診断時:42歳
インタビュー時:42歳(2008年8月)

首都圏在住。2006年秋、自分で異常を発見。2007年夏、左乳がんを診断され、乳房温存術のあと、ホルモン剤内服を開始。現在、化学療法の最終クールを受けている。独身で両親と3人暮らし。治療のため、派遣先の会社を退職したが、来月から新しい派遣先で仕事を再開する予定である。

プロフィール詳細

DHさんは首都圏で両親と3人暮らし。2006年11月、左乳房が引きつれているような外見の変化を感じ、そこに触れてみるとしこりを感じた。インターネットで調べて乳がんである可能性もわかっていたが、しばらく受診する踏ん切りがつかなかった。また、もしもがんだったら、まず治療費を貯蓄しなくては、という思いもあり、検診に行ったのは翌年の2007年8月であった。

検診先は、乳腺外来があり、通院しやすい病院を選んだ。予定していた検診は、マンモグラフィだけだったが、脇の下に近かったため、エコーも撮るよう勧められ、その結果、「90%くらい危ない」と言われた。後日、精密検査のためMRIを実施。その結果、「これは90-99.9%がんだろう」と告げられた。そして、腫瘍が小さめだったので針生検するより、切除して調べることを勧められたので、そこで手術を受けることにした。

2007年11月、乳房1/4切除術を受けた。その際、リンパ節は一切触れないでほしいと希望し、センチネルリンパ節生検もリンパ節郭清も受けなかった。医師からは勧められたが、知人で乳がん術後にリンパ浮腫になった人がいて、万が一なってしまった場合、とても大変だと思い、自分の意思で決めた。

病理検査の結果、リンパ節転移は切除していないため不明だが、血管とリンパ管に浸潤が見られた。自分の治療選択の条件として、経済的負担が少なく、手数をかけずに済むことをあげて、医師に相談し、放射線療法は見合わせることになった。そして、ホルモン剤内服(フェマーラ、後にタスミン)を開始。化学療法(ACT(*)療法)は、アドリアマイシン4クール(3週に1回)が終わり、現在、タキソール4クール(3週続けて1回休み)の最終クールを受けている。

最初、がんである可能性が高いと聞いて、ある程度予測はしていたが、かなり面倒なことになったと感じた。しかし、両親になるべく負担をかけたくなかったので、検査結果や病理の結果はすべて一人で聞いて治療の選択をした。治療選択に際し、手術前と術後病理検査の結果が出てからの2回、セカンドオピニオンを活用し、最終的には自分の希望を言って相談できる主治医のもとで治療する気持ちを固めた。今後、再発・転移への不安やそうなったときの経済的な心配はあるが、その都度ベストな状況にしていくしかないので、気にし過ぎず、今は自分の望む仕事や生活をしていきたいと思っている。治療のため、一旦派遣先の会社を退職したが、来月から新しい派遣先で仕事を再開する予定である。

*ACTとは抗がん剤の多剤併用療法で、アドリアシン(A)とエンドキサンの一般名シクロフォスファミド(C)とタキサン系の抗がん剤(T)の頭文字をとった略称です。

私は: です。

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