疫力を上げるために、夫の協力を得て、笑うことを大事にし、明るく過ごしている。乳がんになり、それまでしていた仕事を一旦辞めたが、治療が一段落して徐々に体が回復してきた頃、友人に誘われて、編み物とフラメンコを始めたことが外に出るよいきっかけとなった。仕事は1年半後にパートで再開した。初期のころから、家族、友人、知人などに病気のことをオープンにしてきたことで、支えが得られ、周囲にもがんのことを知ってもらうよい機会となったと思っている。
結局、生検の結果は乳がんで、左乳房部分切除術(1/4)+腋窩リンパ節郭清が行われた。入院中は乳がんの先輩患者との出会いがあり、個室で快適な入院生活だったが、ドレーンからの排液が減らず、17日という予想より長い入院となった。術後の病理検査でリンパ節に転移が見られ、断端(手術で切り取った切り口)にがん細胞が残っていたため、術後は放射線療法(接線照射エックス線2グレイを25回+追加照射電子線5回)、化学療法(CEF6クール)、ホルモン療法(ホルモン感受性あり、ゾラデックス注射、ノルバデックス内服)を受けた。そろそろホルモン療法を開始して4年が過ぎ、現在は終了時期が近付いていることをうれしく思っている。
健康維持のために、治療と並行して健康食品を摂ったり、飲料水や食事にも気を遣ってきた。また、免疫力を上げるために、夫の協力を得て、笑うことを大事にし、明るく過ごしている。乳がんになり、それまでしていた仕事を一旦辞めたが、治療が一段落して徐々に体が回復してきた頃、友人に誘われて、編み物とフラメンコを始めたことが外に出るよいきっかけとなった。仕事は1年半後にパートで再開した。初期のころから、家族、友人、知人などに病気のことをオープンにしてきたことで、支えが得られ、周囲にもがんのことを知ってもらうよい機会となったと思っている。
インタビュー23
- 以前は検診を受けていたが、忙しくてしばらく行っていなかった
- いくつかの選択肢から近さだけを理由に病院を選んでしまい、夫が心配したが、結果は医師との相性もよく、恵まれたと思っている
- あとで後悔したくなかったので、治療についてやるだけのことはやってみようと思った
- 本当は10日間で退院できるはずだったが、元気なのにドレーンから出るリンパ液の量が減らないので退院が延びた
- 腕の付け根や傷口の周辺に突っ張り感があったが、数ヶ月したら慣れた。ただ、5年経った今も気圧の関係で傷口が重たく痛むときがある
- ただのリハビリではつまらないと思ったので、フラメンコを習い始めたり、わざと高いところに食器を置いたりして工夫をした
- 術後しばらくの間、温かいものを飲むと手術した側だけに温かさが伝わるということがあったが、ネットで調べたら同じような経験をしている人がいた
- 体力が落ちて治療できなくなると思い、抗がん剤治療中は食べられるときに食べられるものを少しずつでも食べるようにし、できるだけカロリーの摂れるものを選ぶようにした
- 便秘で痔になりつらかった。抗がん剤の副作用とは知らず、先生に言わなかったが、下剤を処方してもらえばよかった
- 肺などの臓器に放射線が当たらないよう、照射位置をきめるのに、手術した側の腕を上げた状態で身動きできずに40~50分かかった
- ホルモン療法開始後2週間目くらいから、頭痛や関節痛や手のむくみなどいろんな症状が出たが、次第に副作用は減っていった
- ホルモン療法の副作用で、体がザワザワする感じで落着かなくなって、人に突っ掛かりそうな気分になった
- 夫がいろいろ調べてくれて、免疫力を高めるのは「笑い」だということで、一生懸命笑わせようとするので、おかげで自分からも冗談を言うようになった
- 高額療養費の手続きを自分でしなければいけないと聞き、どこに行けばいいかもわからなかったので、病院の相談室で聞いて社会保険事務所に行った
- 自分の両親には、耳が遠いこともあり、電話でがんになったことだけ伝えて、無事1年過ぎて手紙を書いた
- 再発の不安は家族に心配をかけるので言えないと思っていたが、小出しに言ってもらった方が楽だという家族の人の話を聞けてよかった
- 自分ががんになった意味を考えると、無駄にしたくないと思い、抗がん剤治療中も帽子でクラス会に出かけ、「乳がんのことは私に聞いて」と誰にでも病気のことを話した